感想公開:2017.08.16(テンミリオンオリジナル小説投稿板)
※ネタバレを含みます。


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作品情報
作者名:フィンディル
題名:砂漠
作品URL:http://cosmo.deci.jp/shiftup/flash/sim/newbbs/patio.cgi?mode=view2&f=20019&no=59-63
備考:「テンミリオン」二次創作、第10回お題執筆会参加作品

感想

 構成に隙のない、よくできたエンタメ小説だ。
 現代に伝わる100年前の英雄譚「テンミリオン」と、それをもとにしたフィクション、ゲーム「テンミリオン」。両者の違いを話す、二人の会話から物語は始まる。
 英雄譚を読んでいる一人は、英雄譚ではエルフとアマゾネスが戦争をしていないこと、討伐隊が峡谷から雪原へと直行していることを話し、二人は後者について疑問を口々にする。
 そして物語は100年前、討伐隊が砂漠にいるシーンに舞台を変える。砂漠での戦闘と、ビオレトとの出会い。それらを書き記したマゼンダの旅日記と、真実。
 最後に100年前を知らない現代の二人に場面が戻り、物語は終わる。

 1ページ目後半から始まる戦闘はビオレトと出会うための間接的なきっかけとなっており、マゼンダの旅日記を載せている場面もビオレトへの疑惑を読者に匂わせるため、そしてまた後の隊長命令を魅せるために欠かせない要素となっている。冒頭とラストでなされている現代の二人の会話も、作品に奥行きと時流を感じさせるのに成功している。
 すべてのセクションが他のセクションを補うために機能しており、その点で実に隙のない構成だ。
「砂漠」というタイトルも、ビオレトの栄誉のため、該当する旅日記を破棄した様子をすべてを覆い隠す砂に喩えているような、巧いメタファーになっていると思った。

 冒頭の「特に最後の魔王戦は大賢者マゼンダの心の猛りによる大魔法がすごくてすごくて。それほど魔王討伐に魂を捧げてたんだなあってこっちまで熱くなる」という台詞が、マゼンダの脳裏に焼き付いたビオレトの存在を思わせる。他にもいくつか見受けられたが、「それほど魔王討伐に魂を捧げてたんだなあ」と、台詞の主からは実際とは異なる解釈をされているギャップが、時代の流れを思わせ、さらなる余韻を生み出している。
 また冒頭では、アマゾネスが実際には仲間になっていないこと、それなのにアマゾネスに対する記述が多く含まれていることが示されていた。
 最初これは史実(英雄譚)とゲームの違いを見せるための単なる一例で、冒頭に置くには少々無駄な叙述ではないかと思っていたが、マゼンダがミドリに対して、ビオレトと通じるものを感じたのかもしれないと思うと、嵌るものがあった。
 マゼンダは旅日記でビオレトのことを「頼りになって優しいお姉さん」と記しているが、もしミドリがゲームや我々が多くの二次創作でイメージする通りの姉御肌であるのなら、マゼンダは後にジャングルで出会う彼女にビオレトの面影を感じ、愛着を懐くのではないかと思ったのだ。「露出の多い装備」というのも、ミドリを連想させる一要素になるかもしれない。
 また、ビオレトという名前は、おそらく紫色を指すVioletから来ているのだろうが、この命名は同じく色を由来にするマゼンダと、そしてミドリとのシンパシーを感じさせる。
 そう考えると「英雄譚でもアマゾネスに関する記述自体は多かった」という話は、無駄な叙述ではなく、ビオレトの存在がマゼンダの脳裏に強く残っているからこその記述だったのではないかと予想できるのだ。

 また、現代と100年前とをスムーズに場面転換させるために、本作ではふたつの工夫が見られた。
 ひとつがいわゆるタイトルコールだ。冒頭の現代の会話と、砂漠での戦闘シーンをスムーズに繋げるために、作者はタイトルを本文の一行目ではなく、両幕の間に設置している。
 空行を入れたり、なんらかの記号で済ませたりするよりもよほど上手な繋げ方で、洒落ている入れ方だ。
 またもうひとつが、次のような会話の差し込みだ。

「勇者ブロントの心の声が」「僕にははっきりと聞こえるなぁ」『我々は峡谷を越えて雪原へと進む』

 同一人物の台詞を、わざわざ鉤括弧でふたつに分割し、かつ同一の行に落とし込める。そして彼なりに想像する勇者ブロントの声を挟む。この特殊な形式は、冒頭ではさほど効力を発揮しないが、遅効性の毒のように終盤で再び現れることによって、見事に現代へと引き戻すスイッチになっている。地味な手だが、効果は大きい。素晴らしい一行だ。
 このふたつの工夫によって、現代のセクションが不自然に浮くことなく、作品の一部として機能することができている。

 戦闘シーンも、内容は良く練られていて、とても面白く読めた。
 魔法で道を開くマゼンダ。それを塞ごうとする白蛇たちを堰き止めるジルバ。堰き止められた白蛇の塊へと魔法を放つティンクとマゼンダ。それによってダメージを受けたジルバへすかさず回復に向かうテミ。
 不安定な砂地を根城にするゴブリン。それをものともせず近づくリンと、暗器として白蛇を繰り出すゴブリン。攻撃を受けるも瞬時に回復し、ゴブリンを根城の外へおびき出すリンと、不意打ちを決めるクロウ。
 そしてアルゴに対する総攻撃と、それらを可能な限り受け止めるアルゴ。攻撃と防御の応酬が読んでいて心地良く、そして無駄がない。良く練られた戦闘内容だった。

 真っ黒な水を湛えた湖に、巨鳥が巣食う丘に、人を飛ばす上昇気流が発生する草原。[中略]
 魔王討伐の旅が終わったらそんな旅をしてみたいな、と思った。

 という叙述や、

 テミが回復しようとしたけど、ビオレトはそれを断って自身で回復魔法を行使した。

 という部分も、ゲームに上手くなぞらえられていて面白い。前者はゲームクリア後に追加されるステージについて。後者はゲームでは敵軍キャラに回復はしてやれないというシステムについて、連想させる。
 原作の小要素を取り込むのは二次創作の上手いところであるし、この作品のようにゲームそのものが登場している場合、その小要素がそのまま作品の構造にも貢献される。
 また後者は、魔王とリンクしている体をテミに回復してもらうことに後ろめたさを感じたのだろうとも思わせる文になっている。一文がいくつもの効果を生み出しているのは上手いものだ。

 次に、特に上手いと思った表現を挙げる。

 そこでビオレトはひとつ息を吐いた。強い風が吹いて、遠くに見える砂丘の頂が削れる。砂粒が波打った地平線にかかって、夜空にスクリーンを張る。彼女はただそれを見ていた。

 この一連の描写だ。本作で最も好きな描写だ。
 一文一文が次の一文を生み出すための土台となっている。息を吐き→風が吹き→砂が削れ→砂粒が波打ち→スクリーンを張り→それを見ている。
 もちろん何事も物事には順序があり、きっかけはあるものだが、この表現はそれを切り出すのが巧い。
 他の作品を例に挙げるなら、「めっちゃ! 甘美なテンミリ祭り!」に投稿された同作者の、「世界に、深いジャングルがあった」から始まる無題の作品が近い。一文が次の一文を生み、その文がまた次の文を生む。
 こういう描写を、有機的にはたらいている文章というのであろう。

 また、

砂漠は昼は暑いけれど夜は寒い。ビオレトによると、雪原が隣接しているからなおさら夜は冷え込む。そしてここ数日、冷え込みの厳しさはもはや氷雪気候のそれだ。

 という叙述も上手い。
 きちんと討伐隊は雪原に近づいている、すなわちビオレトは討伐隊を陥れ迷わせるつもりはなく、本当にブロントの要求通り雪原へと案内していたことを示している。
 気候という事実のみを叙述して、ビオレトの真意を汲み出すことに成功している。上手い手だ。

「それは蜂の巣にあったんだー!」
「ティンクちゃんが拾ってくれたんだねぇ! ありがとうねぇ!」

 もささやかながら叙述トリックとして成立している。「蜂の巣にあったんだ」と言っているのだから、そこで拾ったことも言ったのだろう、とついつい脳内で保管してしまう。
 読者の盲点を突いた堅実なミスリードだ。

 以上のように部分部分を切り取ってみると上手い表現も多かったが、しかし本作の文章は、あまり叙述の取捨選択がなされていないように思われて残念だった。

 たとえば砂漠での戦闘描写。
 登場人物全員に役割を持たせ、最後に首魁に向けて(マゼンダとテミ以外)総攻撃を入れる戦闘内容は素晴らしいものだったが、一文一文の密度が濃く、文章に余裕がない。一呼吸置かせる文を都度入れてほしかった。
 たとえば「爆風が砂を巻き上げ周囲を抉った。」という文を出したのなら、そのまま陣形の話に入る前に、“抉られた窪みに周囲の砂がなだれ込む。”とでも書けば、砂漠の雰囲気や爆発の威力が伝わりやすい。
「沈下する砂地においては上手く駆け出すことも蹴り上げることもでき」ないと書いたのであれば、回し蹴りの軸足が沈んでも体を支えられるバランス感覚と、砂をも蹴り上げる脚力を示した方がより映えるだろう。「下馬評は所詮下馬評」でリンの身体能力の高さを表しているようだが、三人称の語り部に「下馬評」をさせるのは不格好極まりないうえ、説明を放棄しているようにも見える。
 描写自体はきちんとなされているが、戦況や戦術、行動の説明を兼ねるための描写ばかりで、空気感や雰囲気は軽んじられている。戦闘内容に分量を割きすぎていて、目を滑らせられない文章になっているように思う。
 そのくせして「火球いや回し蹴り」「下馬評は所詮下馬評」「ひゅひゅん!」「後!」「過たず撃たれた矢は分厚い翼すらも貫くだろう」といった、目を滑らせるような浮いた叙述が多いのもちぐはぐした印象を受ける。
 特にブルースの攻撃シーンが酷く、文章の勢いを計り損ねたかのような「ひゅひゅん!」や「後!」、今までの文章の流れを堰き止める「~だろう」という予測が、読むのに苦痛を強いる。無駄な叙述は省き「後方でアーチャーが構えを解いた」だけにしても内容は理解できるうえ、ノイズがないぶん、わかりやすくなるだろう。
 戦闘内容を前面に出した平易で読みやすい叙述と、部分部分で遊ばせている浮いた叙述とが混在していて、あまり気持ちのいい文章ではなかった。

その瞬間、砂から何かが飛び出す。何故砂漠にこの魔物が? との違和感は戦闘中、皆が抱いた。が、実はこの魔物は地中に潜る能力に長けていた。そう、砂中からキラースネークが奇襲を仕掛けてきた!

 にも、読んでいて頭にハテナが浮かんでいた。砂漠に蛇がいたらおかしいのだろうか。確かに足場の崩れやすい砂漠では通常の蛇は進みづらいだろうが、だからといって「戦闘中、皆が抱」くほどのものとは思えない。同じ理由で「実はこの魔物は地中に潜る能力に長けていた」の「実は」も不格好。
「仕掛けてきた!」も、「仕掛けてきたのだ」など、表現を落ちつかせても良い。文章がひとり勢い先走っているように感じられる。

 マゼンダの旅日記に出てくる

討ち漏らしはないとは思うけど……。

 という記述についても、入れた意味がわからない。別小隊がいるのなら、討ち漏らしがなくてもアルゴたちの軍が撃破されたことは魔物側も気づくはずで、敵の警戒が強まるのと、討ち漏らしの有無との関連性は薄い。

 また、終盤の

リンが叫んだ。声とともに砂のスクリーンは空高く広がり、輝く黄月を取り込んで朧月夜となった。深い藍の夜はくすんで、満天は砂衣に紛れる。滲んだ月光、斑の群れ雲。星を眩ませる大地の風は黄褐色に、その奥深くで流れる天空の風は灰褐色に。右へ左へ吹き乱れる低彩度の虹。停滞に見える急速が、刻一刻と凍結していく。砂と塵が仲立ちして生まれた愛の冷たい塊か、厚く曇った白砂がさらさらりと零れる。もう月はない。永遠の夜の中、灰色のスクリーンに覆われてちらちらりと落ち続ける。灰藍の蓋の下に寒風が荒び、締め付けられた空気が冷え込む。雪が降る。金属質な静寂が周囲を支配している。美しい景色は生命を凍らせたようだ。雪が降る。夏を捨てた土地は何年何十年と雪床を剥いだことがない。雪が降る。白い息を吐いて手を少しだけ温めた。

 この部分もすべて省いて構わない。
 あるいは中間だけ省いて、
“リンが叫んだ。声とともに砂のスクリーンは空高く広がり、輝く黄月を取り込んで朧月夜となった。
 雪が降る。白い息を吐いて手を少しだけ温めた。”
 としても問題はない。上の方で有機的な描写について挙げたが、それが持っているせっかくの良さを殺してしまうほど、この文章は退屈だった。
「数日が経った」とだけ書けばいいものを、無理に描写だけで表そうとして、そして見事に失敗している。
 リンの叫びとともにカメラワークが上空に上がり、気候の描写とともに時の流れを表し、最後にマゼンダの白い息に着地していることそれ自体は悪くないが、冗長。
 そのうえ「美しい景色は生命を凍らせたようだ」といった曖昧な表現や、「雪が降る」の無駄な連続など、文章の質を損なう部分も多い。(「雪が降る」を連続させたからといって、時の流れを示す表現になっているとも思えない。)
 また「夏を捨てた土地は何年何十年と雪床を剥いだことがない」地域まで既に到達しているのに、ブロントに「俺達は峡谷を抜けて雪原へと進む。」と言わせているのも、ちぐはぐだ。この台詞は現代セクションとの橋渡しにもなっている重要な台詞のはずだが、雪原にほぼ辿り着こうという時点に「俺達は峡谷を抜けて」なんて言うだろうか。砂漠を経由した事実をなかったことにして、峡谷から雪原へと直行しているのだという意味でもし言わせているのなら、土地のセッティングが疎かであるし、ビオレトと出会ったときの、「砂漠を抜け」て雪原に向かうのだというやり取りにも矛盾が生じる。
 上の内容をどうしても見せたいのなら、他の文章との整合性を精査し、無駄なものは省き、より描写に磨きをかけたほうがいい。

 上に引用した長い描写が不要であるのは、もうひとつ理由があると思われる。
 そもそもあれだけ力を入れた描写とカメラワークをしたからには、そこに至るまでのなんらかの前提が設置されていなければならない。何の初動もなく急加速を出すことはできない。文章に盛り上がりを見せたいのなら、文章であれストーリーであれ、盛り上がるまでの過程を作らねばならない。本作の場合、「リンが叫」び、上空への描写とカメラワークに移る(=盛り上がらせる)ための前提に、いわゆる悲劇的なストーリーが設置されている。ビオレトの自害だ。
 しかし、その設定がこれまた中途半端なのだ。なぜビオレトが自害したかといえば、マゼンダの「一緒に魔王を討伐しない?」という好意に応えるには、その方法が最も効果的だとビオレトが判断したからだ。
 なぜそう判断したのかといえば、魔王の娘であるビオレトは「脳以外の器官を魔王本人と共有して」おり、ビオレトが怪我をすれば「魔王も怪我をする」と本人は考えているから。この設定が、自害するうえで根幹の設定である割には、ぞんざいに扱われているようにしか見えなかった。
 まずその設定が明かされてから自害に至るまでの間隔が短すぎる。ビオレトが正体を告白し皆へにこりと笑いかける、それだけの叙述で自害に至るのだ。しかも正体を告白する台詞の連続では、「魔王の娘」であるという設定は、何度も言い方を変え、ビオレトの口から説明とディテールが述べられているのに、「魔王も怪我をする」ことについては、たったの一度しか言及されていない。
 もちろんビオレト本人はこの「魔王も怪我をする」という設定について、何度も悩み、自害する自分のイメージを抱えていたのだろう。そしてマゼンダの告白と、クロウの告発がきっかけとなって、決行に至ったのだろう。
 それは容易に想像できるが、それはビオレトの心情面をマゼンダの旅日記でうまく挟み込めていたからだ。(「ビオレトはテミの回復魔法の回復力を細かく聞いていたみたい」はテミの回復力を把握しておいて、テミでも回復できない方法で自害しないと失敗するおそれがあると用心したからであろうし、作中でも指摘されている通り「私は一緒に戦ってもお金は払わせないから安心してちょうだい」は監視者としての自分に気付いてほしかったからだろう。)
 自害に対する布石はきちんと打てているのに、なぜ「魔王も怪我をする」という重要な設定については何も触れることなく、最後にぽっと単品で出してしまったのだろう。
 たとえばマゼンダの旅日記に、マゼンダのおかずをビオレトが貰うシーンがあるが、そこで「私が食べても、この味はマゼンダには伝わらないんだよねえ。それが普通なのにねえ」とでも零させることもできる。たとえば寝袋を修繕してもらったことについて何度も感謝するビオレトに対して、リンに「そんな穴の開いた寝袋で寝られたら、見てるこっちまで寒くなるからね」とでも言わせて、ビオレトに神妙な反応をさせることもできる。(もちろんこの例では読者に察せられやすく別の点で問題が出てくるかもしれないが。)
「魔王も怪我をする」設定を突然出してしまったために、「私が魔王を討伐するよ」という台詞が弱まってしまい、いまいち盛り上がりに欠けている。
 というのに上の通り描写とカメラワークはひとり張り切っているのだから、ちぐはぐだ。しかもその描写でさえ、指摘した通り、分量は出ていても洗練されていないという、中途半端な結果になっているのだ。

 総じて本作は突然感嘆符を出して文の勢いを空回りさせていたり、順を追うように叙述されていたものに急に「だろう」「ようだ」と推定の文を入れて流れを悪くしたり、布石の打ち方が一方に偏っていたり、作品のためになっていないにもかかわらず遊びきれてもいない文が見受けられたりなど、文章が中途半端だった。

 しかしそれは文章のことであり、上述した通りストーリー構成はよくできていたと思う。
「何で『テンミリオン』なんだろうな」という発想で話に余韻を持たせたのは見事な限りで、マゼンダのせめてもの苦心が感じられる。
 ビッグタイトルで話を締める。二次創作の王道だが、近頃ではあまり見られないためか、一周回って新鮮味を感じる。とても面白い余韻だった。

 感想は以上だが、以下細かい部分について箇条書きで少し。

・“勇者達は百年前に実在したんだぞ。”
 不要な文。わざわざ説明しなくても伝わるうえ、読者に向けて話しかけられているような違和感がある。
「勇者達」を“フィクションに登場するが、現実にも実在した歴史上の人物”だと相手に説明するために出てきた台詞だろうが、勇者達が現代でどの程度の認知度にあるのかバックボーンが示されておらず、わざわざ説明しなくてはならないのか? と疑問が浮かぶ。
 どうしてもこの説明を入れたいのなら、英雄譚を読んだほうではなく、読んでないほうの人物に「へえ、勇者達って実在したのか」と言わせたほうが自然。

・“詠唱。衝撃。爆発。”
「衝撃」ではイメージがつきにくい。どのような衝撃なのか?
「熱風」「閃光」などのような、魔法が発せられてから爆発が生じるまでの具体的なイメージが欲しい。

・“泡芥のように白く飛び散る。”
 上手い表現。「泡芥」は造語なのだろうが、造語という印象も抱かせずに、文章に馴染んでいる。
 泡も芥もイメージがつきやすいうえに、泡にはもともと弾けるイメージが付与されているので、爆発と相性が良い。

・“白蛇”と“キラースネーク”の混在
 一応書き残しておくが、これを表記のブレとは感じなかった。感覚的な話だが、文章に応じてしっくりくる使い分けができていればそれで良い。
 本作は「しっくりくる」混在だった。

・“巨大な太陽による間断ない日照り”
 修飾でぼかされているが、「太陽による日照り」と書くとわかるように、語義が重複している。
「巨大な太陽が間断なく光(熱)を注ぎ込んでいる」など。

・“白の群れが重騎士とぶつかって形を膨らませた”
 上手い表現。「形を膨らませた」というのが良い。
 堰き止められると確かに行き場を失ったエネルギーは空いている上に行く。物の動きを見事に表している。

・“故意フレンドリーファイア”
 自分の中で賛否両論。「故意同士討ち」でも良かったような気はするが、確かに「フレンドリーファイア」のほうが目につきやすく、無用な誤読(仲間割れ、戦術ミス)を防ぐ手助けにもなっている。
 しかしだからといって、文章の雰囲気に合っているのかといえば、微妙なところだ。何度も読み返していると違和感は薄れていくが、最初読んだときは表現が浮いているように見えた。「目につきやすい」というのも、結局は浮いているからもたらされる印象なのだろう。

・“僧侶が走っていった。”
 回復するため、とは書かなかったのが上手い。役職名を応用して無駄な叙述を抑えることに成功している。二次創作的上手さ。

・“取ってしま、火球、直撃”
 戦闘描写に対する感想でいくつか不要な叙述を挙げたが、この表現については、少なくとも悪くない。
 無用に勢いを出して空回りしているわけでもなく、前の文章のテンションをそのまま引き継いで遊べている。後の展開からリンたちの機転の速さを思わせる叙述にもなっている。

・“否、数瞬の間に回復していたのだ。”
 クロウが即座に遠回復の杖で回復したのだろう。
 攻撃を受けて敵をおびき寄せる戦法といい、戦術が柔軟で、リンとクロウの戦闘内容はうまく噛み合っていて好みだ。

・“背後から襲うミスリルの剣が魔物の意識を断った。”
 この時点ではまだブロントが戦闘に参加した様子が描かれていないため、「ミスリルの剣」の主がクロウであるとすぐには判断できない形になっている。「リンとクロウは頭に行くぞ!」という台詞があるため、頭とはキラースネークを操る「後方」のことであり、リンと同じくクロウも「頭」に向かったため、このミスリルの剣の持ち主はクロウである、と推断することは可能だが、まどろっこしい。「ミスリルの剣」を「聖騎士の剣」としたほうが文の通りは良くなるだろう。

・“アルゴ”
 上述の「僧侶」と同じく、無駄な叙述を防ぐため命名したのだろう。
 ありそうな名前だったため調べてみたが、本家ゲームにもミッションにも登場していない。ありそうな名前、というのがポイント高い。

・“狼の牙のような爪と嵐のような翼”
「狼の牙のような」という表現は上手い。イメージがしやすいうえ、狼と関連してその獰猛性を連想することもできる。
 しかし「嵐のような」という表現はよくわからない。こちらは「狼の牙」とは異なり、絵的なわかりやすさよりもその猛々しさを印象付けたかったのだろうが、ちぐはぐな印象を受ける。もっと上手い比喩があったはず。
 あるいは“嵐を起こせるような翼”だろうか。いずれにしてもイメージしにくい。

・“魔物が自由な方の爪を突き出す”
 おそらく作者の意図によるものではないだろうが、「アルゴ」ではなく「魔物」と書いたところに、先の「狼の牙」を連想させるものを感じ、「爪」の狂暴性が良く出ている選択になっている。

・“蹴りを振るう”
 辞書を引いたところ語義的には間違っていないようだが、蹴りは「振るう」ものなのか? と少し違和感あり。

・“翼で屋根をする”
 良い表現。

・“マケをミトめるしかないだろう”
 カタカナにしたのが、魔物らしさとアルゴの苦々しさが出ていて良い。

・“ここは砂漠。”
 何か文を入れて文章を引き締めたかったのだろう。悪い表現ではないが、上手い表現ともいえない。

・“ジルバの猛抗議”
 ジルバは「俺って別にいなくてもよくねぇ?」としか話していない。「猛」というほど抗議しているようには見えない。

・“発案者のテミ”
 容赦のないテミ好き。

・“ティンクの頭を指で撫でる”
 ティンクの大きさを示している丁寧な表現。

・“仮にリンが外したとしても荷物袋に入るだけだろう”
 なぜ?

・“私何もしてないけど。”
 好き。

・“気力を振り絞って砂漠を越えよう”
 ビオレトの叱咤の言葉と、日記の最後の一文を対応させているのが上手い。ビオレトへの、マゼンダの信頼感がよく表れている。
 それだけに終盤のマゼンダの反応が映える。

・“四月二十五日”
 マゼンダの日記の連続から、地の文へと移ったことをうまく示しているうえ、日記と同じように日付を表し、それを漢数字にすることで、視覚的なおどろきを与えることもできている。
 良い文章の遊び方だった。

・“火花が散って、”
 不要。

・“青の眼光”
 クロウの目の色が、魔王の赤い目と対応しているのは面白い。
 本文とは直接関係しない部分ではあるが、この小さなディテールが直後のクロウの告発へとつながる。

・“疑義を流す”
「流す」というと、物事を引き起こしたり広めるといった意味合いの他に、なかったことにする、お流れになる、といった意味にもとれる。
 ここは素直に「疑義をただす」「疑義を露にする」などで良かったのでは。

・“そして今、渡されたボールをビオレトが握った。”
 なぜここでボール? もっと適した比喩があったはず。

「マゼンダ」
 揺れるようにマゼンダがビオレトを見る。やはり優しかった。
「私が魔王を討伐するよ」
 ナイフを取り出す。誰よりも早くテミが気付く。「駄目です! 駄目です! 誰か!」許してねぇ、お母様。

「やはり優しかった。」と「許してねぇ、お母様。」の二文が喧嘩している。行末に登場人物個人の一人称的な思いを載せる手法が連続しているが、前者はマゼンダによるもので、後者はビオレトによるものだ。三人称の文章に一人称的な叙述が含まれること自体は上手く使えていれば問題ないが、その叙述が短い間隔で複数人が混在しているとなると、文章がちぐはぐになり上手いとは言えなくなる。
 内容の重要度でいえば、「許してねぇ、お母様。」を活かすために、「やはり優しかった。」は省いてしまっても良いだろう。
 しかし「やはり優しかった。」も、その前にある「つまり、ビオレトの顔は優しかった。」と対応している上手い文ではあるので、惜しいところだ。

・“落ち着いたようだな、マゼンダ。”
 文頭一字下げ。

・ビオトレがいてもいなくても、もともと討伐隊は雪原にいくつもりだったこと。
 英雄譚をもとに当時を想像する100年後の二人と、実際とのギャップが出ていて良い。

 以上です。執筆おつかれさまでした。


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