●PG12

 この作品は流血などの残酷描写や、倫理に反する表現、意図的な誤謬表現などを含んでいます。


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 次の日、男と約束の場所で会いました。今度会った男は、ジャケットを着てはいなくて、手から爪がなくなっていました。男はシェパードに手紙らしきものを差し出します。これを集団のところまで持っていってくれというのです。
 シェパードは言われたとおり、寂れた建物を訪れました。そこはまるで廃墟のようです。しかし中に入ってみると、案外整えられていることが分かります。扉の内側に、ジャケットと同じマークが描かれていました。きっとこれは集団の象徴なのでしょう。
 ケイという男と、金髪の男、このふたりがどうやら幹部格の人間のようです。シェパードは伝言だと述べて手紙を差し出しました。男たちは顔色を変えて、なにやら議論を始めてしまいます。シェパードは自分のいる必要はないと感じ、「あなた方も、ご注意くださいね」とだけ言い残して出て行きました。手紙を読んだわけではありませんが、親分が殺められるのなら幹部も引き込まれるものではないかと思ったわけです。いいえ、本当は違います。
 シェパードは海辺へ行きました。そこへ向かいながら、舞の兄に連絡をとりました。電話先は、なぜ自分の連絡番号を知っていたのか不思議に思ったようです。簡単です。親分格の男の人が、知るまでもなく知っていたからです。シェパードは電話先に、依頼をしました。殺めてほしい人が、三人いると、そう伝えたのです。ひとりは親分格の男です。そしてあとのふたりは、先ほど手紙を渡した幹部格のふたりのこと……。これは親分に頼まれての行動です。シェパードは戸籍上存在しない人物なのですから、なにかミスがあったとしても足が残らない、という理由でしょう。シェパードが親分を殺めさせる依頼を出したのです。親分の意向に従って。
 幹部格のふたりには、シェパードの口からも、手紙からも、身の警告をしてあります。前もって暗殺されることを知っていたのなら、そう簡単に死ぬふたりではないらしいのです。親分はそれだけふたりを信頼していたようです。むしろ、この程度で死ぬのなら集団を任せるわけにはいかない、といった試験のようなものだったのかもしれません。
 依頼を終えてから、シェパードはまた他の男に連絡をつけました。ヨットで国外に密出国をする予定の男です。男は愛想のいい声で「もしもし」してきます。シェパードは手短に用件を伝えました。謝礼は払うから、友人とその妹を一緒に舟に乗せてやってくれ、といった内容です。先ほど依頼をしたとき、もし失敗したのなら海辺のヨットに乗って逃げるといい、と兄に伝えてもいたのでした。
 受諾を貰ってから、今度はシェパードはふたりの能力者に連絡をつけました。顔も知らない能力者ですが、親分は数人の能力者の連絡番号も教えてくれたのです。活用しても構わない、と。
 シェパードはふたりに、ヨットが沖にまで出たら撹乱するために攻撃してください、と伝えました。そしてひとりのほうにだけこっそりと、もうひとりの能力者を殺めるように指示しておきました。これは親分の頼みのひとつです。どういった思惑なのかシェパードは聞いていませんでしたが。
 一晩待つと、舞とその兄が海にまでやってきました。ケイが兄の車に探知機を取り付けたので、見逃すことはありません。舞たちは車から降りて、ヨットのあるところへと進んでいきます。シェパードは車の後ろに付けられた探知機を取り外してから、舞たちを追いかけてヨットへ向かいました。
 シェパードがヨットに飛び乗ります。兄はシェパードを迷惑そうに睨みました。まさか目の前の人物が依頼主本人だとは、夢にも思っていないのでしょう。まあ、能力者でない兄は夢を見ないのですが。……舟には荻本兄妹と、電話先で荻本兄妹を乗せることに承諾した男、それとあとふたりいました。ひとりひとつずつオールを持っています。このふたりも、男に情けで乗せてもらった人たちなのでしょう。「能力者は乗せられない」という発言があったので、おそらくこのふたりは一般の人間なのでしょう。予想外に人が多いですが、困ることはないはず。シェパードはそう考えます。
 沖に出ると早速、突風が見舞ってきました。ヨットが二転三転します。それでも転覆しなかったのは、ひとえに能力者の微妙な力加減のおかげでしょう。うまくやってくれたな、そう思ってシェパードは岸があるであろう方向を眺めます。
 死亡者が出ました。木が刺さって、船員のひとりが死んだのです。オールを持っていたふたりのうちのひとりでした。おや、とシェパードは思います。
 しばらく経ってから、オールを持っていた生きているほうの男が、「これ、食えるんじゃないか」と言い出しました。おやおや、シェパードは不可解に思います。
 シェパードは最後まで確信を持つことはできませんでしたが、オールを持っていたふたりこそ、実は電話先の能力者だったのです。木が刺さって死んだほうは風を操ることができて、生きているほうは空間を隔離する術を知っていたのです。波がまったく立たない、天候が一向に変わらない、魚などの他の生物が一向に現れない状態というのは、その男の能力が働いているときだったのでした。
 空間を隔離できる男が、風を操られる男を殺めたのです。シェパードが与えた指示のとおりに。親分の思惑どおりに。親分が声をかけたのは実はシェパードだけではなかったのです。
 男の発言に従って、兄は死肉を貪り始めました。シェパードはそのときまだ知りませんでしたが、風を操るその男の体では、プリオン異常が起きていたのでした。生前にそれに悩まされていたようです。
 親分は、ケイの戦略を読み取っていたのでした。舞に攻撃をして、その傷を兄に移させる。シェパードの能力を用いて。そんな戦略のためには、兄の意思が必要です。そうでないと、死ぬのはシェパードになってしまいます。やはりシェパードは知りませんでしたが、兄がプリオン異常の肉を食べることは、すべて計画の内だったのです。病院でクロイツフェルト・ヤコブ病のことを聞いたときは、それが偶然の産物だと勘違いしていたのですが、すべては仕組まれたことでした。発症するしないに関わらず、プリオン異常の肉を食べたという事実が重要なのですから。
 予定どおり、ヨットは国外へ逃亡するのに失敗しました。裁判にかけられるのは想定外でしたが、とりあえず死体遺棄などの罪は免れました。
 兄たちは入院を強いられました。それを免除されたのは舞とシェパードだけです。もうひとりの能力者は、能力者であることが露呈しなかったようです。……そもそも、一般の人間と能力者とを区別する明確な方法なんてものはありません。障害者と健常者に、明確な区別がないのと同じように。
 その間、シェパードはショッピングモールに行きました。舞の姿を見つけて、少しだけ後をつけたりもします。途中、仮面を売っている店のあたりで声をかけてみました。法律に詳しい人と話したなどと虚言を吐き、舞に適当に話を与えます。
 舞と別れた後、シェパードは集団の幹部格のふたりに会いました。計画の確認をおこなうためです。特に問題点はなく、円滑に計画は進行していきます。
 計画実行の日、シェパードはバス停のベンチで、兄と適当な話をしました。集団の男たちがバスでやってくるまでの時間稼ぎです。兄がシェパードから離れて集団の後をつけて、シェパードは高みの見物とでもいったふうにコーヒーを買います。
 数十分経って、やっとケイが舞に矢を当てました。ケイは見た目よりも臆病なようです。綿密に計画を練って、絶対に失敗のないように佇む様子は、シェパードにはとうてい真似できません。そんな姿を見てると、シェパードはつい、この計画を壊してしまいたくなりました。それで見物はナシにして、争いの地へ赴きます。
 ケイは計画になかったシェパードの出現に驚いた顔をしました。しかし、なにも言わずに撤退していきます。おかしいなとは思いましたが、ひとまずシェパードは兄妹に顔を向けることにしました。



 今なら自身でも分かります。シェパードは、すっかり親分の手の平の上で踊らされていたのでした。軽薄に、自由気ままに行動してきたつもりだったのですが、そんなことすべてお見通しだったのです。これは親分の、自分自身へ向けた鎮魂歌だったのです。誰を殺めたいとか、そんなことは関係ないのです。人の命を使った脚本。
 シェパードには、あの感覚が忘れられません。死の感覚です。致死に及ぶ傷を体に受け入れた瞬間、それがどれほどの快感だったのか、恐ろしいほど鮮明に残っています。もし一瞬だけでなくて、永遠にこの快楽に浸れるのなら。
 体が求めるカフェインの量はただ増えるばかりです。
 静奈の傷を撫でます。舞はぎゅっと、シェパードの腕を掴んでいます。緊張しているのか、目を瞠っています。痛みはもう感じません。この倉庫、ここが自分の死に場所になると思うと、シェパードはただ笑ってしまいたくなるばかりです。なにせここは、やはりあの同僚がいる施設の、すぐ傍なのですから。


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