1.俺

 去年のクリスマス。
 宕森の妖精たちが、13の人形をばら撒いた。

                    ■

「んで?」
 |茲音美鬨《ここねみとき》は問う。

 どーでもよさそーに。

「『んで?』じゃなくてな……お前俺のレポート盗んだだろ」
「盗んでないよ。そんな面倒なことしなくても、私はもう提出したし」

 当時、就職難で焦ってカリカリしていた俺は、それなりに仲のいいかもしれない女友達の茲音美鬨に根拠のない疑いを掛けていた。

「いいや、お前だ」
「めんどくせえなぁ」
 愚痴を零す美鬨。

 ごろん、と猫のように右腕を枕にして食堂の真っ白い円机に寝そべる。
 俺のことなんてどうでもいいようだ。

 ちょっとムカついてきた。

「おい」
 がし、と美鬨の頭を掴む。
 思ったよりも小さくて手に納まる錯覚がする。

「む。オンナノコをそう気軽に触るな」
「そうか。お前女だったのか。にしては戦国武将みたいな名前してるなー」
 いや、戦国武将とか知らんけど。

「む。いいからさっさと放せ!」
「あ、はい。……ごめんなさい」
 思ったよりも美鬨の方もイライラしているようで、柄になく声を荒げた。

 んで、ビビってすぐに手を放した俺は何だ。
 名前ネタ、タブーなのかな?

「分かったから、アキのレポートくらい一瞬で見つけてやるよ」
「ほ、ほんとか!?」

 ぱっと椅子の下に置いてあった俺のリュックを掲げる。
 美鬨が、ね。
「じゃじゃーん!」
「おお! それは…て俺のかばんじゃねぇか!」
「の中にぃ!」

 勝手に人様のかばんに手を突っ込んで、何か探りさす美鬨。
 でもまあ、高級スイーツを目前にしたみたいな嬉々したその顔はあまり見られないから、許す代わりに拝んでやろう。
 ………………、カワイイ。

「じゃじゃーん!」
 さっきの台詞を繰り返す美鬨。

 その手には――俺のレポート。
「て、おお!!」

「えっへん」
 気取った態度を具現化する美鬨。
 今日はどうやら良いことでもあったようだ。活き活きしている。

「てかお前が持ってたのかよ!」
「あれ? バレた?」
「そりゃあお前。その中で探してるふりしてポケットから白い紙束を出すところを、読者以外の全世界の人類は見たんだからな! バレバレだ! てか、くしゃくしゃじゃねぇか!」

「いやぁ、悪戯イタズラ」
「とりあえず提出してくるからお前これ持ってろ!」
 かばんは美鬨に任せて、食堂出入り口へ向く。
「『!』よく使うね。表現力低いね」

 美鬨のボケのような突っ込みは無視して、教員室へ走る。
「廊下走んなーっ」
 美鬨の声が響く。
 ここ廊下じゃねぇ。

 でも、まあ。
 面倒臭がりやの美鬨が、何かしでかそうとしたのは、案外良いことかもしれない。
 走って体が火照りながら、さらに内側の何かも火照っている気がした。

                    ■

 それは、入試結果の発表日のことだった。
「……。あ、あった! 俺の名前がのってる!」
 家にコンピュータとかいう代物のない俺は、直に学校に掲示されている合格者名を見遣る。

「やったじゃない! 合格よ、美鬨ちゃん!」
 馬鹿に甲高いオバサンの声がした。なんとなくそこを見遣る。

 そこには、まだ残っている冬の寒さに震えて、合格なんてどうでもいいという風に佇んでいる少女がいた。
 肩より少し下目に伸びた黒い真っ直ぐな髪。背は低めで、俺の胸あたりだろう。

 耳が凍えて赤くなっている。
 寒さは苦手なのだろうか。

 しかし――
 合格したというのに、全く喜んだ気配がない。
 余裕、だったのだろうか。
 天才少女? だったら腹立つな。

 少女は帰ろう、と母親を促してそそくさと帰っていった。


 そうして、俺の大学生ライフが始まった。

                    ■

 春の候。
 俺はある少女と知り合った。
 
 いつものように、というよりまだ入学して一月ほどしか経ってないが、俺は食堂でキムチ丼をいただく。
 好物、好物。

 さて、どの席で食うかな、と足を出した瞬間――
 足が自動販売機のコードにひっかかった。

「おわっ」
 あやうく転びそうになる。
 俺は転ばなかったが、手にあったはずの丼が――

 べちゃ。

 キムチが――
 ある少女の白い綺麗な服に飛びついた。
 米付き。

「うっ」
 見知らぬ女の子にキムチ丼をふっかけてしまった!

 俺一生の不覚っ。

「ご、ごめんさい! え、えと……タオル?」

 ごちゃごちゃ、がちゃがちゃ。
 紆余曲折、一時休戦。
 ――数分後…

「え、えっとそれ、弁償するからっ」
「いいよ。めんどくさいし」
 無表情で彼女は言う。

「てぇと、あ……あのときの」
「?」
「あ、いや…なんでもない」

 そうして、彼女は去っていった。

 その翌日のことである。
 彼女をまた食堂で見かけた俺は、昨日のこともあり声をかけた。

「ん?」
 そう言って不機嫌そうに振り返る彼女。
 眠たげだった。

「いや、その……昨日はごめんなさい」
「? …………ああ、やっぱ弁償して♪」
「へ?」
「10万円くらいで許してあげるよ」
「はぁ?」

 食堂は今日も騒がしかった。

 彼女の名前は茲音美鬨。
 そうして、俺と美鬨は知り合った。 
 
                    ■ 

「私はねぇ、生きていること自体が面倒臭いの」
 苛立った風に美鬨は寝そべった状態で発声した。

「なんだよ…それってなしだろ」
「いいのよ。死ぬのも面倒だから生きてるだけ」
 目を泳がせながら、俺を視野から外しながら美鬨は言う。

「でも……ええっと、アキがいる間は生きててもいいよ」
「……………てかそんなに俺をイジルのが楽しいのかよ!」
 ちなみに、俺は美鬨からは「アキ」と呼ばれている。

 ニックネームだよ、略称。
 
 美鬨はまあいいか、て感じで目を閉じる。
「いや、おーい。寝るなよー」
「いいじゃん。学校は私の庭なのだ」

                    ■

 今日も美鬨と食堂でおち合う。
「よっ」
 軽く手をあげて、美鬨もそれに気付いてこちらへ寄ってくる。

 そういえばこいつ他に友達いないのかな、とか思いつつも美鬨が来たのがなんとなく嬉しくて今日もキムチ丼を頂く。

「お前俺のレポートになんかした?」
「なんかって?」
「いや、誤字ゼロだったから。俺のレポート」
「あっそ、そりゃ良かったね」
 頬杖をついて美鬨は俺を眺める。 
 美鬨は食べないのだろうか。
 ダイエット?

「アキ……」
 唐突に美鬨が口を開く。
「うん?」
 キムチを口に運びながら返事、返事。

「好きだよ」

 えっと……だから――

 今日も食堂は騒がしいです。
 だからキムチが一層美味しく感じたのは、たぶん気のせいでしょう。
 



2.あいつ

「やっと見つけた」
 私はつい笑みを溢す。

 去年の聖夜、宕森の妖精たちが人形をばら撒いてから3ヶ月が経った。
 何分ひとつめを見つけるのには骨が折れる。
 しかし、やっと見つけた。

 ふと、その建物の中がガラス越しに見える。
 どうやら食堂のようだ。
 窓際のテーブルにはキムチ丼を食っている男と猫みたいな気だるそうな女が楽しそうに話していた。

 私には――到底似合わない風景。

 ちょっとムカついてきた。

 とりあえず警備員に見つからないようにこの広い建物に入る。
 なぜって――ひとつめの人形がここにあるからだ。

                    ■   

 人形はすぐに見つかった。
 迷いなくその首を捻りもぎ取る。
 これで機能は停止しただろう。

 案外簡単だな。

 ま、私の手にかかればこんなもんか。

 私はその青年の姿をした人形を手のひらサイズまで圧縮し、緑色のゴミ箱に捨てた。

 これで人形の匂いはつかめた。
 残りの12体も今年中には始末できるだろう。

 ふと、さっきのカップルを思い出す。
 幸せそうだったなぁ……。

 とりあえず今日はもう帰ろう。
 私はくるりと180度向きをかえ大学を出る。

 私としたことが――そのときハンカチを落としたことにまったく気付かなかった。

                     ■

 その翌朝のことだ。
 私は事務所のようなところを定住地としているが、そこはかなりの田舎で、星が綺麗なのはいいことだが、わざわざ虫除けに結界を張らないといけない。

 そう、私は魔法使いだ。
 このご時勢、一般常識からかけ離れた魔法使い。

 未だこの国では同質者に会えず、それでいて忙しくもなんともない私は、妖精に興味を抱いた。

 妖精。フェアリー。
 その定義は無数にあり、存在さえあやふやな、魔法とどこか似通う生き物。
 妖精を信じない日本では絶滅危惧種とされている。

 まあ、それはこっちの世界の話で。
 ほとんどの人は妖精の存在自体知らないだろうが。
 ノルウェイにはうじゃうじゃいたのに。
 ロンドンにも、スイスにも。

 だいたい日本はいったいどんな立ち居地なんだ?
 仏教、キリスト教、儒教とまあ他宗教他民族国家なのはいいが、それにしても河童だとか座敷童子だとかの怪異をごみくずのように生み出した日本は、なぜ自ら創りだした生物を信じないのだろう。

 日本で妖精は宕森・瀞森・吾瑚岩山にしか生息しておらず、どれにもオオムラサキという蝶が生息しているのはまあ偶然として、とにかく野生の妖精は現在日本で3ヶ所にしかいない。

 妖精を使い魔にしている魔法使いや魔術師はそういないだろうから、本当に妖精の数が少ない。

 その精霊たちに、私は興味を持った。

 
 のは、まあいいや。
 妖精は利益不利益を考えずただ「楽しいから」という理由で悪戯をする。
 軽いので言えば狐みたいな話。
 捨てたはずの物が返ってきたりとか。
 
 重いので言えば、そう、人をすり替えるとか。
 本物と偽者をすり替える。

 その延長線だろうか。
 宕森の妖精たちが人の感情を持った人形をばら撒いた。
 いや、だれかとすり替えたのではなく、ただ、ばら撒いた。

 さすがの一般社会もこれじゃあ黙ってられない。
 だから人々に気付かれる前に、13体すべて処分しなくては――

 部屋を散らかした赤ん坊は片付けというものを知らないから。

 気付いた者が片付けるべきだろう。


 コーヒーを淹れる。
 と、思ったのだが、どうも機械の調子がおかしい。
「ちっ。これだから通販はあてになんないんだよ」
 面倒だが、コーヒーが飲みたいので魔法で熱を|発《だ》して湯をあたためることにした。

 これじゃあ魔法じゃなくて魔術だな。

 インターホンが鳴った。
 
3.俺

 つい笑みが毀れる。
 お、漢字ミス。零れる。溢れる。

『好きだよ』
 一瞬夢かと思ったその発言も、キムチの味が現実だと教えてくれた。

 自転車で家路につく。
 俺は絶賛一人暮らしで、それ相応の部屋を借りている。
 アパートの一室。

 2階。一番左端の部屋。
 そこが、俺の家。

 リュックを降ろす。
 また美鬨の笑顔が浮かぶ。

 ヤバい…幸せだ。

 課題もなく、試験は既に終了し、就職難だとか喚いていた先輩のせいで俺もイライラしていたはずだが、なんだそれ、俺、イライラなんてしてないよ的な空気が漂っている。

 そういえば夏目漱石先生の文章は読点があまり必要ないくらい綺麗な文章だよな、とか雑談を加えつつ。

 布団敷いて寝る。
 明日のために。
 

                    ■


 今日も美鬨と食堂でおち会う。
 おち合う、かな。漢字よく分かんないや。
「よっ」
「よっ」
 いつもと変わりなく過す。
 ああ、なんて幸せ。

 両腕を枕にしていた美鬨はむくっと体をあげ、
「コーヒー買いに行こ」
 と俺を促して食堂を出た。

 学科の違う俺と美鬨は、食堂以外ではあまり会わない。
 大学入り口付近にある自動販売機、そこへ缶コーヒーを買いにいく。

 こういうのはいつもと違うかな、とも思いつつ。
 やっぱり昨日ので美鬨も意識しているのだろうか。

「ん」
 100円玉でも見つけたのだろうか、美鬨が屈んで何かを拾い上げた。
 手にあるのは――ハンカチ。

 丸い、アニメなんかでよく見る魔方陣らしき模様が入った、朱色のハンカチ。
「きゃっ!」
 急に美鬨がそれを放しまた屈む。

 て、
「大丈夫か!?」
 いや、何が?

「う、うん……」
 美鬨も驚いた風に顔を上げる。
「な、なんかブゥァって衝撃がきて――」
 
 へなへなとまた落ちたハンカチを指差す。
 俺は、とりあえず(?)それを拾ってみようとした。
 ちょん、ちょちょん、と熱いものを触るかのように指で|突《つつ》き、拾う。

 何の変哲もないハンカチだった。


                    ■


 気を取り直して。
 講義を終えた(なんかこの言い方だと俺が講師みたいだがもちろん逆)俺は、とりあえず自転車に跨って家へと帰る。
 美鬨はいつも授業が終わったらすぐに帰るので、そのへんは気にしなくて良し。

 そうして、階段を上ると、俺の部屋の前に見知らぬ女性がいた。
 女性――俺と同い年ぐらいだが、どこか老けて見え、それでいてしっかりとした仕事盛りのように見える。
 のくせに赤毛で、染めてんのか地毛なのかは判らないが、それを後ろでひとつに束ねている。
 凛とした顔立ちで、鼻が少々高く、外国生まれの日本人を連想させる。
 背はどうやら俺より高く、しかし線は細い。
 どこかしらビシッとしたように真っ直ぐしており、どこぞの秘書を思わせる。

 そんな女性が、俺の部屋の前で何してんだ?

 とりあえず彼女がドアに寄りかかっているため、話しかけないと部屋に入れない。
「あの……」
「お、来たか」
 おい、と彼女は気軽そうに俺に手を差し出す。
 煙草咥えていたらさぞ似合っただろうに。

「ハンカチ、返せ」
「ハンカチ?」
「朱色の」
「ああ、これですか」

 ズボンポケットに入れていた朱色の、自動販売機に落ちていたハンカチを取り出す。
 ぶん、と彼女はそれを奪い取ってしまった。

「んじゃ、確かに返してもらったぞ」
 ひら、と軽くそれをかざして彼女は立ち去っていく。

 が。
「ん? 呪文が切れてる……」
 そう呟くと、彼女はずかずかとまた舞い戻ってきた。

「おい」
「…はい」
「このハンカチを触ったとき、何か変わったことが起こったか」
 え、えっと…もしかして美鬨のことか。

「美鬨、その子がどうしたって?」
 声に出してないはずなのに彼女はそう詰め寄ってくる。

「………………」
「そう。解ったわ。めんどーだけど、しかたないか、こっちの不手際だし」
 そう呟いたかと思うと、彼女はいつのまにか消えていた。

 消失。消滅?

「ふぅ」
 何かとんでもないことが起こりそうな気がした。

 ふと前を見据えると蒼い空が広がっていたが、そんな見慣れた風景に、俺は特に感動することはなかった。

 ただ、目の前に何か空のほかに違うものがあるんじゃないか、と視線を一点に集中していた。

 俺が部屋に入ったのは、1時間後のことである。
4.あいつ

 はて、私の家に用のある者など存在しないものだと思ったが。
 ぴんぽーん。

 またインターホンが鳴る。

 道でも訊きに来た旅人だろうか、はたまたどこぞのテレビ番組の収録だろうか、それともあのときの吸血鬼か。

 吸血鬼だったら困るな。
 せっかく追っ払ったのに、4年前の再現は避けたい。
 
 しかし、だからといってここで無視するのもどうだろう。
 一般人だったら後に困る。

 ちっ。どう転んでも困るのは私じゃないか。

「はーい」
 扉を開ける。
 そういえば鍵しめてなかったな。

 開けると、そこには青年がいた。
 茶髪で目が隠れ、猫背のように見下げるように縮こまった体躯。
 長身の青年。

「お前………!」

 青年がいきなり拳を喰らわす。
 とっさに私はそれをよけ、後ろに跳び引く。

 その青年は、今日昼間に壊したはずの――人形だった。
 迷うことなく青年、いや、人形は私の家に入って来、私を蹴ろうとする。
 
 ふぅぃん、と空気がかすめる。
「速い……っ」
 落ち着かなくては。
 まずは体制を元に戻して――

 ものすごい速さの拳がとんで来る。
 とっさにかわすが、右耳をもっていかれたか。

「う……っ!」
 やはり、私の右耳はなくなっていた。
 血がどばどばと吹き出る。

 私は即座に両手を重ね合わせ呪文を唱える。
「|Hand with fire breaking fire《炎を壊す炎我が手と共にあり》」
 私の手が冷たい炎に包まれる。
 それは私の手から大きく広がり、青年を包む。

 人形は蝋のように溶けていく。
 
「はぁ」
 とりあえず一息いれる。
 
 今度はしっかりしとめたようだ。
 いや、そもそもどうしてまた動いたんだ?
 ブラックホールができない程度だがあの人形には質量圧縮をしたはずだ。

 それなのに元の大きさに戻ってこうして私を襲いにきた。

 こんなのがあと12体いるのか……。
「ふふ……」
 つい笑みが零れる。

 武者震い、か。
 武者じゃないけど。

 耳は、もう治らないかな。
 偽者だったらいくらでも作れるか。

 そういえばコーヒー淹れてたんだっけ。

 ……。すっかり冷めていた。



                   ■


 気付くとお気にいりのハンカチがない。
 どこかに落としたのだろうか。
 あれには呪文を刻んであったはずだから、それなりに他者の手に渡ると困るんだけど。

 悪いことがつくづく続くなぁ。
 星座占い1位だったのに……。あ、今朝のニュース番組より。

 とりあえずハンカチの匂いは覚えているから、辿ってみるか。

 の前にコーヒー。

 

                   ■


 さて、そういうことであるアパートの一室に着いた。
 ここの住人がハンカチちゃんを持ってるのね。
 
 数分するとここの住人が声を掛けてきた。
「あのー」
 見た目私よりちょっと幼めなその青年というより少年というよりとにかく男性は、どこか見覚えがあった。

 ああ、あのキムチ丼食べてた人だ。
 カノジョと楽しくしちゃってまー。
 汚らわしい汚らわしい。
 ……何でこんなツンツンしてるんだろう、私。

「ハンカチ、返せ」
 なぜか口調がきつくなる。
「ハンカチ?」
「朱色の」
「ああ、これですか」

 男がズボンのポケットから私のハンカチを取り出す。
 人様の物をポケットに入れないでほしい。

 彼から私の宝物を奪い取る。
 宝物を失くす私は何だ。

「んじゃ、確かに返してもらったぞ」
 なぜか口調がきついを通り越して男っぽくなる。

 ああ、よかった。
 傷は――あれ?

「呪文が切れてる……」
 だれか能力者が触ったか。

「おい」
 しかたないので振り返り、男を見る。

 こいつには、見たところ能力はない。
 だとしたら――誰だ。

「…はい」
「このハンカチを触ったとき、何か変わったことが起こったか」
 やはり、口調が男勝りになる。
 自分でもこんな口調はいやだ。なぜこうもイライラするとこうなるんだろう。

 あまり好ましい行為ではないが、事態が事態なので心を読ませてもらう。
 この男の名前、年齢、住所(ここだけど)等、読心のときには邪魔な情報も入ってくる。

 ……美鬨。
 その子か。

「美鬨、その子がどうしたって?」
 つい口に出してしまった。
 このまま読心を続ければよいものを。

 |茲音美鬨《ここねみとき》。
 女で、大学生。
 くそ、こいつはしっかりとした彼女に対する情報を有していない。

 実際に会いに行くしかないか。
 
 全く……なんて面倒な一日なのかしら。
「そう。解ったわ。めんどーだけど、しかたないか、こっちの不手際だし」
 それだけ言って、私は|空間移動《テレポート》をする。

 向かうは、美鬨という女の家。
 
 私は、イライラしつつもなかなかないハプニングに胸躍らせながらアパートを後にした。

 

 
5.俺

 その二日後のことである。
 何のって……部屋の前で不審者に会った二日後。

 また赤毛の彼女がやってきた。
 しかも、今度は俺の部屋の中で。

 あぐらをかいて待っていた。

 てか、不法侵入だ!!
 てか、どうやって入った!?

「どぉ-も。私は……まあ名前はいいよね。『あいつ』って呼んでね」
「はぇえっと……」
 以外にも柔らかい口調に疑問符を抱きながらも、とりあえず訊く。

「どうしてここに?」
「あぁ、いや。君のトモダチが持ってたのを貰ったんだ。驚いたよ。あの美鬨っていう子カノジョじゃなかったんだね。ラブラブなのに」
 腕を組んで彼女ならぬ、「あいつ」は言う。

「ちょっと込み入った話をしよう。ドアを閉めてくれるかな」
 顎で俺のドアノブを握っている手をしゃくる。

「んじゃあ、ちょっと話が長くなると思うから、読者の皆様もどうか最後までお付き合い願います」
 そう言って(なんか意味不な台詞が混ざっていた気がするが)あいつは口を動かす。
 もちろん音声付だ。

「あなたの友達、茲音美鬨は魔法使いよ。わた――」
「は?」
 思わずあいつの台詞を遮る。

「美鬨が魔法使いって何だよ。ありえない単語がいきなり放流しちゃってるって」
「む。そこから説明しないといけないのか」

 またあいつは話を進める。
「俗に言う『魔法使い』は、やっぱりこんな風に日常会話では使わない単語だけど、やっぱり存在します。その経緯はエジプト文明らへんまで遡らないといけないから省略するけど、とりあえず人が神から離れたあたりから誕生した種族で、いわば人の種類。
 特徴はみんな知ってる感じで概ね正解で、現在人のできないこと、科学が到達していないことを呪文や血統で行う。ちなみに人ができることをほかのルートですることを『魔術』といってさっき述べたのは『魔法』といいます。そのへんの違いは掴んどいたほうがいいと思う。
 異端はその存在だけで忌ましまれえるから、人類よりも遅く生まれた魔法使いは社会から隠れて生きています。社会に属して振舞う者もいれば、きっぱり社会と断つ者もいるけど、たいていは前者。
 魔女狩りなんてこともあって、最近は隠れるのもうまくなって、そう会えないけど」

 それで、とあいつは話を進める。

「あなたのガールフレンド的な子、茲音美鬨は魔法使いです。私と同じ、ね。日本で魔法使いと会うのは初めてだから匂いの感覚が掴めなかったけど、これで他にもきっと会えるでしょう。
 その子が私のハンカチ――仕掛けをしていたハンカチ――を触って能力が飛躍的に上がったわけです。隠し切れないほどにね。
 あの子、昨日学校を休んだでしょう? それは隠し通せる自信がなかったから。
 で、私は昨日その子に会いに行ったけど、そのときちょっといろいろと邪魔が入って、紆余曲折あってあの子は死にました。私の不手際です、ごめんなさい」

「ええっと……ほんとに長い台詞でしたね。読者様に迷惑ですね。で、美鬨がどうしたって?」
「だから……えっと、お亡くなりになりました」
「はあ、えっと、それをどう信じろというんですか」

 はっきりいってこの人の言ってること、意味わかんない。

「まあ、無理もありません。そういうことですので、どうぞ失念なさらず人生を歩んでください」
 言って、あいつは立ち上がり部屋をでようとする。

「え、ちょ、ちょっと待って」
 失念の使い方間違ってる、のはスルーしといて。

「仮にそれが本当だったとして、僕になにかすべきことはないんですか」

 ふと、俺の顔を一瞥して、目を逸らしてあいつは言う。
「信じるんですか、この夢話を」

「信じないと何も始まらないようですから。あなたの言ったことは明日大学で確認できることです」

「ふぅん。それなりにメルヘンチックなのね」
 数秒考え、
「いいでしょう。なんらかの意思があるのなら私と来てください。運がよければ就職難の問題も解決するでしょう」

「へ?」
「とりあえず、私に敬語を使わないでください」

 こうして、俺は「奇人殺し」になった。
 自分の力を思い知るのは、5人目のとき。

 今語るべくことではないだろう。

6.あいつ - 上
 私は美鬨宅へ向かうこととした。
 いや、もう着いたんだけど。

「ぴんぽーん」
 インターホンを押しながらついでに自分でも発声する。

 ……さぞ馬鹿らしく映ったことであろう。

「はい」
 ドアが開く。

 中から、少し顔色の悪い気だるそうな女性が出てきた。
「どうも」
 私は会釈をしておく。

「………どうも。えっと、どなたです?」
 美鬨は少々身構えつつも、そう訊く。

「私は……うぅ、名前はスルーで。えっと、魔法使い。あなたと同じ」
 それを聞いてうっ、と美鬨は驚きを隠さない。

「魔法……使い?」
「ええ」

 バタン。

「…………」
 ドアを閉められた。

「ちっ。こりゃあ、魔力行使しねぇといけねぇみたいだな」
 イライラする。
 その証拠に口調が悪い。

 自分でもびっくり。

「リロック!」
 これ絶対英語間違ってるよ、と思いつつ。
 ドアノブの手に力を込める。

 ドアは簡単に開いた。

「ふん。結界も張ってないのか」

 無断で中に入る。
 美鬨は靴置き場で座り込んでいた。

「ハロー。魔法使いのミトキちゃん。あんたを助けにきてあげちゃったよー」

「分かった」
 唐突に美鬨は声を発する。
 少し元気を取り戻した口調だ。

「|現実《このちから》はとっくの昔に受け入れていたはずなんだ。私を助けにきてくれたの?」
「うん」

「…そっか」
 
 そのときだった。
 背後のドアが勝手に開いたかと思うと、中から何者かが入ってきた。

 いや……この匂い――!?

 私はすぐにそれを察知して振り返る。

 足元まで届きそうな長いシャギーの入った茶髪、それに隠れてよく見えない顔、背は低めで、異様に太い、それでいて赤紫色の両腕。
 
「こいつ――」
 そこにあるのは、人形だった。


                    ■



 ゆら、とその人形は両腕を振りかざす。
 それを一気に振り下ろす。

 その行為は一瞬のことだった。

 床がふっとぶ。


 私、それと美鬨という魔法使いはその衝撃に吹っ飛ばされた。

 なんとか防御魔法で、衝撃を抑える。
「おい、美鬨」 
「??」

「手伝え。その魔法を使ってこれを壊すんだよ」
「えっと……人を殺す、てこと?」
 美鬨はさも今の状況を理解できていないように問う。

「あれは人じゃねぇっての。人形だ! とりあえず説明はあとでゆぅっくりしてやっから、お前の魔法能力であれを壊すのに手伝えっつてんだよ!」
 なんでこんなに口調悪いんだろう。


「で、でも。魔法ってどうやるか……」
「あん? そんなの魔法を使いたいって思えば使えるもんなんだよ!」

 手本を見せてやる、と私はその人形を睨んでみた。
 すると、私の思惑通り、人形の髪は燃え上がる。
「ぎゃああああっ」
 人形が奇声を上げる。

 さも、人間らしく振舞っている。
 とうとうその長い髪はすべて燃え上がってしまった。
 
 が。
 すぐに――それは本当にあっという間に――その髪は足元まで伸びていた。
 
 再生、したのか。

 また人形が両腕を上げる。
 その赤紫色のそれには、いくつもの黒い斑点があった。

 黒点?
 いや、ボケは、なし。


 また髪が燃え上がる。
 私はなにもしてないが――

 美鬨は目を閉じ、両手の平を合わせていた。

 そうか、やはりこいつは魔法ができる。
 私のを見て見様見真似で試したのだろう。

 今度のは頭も焼けた。
 やはり、私よりも魔力が強いようだ。
 
 しかし、人形はまた再生する。
 

 こいつ、どうやって壊せばいいんだ。
6.あいつ - 下

「ぐるぅぅぅぅぅぅぅぅウウう」
 人形が動物とも思えない奇声を上げる。

 いいかげん倒したいんだけど。
 バトルシーン難しいっての!
 とくに魔法は。

 美鬨の慣れは驚くべきものである。
 既に私の域を超えただろう。
 これが「実力」というものか、数年に渡っての私の努力が嘘のように、美鬨は人形を燃やす。

 しかし人形も人形だ。
 燃やされたは再生するの繰り返し。
 まるで生き地獄。
 まあ、人形は生きていないから死に地獄、という表現が正しいんだろうが、それにしても魔法を絶するその回復能力に、私と美鬨は苦戦していた。
 
 また人形が赤紫の両腕を振り上げる。
 その技しかないんか、ていう突っ込みはなしの方向でお願いします、はい。

 また美鬨が睨んで人形を燃やす。
 しかし、勿論のことそれはすぐに再生する。
 美鬨もさっきから炎魔法しかしてないじゃないか。

「ちくしょう、こうなったら」
 私は呪文を唱える。

「Sword of magic(魔法の剣)!」
 この辺は、魔術というのか魔法というのか微妙なところだけど、私は魔法で刃渡りが私の腕ほどある剣を創った。

 それで人形の腕を切り落とす――

 ひぅん。
 私の剣が白光を帯びる。

 簡単に人形の両の腕は切り落とされる。
 
 しかし、また再生が――
 再生が。

 ――起こらない?

 試しに、その髪を刈り取る。
 しかしいつものようにそれは伸びてはこなかった。

 床上にはさっき切り落とした赤紫の腕が二本、力なく血まみれ姿で横たえている。
 それには黒い斑点がまばらにあって――

 そうか。

 人形といえど、外見は全く人と同じである。
 この前の青年型もそうだ。
 しかし、決定的に違うところがあった。

 それが――腕。

 最初から他と異なるところを攻めればよかったのだ。
 「違う」ということが異端そのものなのだから――

 異端というのに特徴や内面は二の次だ。
 重要なのは――周りとの、一般との違い。

 そして人形をこうして私が壊している理由は――
 まわりと違うから。

 ならば、最初から「異端」を殺せばよかったんだ。
 そんな簡単なこと――

 両腕を失くしたこの人形に――もう異端はない。
 ならば、もう壊す理由はない。

 異端から一般になったモノは、勝手に壊れていくのだから。

「全く……こんなのがあと11体もいるのか」
 言い覚えのある台詞を吐き、私は美鬨をはと見据える。

「やあ。ウイッチみとき」

「どうも」
 美鬨は略に答える。

「あんたはここへ行くといい」
 私は朱色のハンカチを美鬨に手渡す。
 私がこの前落とした物だ。

「それは地図だよ。ここからじゃ少し遠いけど、その通りの順で歩けば『魔法協会』に辿り着く。あんたのこれからはそこで考えるといい。力の制御の問題もあるしね」

「………………、分かった。あの――」

「あの男になら、死んだとでも言っておくよ。いいだろ? どうせもう会えない」
「……………………………わかった」

「んじゃ。私はこれで」
 私は帰る。
 空間移動は面倒臭いからやめて、歩いて帰ろうか――

「あ、あの」
 美鬨が声をかける。

「うん?」
 なんでこの子は発声に前置きがないのだろう、と思いつつ。

「何?」
「あの……ありがとうございました」
 はっきりと、美鬨は言った。

「うん、どういたしまして」
 はっきりと、私は答えた。

 そうだ。帰宅する前にあの男の所へ行こう。
 そして、真実を伝えてみよう。
 
 あの男は――信じてくれるかもしれない。
7.俺

 そういうことで、俺はあいつに付いていくことにした。
 と、よくわからないが、とりあえず美鬨のことを詳しく聞きだせるだろう。

 と。
 俺の家、部屋かな? ていうところを出たその瞬間。

 びぅん。
 風が斬れる音。

「はぐっ」
 あいつが声を漏らす。
 ちなみに、ハグはしてない。

「あ……!」
 俺はあいつの姿を見て驚愕する。

 あいつの、左腕が――
 ぽとり、とそれは落ちる。

「最近怪我が多いねぇ!」
 他人事のような台詞を、激怒した口調であいつは言う。

 そして、あいつの前、俺の視界には、ある男がいた。
 中年ほどで、腹が出ており、髭が大きな顔を覆い、目玉が赤い。
 背丈はおおよそ巨人とよべるそれで、外人プロレスラーを連想させる。

 と。
 なんで「と」を連発してんだろうね。
 
 あいつが、急に飛び込んだかと思うと――
 右手でチョキをつくり、男の目に突き入れる。

 いわゆる目潰し!

 男は、人形のように仰向けに倒れ、動かなくなってしまった。

「周りと違うところを壊せ、か。全くその通りだ」
 あいつは右手を腰にあてて呟く。

「おい、その……手」
 俺はどうにか声を出す。あいつの足元の腕を指差しながら。

「儀手くらい作れるよ♪」
 あいつは笑顔で答えた。



                    ■


「なあ、じいちゃん。ほんとにいいのか?」
 俺はもう一度問う。
 
「いいと言ったらいいんじゃ。何度言ったら分かるんじゃ。さっさと冷める前に食え!」
 爺さんは言う。
 もう何度目だ。

「じゃあ……いただきます」
 俺は、屋台の爺さんがくれた焼き芋をほおばる。

 ……美味い。

「で、この廃れた町に、何をしに来たんじゃ?」
「なんかこんな美味い焼き芋のある町を『廃れた』なんて到底思えないけど……調査だよ、調査。ここに吸血鬼がいるんだとさ」

「ほお、吸血鬼とな」
「うん、吸血鬼」
「それはそれは。どうか頑張ってくだせぇ」
「おう!」

 焼き芋は食い終え、そろそろ行くか、と椅子をたつ。
「じゃ、ほんと、ただでありがとな。助かったよ。金は今度返すから、とりあえずそれまでは生きててくれよ」

「はは。わしは不死身じゃ」

「はは。じゃな。ありがとう」
 俺は、この町の中心部へ向かった。

 あいつが貸してくれた長剣が重い。
 まだ明るい。
 帰りにもう一個焼き芋買おうかな、つぅか金ねぇな。
 そう思いつつ、俺は先へと進んだ。