ラジカル★ガール










  
 0.

 鉄製の矢が乱方向に飛ぶ。まるで雨のように――いや、これほどまでに横向きの雨を私は見たことがない――降りかかるそれにも、どうやら出所はあるようだ。
 私は、ちょいとの出来心と、誰かをぶん殴りたいという欲求に支えられながら、今私のいるというよりも走っている路地裏の、壁を走った。いつも通り、とは言えないが、まあいつもと似たようなかたちで、壁を走りながら矢の出所へ向かう。
 それはすぐに見えてきた。ボーガンを持った、三〇代ほどの男性だ。私の姿に驚いたのだろうか、一瞬、ボーガンの動きを止める。
 それに乗じて、とまでは言わないが、私は走っていた壁からジャンプして――地面とは平行しているようなかたちになって――男の首元を蹴った。
「ぐわっ」
 男はそんな声を出し、気絶した。
 やはり、右脛が痛む。しくじったようだ。いつもなら悲鳴を上げさせる暇も与えずに気絶させるのに、そう考えながら、私は男の体を弄る。いや、中年おやじの体になんて興味はないが、役に立つ武器や金があるのでは、と踏んだのだ。というより、私の癖だ。倒した相手のものを盗る。
 残念ながら、手元の連発できるように改造されたボーガン以外、目に映るものはなかった。
突然、ぐぅ、と腹が鳴った。
「……お腹空いた」
 そういえば、もう丸一日何も食べてない。どこか店へ行くにも、私は一文無しだ。それに、私をマークして警戒している店舗も少なくはないはずだ。最近活動が派手過ぎた。何か、食べ物が欲しい。
 それにしても、どうして私を襲おうとする者は皆、金を持っていないのだろう。
 食べ物、食べ物……。
 行かねばならないところ、つまりは職場なんて未成年の私にはないし――そもそも就職なんて出来るのだろうか、私――だからといって飢え死には御免なので、しかたないから、今日もあいつの家へ行くことにした。
 狭いとは言えないが、広くはない路地を、壁を伝って歩く。






    1.

「わたし、これからひとりで生きていく」
 そう、私は言った。というより、宣言した。
 周りは当然、唖然顔。私、一五歳。
 蛙だか蛇だか、熊とかニートちゃんは冬眠しているのであろう真冬のことである。
「……て、何?」
姉が意味不明とばかりに再度訊く。
「だから、わたし、これからひとりで生きていくの」
家の、子供部屋――私たち姉妹は、高校生・大学生になっても相部屋として押さえ込まれている――の、二段ベッドの上の段、私はそこから、勉強机でまあ熱心に勉学を極めてらっしゃる姉へ再度言う。
「いや、あのさ、もうすぐわたし、誕生日じゃん。だから、そろそろ進路とか考えるべきだと思うし、だからといってしたいこともないから――とりあえず、わたし、旅に出る」
 説明不足だと思って、私は言い繕うようにそう言う。
 冬、といっても部屋の中は暖房が効きすぎていて、私は半袖半ズボンの、一見修学旅行とかで見る男の子のパジャマのような格好をしている。姉はそれでもなお寒いのか、ひざ掛けに毛布に、防寒対策完璧のようだが。
「今更……中二病到来ですか」
 姉は困ったように、呆れたように、私の本気の宣言を反した。
「でも、さあ。『ひとりでは生きていけない』ってよく聞くけど、それを証明――というか、実感したひとは少ないよね。企業ブースとか生活保障とか、憲法とか法律とか、今わたしが着てる服や、お姉ちゃんのひざ掛けだって、他の誰かさんの力があって、そこにあるんだって、そういう人はたくさんいるし、実際そうなんだろうけど、きっと――ひとりになったらひとりになったで、また他の生き方があるんじゃないのかな」
「……残念だけど、妹の間違いを正すまえにまず、『企業ブース』に流通とかそういう意味はないから」
「な……なんと」
それに、と姉は話を進める。
「旅って、どこいくつもりなの? 学校は? 経費は? つぅか、計画あるの?」
 ひとつの台詞でよっつもの質問をされた。姉のペンは止まっている、というより、せわしなく意味もなく動いている。せっかくの意中の先輩から貰い受けたシャープペンシルが、苛立たしげに紙の上で跳ねていた。
 なんだか座っているのも面倒になってきたので、ベッドの上で寝転がりながら、話を続ける。
「どこにいくか、そんなのどこでもいいじゃない。経費だって、この日のためにこつこつと貯めてきたのがあるし、学校は……まあどうにかできるだろうし、計画のない流離っぽいのがいいんだよ、わたしは」
話しながら、どうもこの話の流れで「経費」という言葉は相応しくないのではと思ったが、よさそうな単語も出なかったので、しかたなく姉の意見を尊重した。
 姉のペンは跳ねたままである。
「学校はどうにかなるってどういうことよ。高校生が学校行かないって、それって――」
「いいじゃん、高校は義務教育じゃないんだよ」
 姉の言葉を遮るように、私は言い放つ。言ってみたものの、自分でもこの意見は違うな、と思いながら。
 寝転んでも、さして楽にもならないようなので、今度は布団を被ってみた。
「寝るのか、妹」
「寝ないよ、お姉ちゃん」
「じゃ、寝ろ。寝てそんな考え夢に閉じ込めてしまえ」
 なんだか男勝りっぽいんだよなー、お姉ちゃんの口調。そう思いながらも、そういえばここの暖房は効きすぎているんだった。暑い。が、そのせいか、うとうと眠たくなってきた。
 ――さっき起きたとこなのに。
 気付けば、私は夢の世界へ旅立っていた。
 いや、これは夢なのだろうか。
 起きたら私は、草原にいた。
「……………………」
なんてことを期待していたのだが、そんなこと起こるわけもなく、いつもの二段ベッドの上段、布団に包まれながら、私は目を覚ました。
「はぁ……」
 起きての第一声、溜息だった。体がだるい、それもそうだ、二度寝は後で体に負担がかかる。姉が寝るよう促したせいもあったが、本当に寝てしまった私は何だ。何者だ。
 今度は夢を見なかった。
 旅、か……。
 今頃の女子高生には縁のない言葉なのかもしれない。関わりがあるとすれば、それは松尾芭蕉の『奥の細道』をテストのために勉強する、それくらいのものだろう。他にも『土佐日記』だとか有名な紀行文はあるのだろうが、残念ながら私はミーハーなので、昔のことなんて知らない。
 ボブカットが、まとわりついて気持ち悪い。それをいやがってロングから切って今の髪形にしているのに、どうやら効果はなかったようだ。
 旅に出るには、姉はともかく、親を説得しないといけないだろう。しかし、そんな器用な言葉遣いは出来ないだろうし、そんなこといった次には、きっと多量の課題と禁則が与えられるのだろうなと思うと、どうも、親に話すのは止めておいた方がいいだろう。
『誰も、ひとりで生きている人はいないんだよ』
 そう私に言ったのは、誰だったか。
 今、私が来ている服や、布団。姉のシャープペンシルに、ひざ掛けと毛布。二段ベッド。ロングヘアーをショートに切るときだって――きっと、たくさんの人々が、力添えしたはずだ。
 そんなこと、理解している。
 でも、そんなの、仮定命題じゃない。
 仮定が結果を支えている。結果が仮定を生み出しているし、その仮定が結果の裏づけになっている。
 そんなの――証明できたことになっていない。
 もし、人類生き残り、たったのひとりになったとしても、これまでと違った方法、その場合の基本・基盤に則れば、人はひとりでも生きていけるんじゃないのかしら。
 今朝、姉に宣言したのが午前九時といったところ……時計を見遣ると、短針はちょうど真上を差していた。
 ちなみに今日から、冬休みである。

   2.

 冬休み、ではあるが、なんと日本史で欠点をとった私には、補習というものが待ち構えていた。
 んなもん行くか! 去れ! 死れ!
 …………というわけにもいかず、冬休み三日目、月曜日。私は自転車を走らせて、私立蠟緑高等学校へと向かうのだった。
 自転車五分、無駄に敷地の広い私学校が見えてきた。というより、私の通う高校である。
 自転車置き場はグラウンドを抜けた校舎の裏にある。先生のミスなのか、校門は開けっぴろげにされていた。何度も言うが、今日は冬休みである。部活動は午前で終わったはず、その印に、グラウンドは閑散としていた。まるで学級閉鎖のようだ。
 と、ひとり空虚感に黄昏れていると、校舎からひとり、男が出てきた。
 大男、そう形容できる体躯。一見先生のように見えるが、生徒指定服、つまりは制服のブレザーを着ていることから、生徒だと、高校生だと分かる。坊主刈りの丸っこい顔。
 ――知ってる、この人。
 すぐに誰か分かった。本校では有名人である。一九〇センチ超えの身長、体育の先生兼バスケットボール部顧問の尾熊先生の次――つまりは先生含む本校全員で二番目――の背丈である。所属クラブは空手部。その実力は全国区までに及び、本校に多大なる功績を残している。つまりは――もう一度言うが――有名人だ。その名を、獲艘耀造という。
 確か、前回の大会で右腕に怪我を負い、冬休みの間は部活を休む、と噂で聞いた。
 では、なぜ冬休みに学校へ?
 そうなんとなくの好奇心と隠し味程度の有名人見たさに、彼に目を向けていたら、それに気付いたのか、彼がこちらへ近づいてきた。
 そして、話をするには少し遠いような距離から、こう私に言ったのである。
「きみ、かわいいね」
「はい?」
 私の反応に満足したのか、彼は話を続ける。
「何年生? どっかで会ったことあるかなぁ。もう一回言うけど、きみかわいいね。そのショートカット、マジで僕の好みだよ。目もウルウルして、泣いてるわけじゃないよね。綺麗な瞳だねぇ。もう一回言っちゃうけど、きみかわいいね。背は……一六〇ぎりぎりくらいかな? 小動物みたいだ。何度も言うけど、きみかわいいね」
「……………………………」
 ただの下手なナンパだった。
 下手すぎる。
 これで釣られる女子とかいるの?
 無視しよう、そう思い、彼の横を過ぎて校舎へ向かう。
「お、おい、ちょっと待ってくれよ」
 声でそう呼びかける。私は無視する。
「えっと」
 そうすぐ近くで声がした。一瞬のことだ。
 私は突然の近声に驚き、とっさに振り返る。
 そこには、獲艘耀造という有名人がいた。
 近づく気配さえしなかった……。これが空手全国区か。どこぞのアニメ等のように肩に手を置かれなかったことには安心したが――ボディータッチとかそこんところ、彼はしっかり弁えているようだ――どうやら諦めの悪い男のようである。
「なんでしょうか」
 とりあえず返事をする、体育会系の男、何か強引なことになったら抵抗できない。
「いやぁさぁ……。師範の格言でこんなのがあるんだよ。『かわいい娘を見かけたら、後先考えずまずは声をかけろ』」
「…………そうですか」
 どこの師範だ。ただのエロおやじじゃん。
「この格言、ここ、労力高校ではなかなか有名なお言葉なんだよ?」
 男子のなかでは、と付け加える。
「労力高校?」
「お、会話で漢字まで把握するとは、なかなか賢いねぇ。そう、蠟緑高校を文字って、労力高校って言ってみました」
 甚だ通じないギャグである。というか、なんで私分かったんだ?
「あの、私もうすぐ補習なんですが」
「おっと。それは失敬。えっと、これ、どうぞ」
 紺色のブレザーの、左ポケットから何か長方形の紙を取り出す獲艘。その紙を、こちらへ渡す。
 その動作から、どうやら彼は左利きのようだ、と私は場違いなことを考えながらとりあえず受け取るが、どうやらその紙はなにかの招待状のようだ。
「それ、えっと……、先輩のサークルでちょっとした集まりがあるんだ。きみ、招待状渡しとくから、気が向いたら来なよ。日時や開催場所なんかは、その紙に書かれてあるから」
 そう言い残して、駆け足で学校を後にする有名人であった。
 キーンコーンカーンコーン。
 私よりも場違いな、空気読めない(略してKY)チャイムが、一定律に響く。
「チャイム………!」
 チャイム、それは補習開始の合図であった。
 遅刻。
 なんでやねん!
 使い方合ってるのかな……関西弁とか、もしかして今人生で初めて口にしたかもしれない。
 初関西弁だった。
 おそようございます、補習での出来事は、まあ省いてもいいだろう。

   3.

 ――人という生命は、どうやら不条理に徹するつもりのようだ。
 ――ねぇ、知ってるかい? きみは人間じゃないんだよ。
 ――畏怖の念? きみは、たかが神にひれ伏すのかい?
 夢。
 人偏に夢と書いて、「儚い」と読む。なら、今私の情は、その類だろう。
 夢。
 最近、ほとんどそうだ。夢に、ある少年が出てくる。
 小学校低学年ほどの顔持ちや体躯、たらこ唇で、ものつまらなそうな表情。
 その少年、坊やが、前述のような戯言をいくつもいくつも、私に投げかけてくるのだ。
 たかが夢。それは儚く消えていく。しかし、それが毎日続いている……。
「はぁ……」
 今朝も、溜息から一日が始まった。溜息そのものは儚く消えてなくなるが、その情というものは、どうだろう、人偏に夢と書いて、「儚い」と読む。だから、どうやら情というものは夢のように鬱陶しくつきまとうものらしい。
「わたし、中二病なのかなぁ」
 口に出して言ってみる。高一で中二……。
「今頃気付いたか」
 とっさに声がした。が、さして私は驚かない。この前のナンパとは違う、この声は嫌なほど、それこそ耳に録音機でも付けられているように、いや、憑けられているように聞いている。
「いたのか、我が姉よ」
「失敬な、妹とて許さぬ」
「あーーーーーれーーーーー」
 馬鹿な姉妹だった。
 くるくるーと、それこそ着物の帯を引っ張られたように回る私。
「はっ、まさかそこまでノリのいい妹だったとは……恐れ入った!」
 馬鹿な妹と、それに感心する結局は馬鹿な姉が、そこにはいた。
 と、ひらひら。宙を舞う、謎の生命体が――
「なにが生命体や! ただの紙切れやんけ!」
「だから! なんで脇役が主人公のモノローグ分かるのよ! てか、お姉ちゃんなぜに関西弁なんだよっ」
「あ、何が脇役やっ! 実は主人公はウチやねんでー」
 ああ、なんだこのウザキャラ。
 もう、脇役も辞めてモブキャラになってしまえ!
 と。
 その紙切れ。
 ふい、と手を伸ばす。
 ふい、と手は空を切る。
 ふい、と姉がつかみ取る。
「なにこれ? ……、『枕ノ宮大学オカルト部成功祝賀会』?」