トップへ戻る目次へ戻る


第五章

一.
 眩しくてなにが起こったのかよく分からない。
「どうも。とりあえず成功したみたいですね」
 印の声がした。玄関に印がいる。
「なにしに来たんだ」
 俺は目をしょぼつかせながらも、そう声のしたのほうへ言い放つ。
「なにって……仕上げですよ。最後の仕上げをね」
「仕上げ?」
 目が光に馴染んでくる。目を開け放ったら、すぐ目の前に印はいた。
 一歩後ずさりする。
「オウギさんもアキさんも、せっかくの春休みは遊びたいでしょ」
 印が一歩近寄る。
「だから僕が、お二人を一生春休みにしてさしあげようと思いまして」
 歪曲していた空間は、いつの間にか正方形になっていた。
「……なにをするっていうんだ」
「例えばですねぇ……『アキモトくんはクズじゃないよ!』とか」
 は――美鬨がそう声を漏らしたように聞こえた。
「『アキモトくんと密会』とか」
「なに? アキって他に女いたの」
「いない、が……」
 印の顔を窺う。
 美鬨はその場にいなかったから知らないだろう。いや、印もいなかったはずだ。もしかしたら印、もう既にあのときからバス停にいたのか?
 どちらの台詞にも聞き覚えがある。聞いたときは、別になんとも思わなかった。アキモトという姓は、探せばいくらでもいる。
「そうですよ。そのアキモトはあなたと同一人物ですよ」
 明るい部屋で考える。
 そのアキモト。それは端唄の語りででてきた、端唄の友達のカレシのことだ。友達が「アキモトくんはクズじゃないよ!」と発言していることから、そのアキモトも端唄の同級生であると分かる。……つまり、端唄と同じくバスに乗って妖精に襲われた人物。そのアキモトと俺が同一人物だということは……。
 ――おかしい。
 俺は中学生のころの記憶だってある。妖精の事件があったのは、年代は分からないが、端唄らが高校二年生のときだ。高校二年生の初秋といえば、俺は都会でぐうたらと過ごしていたはずだ。俺の学校は、確か修学旅行は年度末近くにあった。
 印の言っていることはハッタリだ。
 なにを企んでいるのか。
 美鬨を横目で確認する。美鬨も俺と同じようなことを考えているらしい。目が合う。
「僕は端唄が好きでした」
 俺たちの目配せを気にすることもせず、印はそう堂々と言った。本人はもういないというのに。いないからこそ堂々になれるのか。
「……それはもう終わった話。最後まで想いを伝えることはできませんでしたけどね」
 印の頭はフードを被っていない。
「それはもういいんです。いなくなってしまったんだから、もう仕方ない。だけど僕やあなたたちは、まだ存在しています。それなら前を向かないといけない」
 印の顔は自信満々としていて誇らしげだ。端唄がいなくなったことが、印を堂々たらしめているように思える。……吹っ切れたんだな、要するに。
 しかし、よく話の筋が見えてこない。この部屋は光で溢れているというのに、印の話す内容は、まだ暗い。暗いだけならいいのだが、落ち着くような静寂もないのだから面倒だ。
「……アキさん、そもそも、この町はどんなところですか?」
 印がそう切り出してきた。だが質問の趣旨が分からない。
「田舎だ。その言葉がよく似合う。……山に隠れているのかなんなのか知らんが、バスに乗らないと町を出ることもできない」
「そうです。その通りです」
 印は言う。大仰に両手を広げて。
「そうだ……端唄のイヤホンの話を先にしておきましょう」
 美鬨がその言葉に反応する。電灯の光が当たって、白い肌は潰れるように明るい。
 依然として、部屋は正方形だ。
「あのイヤホンは、選別の手段だったんです」
「選別?」
 美鬨が言う。この話は、その真偽に関わらず聞いておきたいのだろう。
「端唄のあのイヤホンから流れる音は――端唄の同級生には伝わりません。逆に言えば、端唄の同級生でない人――つまり、バスの事故で死んだ人以外――は聞こえます。それを、僕は『神の声』と呼んでいます」
 一旦、印が言葉を切る。俺たちの顔色を窺ってから、また口を動かし始めた。
「『神の声』が聞こえた人たちは『真実』を知って、生きることができなくなってしまいます。まあ、もともと生きていないだけなのですが」
 美鬨の話を思い起こす。美鬨の両親が殺された。星下端唄に。イヤホンをつけられて。
 ――端唄の同級生ではなかったから。
「この町は……端唄の同級生のための町なんですよ」
 印は広げていた腕を元の居住まいに戻す。どうも腕は自分の居場所に悩んでいるようだ。どこにいればいいか分からない。
「というか、この町は死後の世界なんです」
「死後の……?」
 美鬨が呟く。
「そうです。死後の世界。まあそうは言っても、ここは、あのバス事故で亡くなった人たちだけの世界なんですが」
 印がつらつらと言い続ける。
「この町は心を失って天国にも地獄にも行き場を得られない――僕たち人形や魔法使いなんかのための町なんですよ。だけど人々は、そんな自覚もなしに町に住み始めた――。すると人たちが持つ共通観念が、足りない人員を補っていって、星下小唄のような、想像で創られた人間が町に――」
「おい」
 俺は言葉を遮った。遮るしかなかった。
「まるで理解できない。つまりどういうことなんだ? 俺と美鬨が、端唄と一緒にバスで死んでいたっていうのか?」
「そういうことです」
 印は臆面もなくそう言った。殴りつけてやりたかった。せめてフードでも被って顔を隠してくれはしないかと思った。俺はどうにか拳を固く握り締めて行動を堪えた。
 俺は訊いた。
「俺たちは既に死んでいて、この町は死者の町だっていうのか」
「ちょっと違います。アキさんたちはもう死んでいる『真実』だけど、現にあなたたちは、まだ生きている。存在している。『事実』としてね」
 まるで美鬨が、オウギの姿のときに言っていたようなことを――。まるでどこかで聞いていたように印は言う。
「だから、オウギさんの話は、本人は嘘のつもりだったようだけど、あながち間違いではありませんでした。『真実』と『事実』の理念は、魔法使いとしては常識ですからね。でも、まあ、オウギさんが魔法使いだというのは、ただの幻想でしかなかったのですが」
「……え」
「オウギさん、あなたを魔法使いにしたのは僕です。こうなる日――端唄がいなくなってしまったときのために、保健としてあなたに魔法を与えたんです」
 部屋は明るい。だが俺にとって、なにも見えない闇のほうが心地よい。要するに今の状況は苛立つだけだ。
「それと、この町が死者の町だということも間違いです。この町にいる人は、大きく分けて二種類います。まず、アキさんやオウギさん、それに僕なんかの人間。この人間は、実際に生きていた頃があって、アキさんやオウギさんはその頃の記憶がないだろうけど、ともかく今は死んでいるということ。もう一種類は、その死者たちが想像で補足した人間です。……ちょっと難しいですが、人って固定観念に捉われると、それを具現化したりするんですよ。身近な例で言えば、三つの点があれば人の顔に見えるとか。……そんな感じで、大学には教授と生徒がいて然るべきだとか、子には両親がいて然るべきだとか思ってしまう。そして、この町の場合、それが現実になってしまう。ここの住人が、自分のことを死者だと認識できていないのが原因です。この町を町だと信じて疑わない。だから、生活していてありえないことは押し込まれて、改変されて、架空の人間が闊歩するようになる」
 一気にそう言いのけて、印は少し息を切る。沈黙が流れ、また印がそれをぶち壊す。
「あなたたちの記憶も――特に高校二年生以前の記憶も――別に嘘偽りというわけではないんです。あなたたちは、妖精に襲われて、バスの事故で死んでしまった。その後、人生をこの町でやり直すことになった――。端唄だけは、ずっとあの姿でバス停にいたみたいですけど」
 俺は電灯を切った。印の顔を見るのが苦痛だったからだ。
 印は少し戸惑ったような声を漏らし、落ち着いたのか、また話しだそうとした。口を開く不快な音がする。
「つまり」
 俺は言った。もう印の話を聞くのはいい。真偽はともかくとして、印がなにかを話しているということは伝わった。要するにどうでもいい。
「つまり、俺がこの春休みに巻き込まれた出来事は、そもそも根本から偽物だったということでいいんだな」
「……そういうことですね。そして犯人は僕です。端唄をこの町に連れてきたのは僕。あなたたちに見つけてもらうように、紅いハンカチを自動販売機の下に隠したのも僕です。端唄が選別した偽者の人間や、オウギさんが殺した二宮寛治や倉木蘭くらきらんを、他の人に見つかる前に処分したのも僕だ。――あ、オウギさんは頑なに『殺す』のではなく『壊す』のだみたいなこと言ってましたけど、あれ、結局どっちも同じことなんで。人形であっても人間であっても、もともと生きてないですし。手の平から出した棒で殺した女の子――あの子にもちゃんと、倉木蘭っていう生前の名前がありますしね」
 堂々とそう言う印。まだ謎解きもなにもしていないというのに、自分から犯人だと名乗り上げられても、どうすることもできない。
「なんでそんなこと……」
 美鬨が、小さくそう呟いた。
 印がわざわざそれを拾う。
「最初言いましたけど、僕は端唄が好きだったんです。生前のある出来事でね。そのためです。端唄にとって都合のいい町で、端唄に自由に存在してほしかった。そのためにオウギさんを魔法使いにした。町を完全な天国に創り上げたかった」
「だが俺たちは、端唄を地獄に送ってしまった」
 俺の言葉に、印は力なく頭を動かす。頷いたのだろう。暗闇だからよく見えないが、きっと目を瞑っている。
「計画は順調だった。死者以外を排除して、完全に外界を隔絶すれば、天国が――端唄の楽園が創造できるはずだった。……だけど失敗だ。もう端唄は帰ってこないんです。永遠の業火に焼かれ続けるんです。もうこの町に存在意義はない。それでも町が消えることはない。ここはまだ、誰の『領地』でもないのだから」
「それをなぜ、俺たちに明かしたんだ?」
「……この町は確かに死後の世界ではあるけれど、別に天国でも地獄でもありません。地上です。幽霊が心霊写真に写るのは、その霊が地上にいるからでしょう? それと同じで、この町も、地上の町です。だから星下小唄は、ここからバスに乗って海外に行くことができた。――ああ、あれは別に偽りの記憶とかそういうんじゃないんです。偽りなのはあくまで経験であって、記憶自体は、実際にやったか否かは関係ないというか……。それだからともかく、真相を打ち明けて、あとは自分たちでどうにかしてほしいって話なんです。仕上げですよ、仕上げ。僕はもう、なにをする気力もない。星下端唄のためだけに魔法使いをやってきました。僕がすることは、もうありません。ただこれを、あなたたちに伝えるべきだと思った。それだけなんです」
 印が電灯をつける。



トップへ戻る目次へ戻る