●PG12

 この作品は流血などの残酷描写や、倫理に反する表現、意図的な誤謬表現などを含んでいます。


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 兄は顔を上げました。顔を背かれたからといって、地面が悲しむことはありません。
 兄の視界には、はっきりと舞の姿がありました。兄と同じく黒髪にクセがあります。それは喩えるなら、藻類生物のようです。波に揺らぐ藻のように。
 舞は兄の姿を見つけると、すぐさまそのほうへ走っていきました。ケイがさっそく弓を引きます。弦がしなやかに曲がり、矢に力が加わります。そして放とうとしましたが、すんでのところで踏みとどまりました。金髪の男が、大きな鉈を掲げながら舞めがけて走っています。目が鋭いのは、命を狙われたことに対する怒りでしょうか。一時間以上も待たされたことへの怒りでしょうか。どちらにしても怒りですが。
 ケイは金髪に冷ややかな視線を投げましたが、男は構わず走りました。ケイはそれでも、それをとめようとはしません。
 舞は兄のもとに辿り着きました。それから金髪を睨みつけます。金髪の男は鉈をふりかざし、一気に舞との距離を縮めました。そしてふりおろします。舞はそれを見定めて、ぎりぎりのところで避けました。その「ぎりぎり」は、意図的なものです。余裕をもって避けてしまうと、相手にも余裕が生じてしまいますから、接近攻撃はなるべく直前にかわすほうがいいのです。そのほうが、カウンターがよく利きますから。
 しかし男は、舞の反撃を咄嗟に飛び避けました。後ろではなく、前のほうへ跳んだのです。舞のからぶった手は、ただ空気を圧縮するだけに留まりました。ほんの少しの水滴が生じます。
 金髪は舞から距離をおくため、そのまま走りました。距離を取ると、腰をかがめて、鉈を下に向けます。目だけは滞りなく舞を向きました。
 ケイはまだ、日陰でその光景を眺めています。
 金髪の男の傍には、呻き声を上げている男が座り込んでいました。舞がここに着く際、悲鳴を上げた男です。怪我をしています。
「大丈夫か」
 金髪の男が、視線をぶらすことなく男にそう言います。男は言葉でない声を吐き出しながらも、ただ頷きました。自分の体を抱きしめて、痛みをどうにか緩和させようと試みています。
 舞はその間に、兄を縛っていた縄を引きちぎりました。兄は自分の手首を眺めて、それから舞の顔を今一度見遣ります。舞の顔は、さほど冷たいものではありませんでした。同時に、温かくもありません。
 兄が持っていた武器は、そのどれもが没収されていました。兄はなんともつかない顔をして、傍らの帽子を拾います。立ち上がって帽子を頭に載せました。黒い髪は、すっかり熱くなっています。
 舞は周囲を見まわしました。ところどころで道を塞いでいた男たちが、すっかり舞を取り囲んでいます。舞の攻撃が届かないように、気持ちばかりの隔絶も生まれています。その誰もが、この暑いのにジャケットを脱ごうとしません。ダーツのマークを体の傍に。
 見つめあいが続きました。舞は周囲を確認しつつ、兄に怪我がないか確かめます。周囲の男たちは、舞のその堂々とした態度に怖気づいたのか、まだ動こうとしません。ただ金髪の男が鉈を構えています。相手の隙を探っているようです。……ケイは、まだ日陰で休んでいます。そこから敵と味方すべてに、冷ややかな視線を送っていました。
 兄が、頭に載せた帽子を、深く被りなおしました。
 それを合図にしてでもいるように、金髪男が地面を蹴りました。一気に舞との距離が埋まり、鉈が空気を引き裂きます。迷いのない動きです。一度目の失敗から、一瞬の隙も許されないと学んだのかもしれません。男が鉈をふります。
 しかし舞は軽やかにそれを避けて、金髪は先ほどと同じく、そのまま走っていくしかありませんでした。舞を待っていたときと同じところに、また戻ります。
 金髪の男はそれでも、すぐさま舞のほうに駆け戻ってきました。様子を窺うつもりはないようです。舞は両手を広げて、前に突き出します。それが呼び鈴にでもなったのか、他の男たちも一斉に舞のほうへ走りよってきました。舞は金髪に向けていた手の平を胴の横に戻して、全方位から駆けてくる男たちを窺いました。窺ううちに、ほとんど至近距離にまで来ています。そのうちのひとりが、兄に詰め寄りました。兄と取っ組み合いを始めます。
 舞は自分の前の空気を、一気に圧搾しました。そして間髪入れずその空間を、蚊でもいるかのように叩きました。圧縮空気が、舞の手に押されて、勢いよく噴射されます。実際には噴射口も、圧縮空気を溜め込む容器もないというのに、舞の手際がそれを達成させました。はじけた空気に、多くの男が吹き飛ばされます。
 男たちが山積みになっているのを見て、金髪の男がぎり、と歯を噛み合わせました。そしてまた、大きく鉈をふりかざします。それはふりおろされる前に、先の男たちと同じように遠くへ飛ばされてしまいました。なにも持たないまま拳をふりおろした形になります。舞はその拳を掴もうとしました。金髪の男は咄嗟に、その拳を脇に逸らせます。それが功を奏したのか、舞は男の拳を掴めませんでした。男は前方に体を崩しながらも、転ぶことなく舞から距離をとります。
 山になった男たちは、上のほうから崩れていっていました。今にも立ち上がって、また舞のほうへ走ってくることでしょう。舞はケイと同じくらい面倒臭そうな顔をして、山の動くのを見つめました。その顔に笑みはまったくありません。
 ふと舞は、自分の背中を振り返りました。そういえばそこで、兄が男と取っ組み合いをしていたはずです。相手の男がのびていました。兄はしきりに息を吐いて吸ってしています。
 太陽は力を弱めていました。舞に気圧されたのかもしれません。それでも仕事をやめぬまま、先ほどよりは少ない光を注ぎ込んできます。
 持っていた武器は鉈だけではなかったようで、金髪の男はカッターナイフを片手にしていました。懐にどれだけの刃物がしまわれているのかは定かではありませんが、転んでしまったときなど怖そうです。そりゃ、自傷してしまわない工夫はされているのでしょうが。
 現に、今度は転んでしまいました。それでも懐の刀は自分を刺すことはなかったようです。男はすぐに起き上がります。
 ケイはというと、もう金髪に目もくれてやっていません。なにかの紙を黙読しています。日陰で少々読みにくそうでしたが、目を細めるほどではないようです。戦いに参加しないつもりなのか、傍らの弓矢は横たえられています。
 その紙は、なんども読み返しているのか、端が曲がり、黄色みがかっています。
 また舞は空気に圧力をかけました。空気が圧搾されて、そこを舞が叩き込むと、漏れ出した空気が勢いよく噴射します。それが近づいてきた男を、また遠くへと投げてしまいます。
 怪我をしている者が、少なからずいました。痛々しい光景も視界に入っているはずなのに、舞は顔色ひとつ変えません。感情を込めずに、空気を叩きます。
 兄は舞と相反して、息を切らせながら取っ組み合いをしています。投げ、投げられ。向こうがナイフをつきつけてくるのなら、それを逆手に取り上げたり、その際腕を怪我してしまったり。際どい運動を続けます。
 最後まで読み終わったのか、ケイは紙を丁寧に、元の形に折りたたみました。それはジャケットのポケットに収納されます。ケイはそれから弓矢を手に取りました。
 あたりはすっかり合戦です。誰もかぶらやを飛ばすことはありませんでしたが、むしろ圧縮空気の噴出音がその代用でもしているようです。合戦を始める前でなく戦闘の最中に飛ばされるかぶらやというものも、おかしなものですが。
 ケイが立ち上がりました。


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