●PG12

 この作品は流血などの残酷描写や、倫理に反する表現、意図的な誤謬表現などを含んでいます。


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 ここがどこだかも分からぬまま、ふたりは壁を伝います。四方白に囲まれていて、扉が見当たりません。まるで閉じ込められたみたいです。
「オレたち、さっきまでバスに」
 同僚がそう言います。そうです。ふたりはバスに揺られていたはずです。それなのに急に、揺れが大幅に大きくなって……。
 シェパードが扉を探り当てました。白い扉は壁に馴染んでいて、見つけるのが困難だったのです。それをがむしゃらに触っていたら、扉は勝手に横に滑っていきました。閉じてしまわないうちに、ふたりはそそくさと扉を抜けます。
 廊下を進むと、いくつかの部屋がありました。シェパードたちは恐る恐る、そのうちのひとつに踏み入ります。今度の扉は簡単に開きました。コツを掴んでしまえば、扉の開閉は難しいことでもなんでもなかったようです。
 部屋の真ん中のあたりに、桶のようなものがありました。背が高いので、桶というよりも井戸でしょうか。しかし水を溜め込んでいるわけではなく、テレビの画面をはめ込んだような姿をしています。画面周辺に淡色の粒々が並んでいます。どうやらそれは、ボタンのようです。同僚がそのうちのひとつを、考えもなしに押しました。シェパードはなにごとか恐ろしいことが起こらないか危惧心を抱きましたが、なにも起こりません。シェパードはひとまず安心して、今一度その機械らしきものを眺めます。ボタンがたくさんあって、シェパードは、その中で一番大きめのものを押しました。同僚が押したものではありません。それを押すと、機械が唸りだしました。ふたりは後ずさりをします。画面が光りだしました。その機械はモニターだったのです。どこかの風景を映しています。
 ふたりは画面を覗き込みました。どこかの町並みです。ビルが並んでいて、道が連なっていて。見たことのない風景ですが、どこかであることに違いはありません。シェパードはそう考えます。
「おい、あれ」
 モニターから目を離した同僚が、部屋の隅に佇んでいた机を指さしました。机の上に、なにやら紙の山ができています。
 シェパードはモニターから離れて、机の上のものを持ち上げました。色褪せた紙です。ぎっしりと文字が記されています。シェパードはそれを読みます。同僚も遅れてやってきました。シェパードの読み終えたものを受け取って、それを読みにかかります。日本語で書かれていたので、難なく読み上げることができました。
 それによると、ここは現実の世界ではないというのです。いえ、現実という言葉の意味の捉え様によっては、ここも現実世界といってもいいのかもしれません。しかし、この世界は、シェパードが先ほどまでバスに乗っていた世界ではないというのです。
 ではどこなのか。当然ふたりはそう思います。その答えも、丁寧に紙に記されていました。
 ここはムです。それによると、命名したのは書き記した本人のようです。書き手によるとこの世界は、人々の「無意識」が集まってできた世界なのだというのです。人の「無意識」が、町と人間を形成しているのです。基本的にひとりの「無意識」につきひとりの人間が、「無意識」の町の中で、「無意識」ながら生活を営みます。その人間たちの行動は、現実世界の人たちの様子と深くリンクします。現実世界の人間が深く落ち込むのなら、その気持ちの深層部分がムの人間に影響します。落ち込みつつも希望を抱いていたのなら良い方向へ影響するでしょうし、心の底から落ち込んでいるのなら、悪影響となるでしょう。……そして現実世界で人が死ねば、その人とリンクしていたムの人間も、命を落とすのです。もともと現実世界の人の「無意識」によって形成されていたのですから、「無意識」が死んでしまえばムの人間も死んでしまいます。しかしそれはまるで予定調和のように、なんの不自然もなく死んでいくのです。繰り返すと、ムで人が死んだときというのは、そのまま現実世界で人が死んだときだと言えるのです。そもそもどこからが「死」なのかという議論がたびたび世間で交わされますが、自分の、ムで生活している「無意識」部分が死んだときこそ、死んだときだと科学的にはいえるのです。ムの存在は未だ認知されていませんが、ムが公に発見された暁には、きっとそうなることでしょう。ただし、ムで住む人間には、特異な例外が存在します。それは本体が「無意識」で占められた人間のことです。たとえば今のシェパードがそうです。同僚がそうです。彼らは原因はともかく、体を「無意識」に支配されてしまいました。本来、「無意識」は「意識」に内包されているはずです。しかし「無意識」がオーバーフローしてしまう、そんな状態が稀にあるのです。植物状態がその一例です。「意識」というものは、決して脳が独り占めしているものではありません。心臓、肺、肝臓などの内臓、血液や骨などの結合組織、腕に脚に腹に、皮膚やそれを覆うケラチンにまで、「意識」は内分されているのです。脳死状態で命だけ繋いでいたとしても、広義でいう意識は消え去ってはいないのです。しかし、脳にこそ「意識」が多く含まれているのは確かです。脳が動かない状況では、「無意識」が「意識」から溢れてしまうのは必至。容器が小さくなってしまったからです。腕で思考することができますか、血液が本を読むことができますか。できません。そういったことから導き出されるように、脳以外の器官では基本的に、「無意識」のほうが「意識」よりも多いのです。脳は逆で、そのおかげで「無意識」は「意識」という容器におさめられているのです。ところが、その脳が死んでしまう。すると必然的に、「無意識」が飛び出てしまうのです。そうなると「意識」はその機能を失います。「意識」をひとつのコップに例えてみるなら、水が多すぎて溢れている状態では、コップはコップの意味を成していないのです。「意識」が「無意識」に飲み込まれます。そうなると人は、現実世界からムへとシフトしてしまうのです。「意識」と「無意識」が反転するのです。普段なら「意識」が「無意識」を内包しているのに、この状態では、「無意識」のほうが「意識」を包んでいるからです。現実世界の住人だった人間は、ムの住人になるのです。……書き手はこの世界に飛ばされてから、色々と調査と発見を重ね、これほどの事実を獲得したのでした。書き手は日本人だったのでしょう、「無」と「夢」を掛け合わせて、この世界を〈ム〉と名づけたのでした。
「つまりオレたちは、植物状態にでもなっているということか」
 同僚が感想を述べます。
「おそらく、そういうことなんだろうな」
 シェパードは紙束をめくります。手記は膨大な量で、すべてを読みきるには時間がかかりそうです。
「それにしても……これを書いた本人はどこにいるのだろう」
 めくったことで顔を出した紙には、「能力者」という単語が強調されていました。シェパードはその単語に興味を持ちながらも、「そうだ。これを書いた人を探そう」と提案しました。「能力者」の欄を読むのはあとにして、なんとなくもう一枚めくってみます。
 白い建物の中を、ふたりはくまなく探します。しかし、人の気配はありませんでした。
 シェパードは紙束のほかに、冊子のような形になっている文書を見つけました。読んでみて、それが日記であると気付きます。
 その一番新しい部分を読みます。現実世界とムの時間が同一であると仮定した場合、一番新しいものは一年ほど前のものでした。
*月*日
 能力者たちが、また夢を見だしたようだ。現実世界のほうで、またなにか起こったのだろうか。近頃、頻繁に起こっているように思う。時代が変わるというよりも、これは、徐々に人々の思想が刻まれていっているのか。現実世界の様子が気になるが、向こうから人でも来ない限り、なにが起こったかは確認できない。少なくとも、確認する術は見つかっていない。
 ともかく、早く日本を出ることにしよう。中国にでもいけばいいだろう。以前、能力者たちが夢を見だしたときも、私は現実世界でいう中国の地域へ行った。あのあたりが、避難にはちょうどいい。
 まったく、いつも冷や冷やする。現象が起きてしまう前に、今回も問題なく国外へ出られたらいいのだが。
「お前はこれを、どう思う」
 同僚が訊いてきます。シェパードはなにも言わずに、ただ首を横に振りました。


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