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世界はこうして恋をする


 やあ、こんばんは。はじめまして。
 ……なにを寝ぼけた顔をしているんだい? ここがどこだか分かってないのかい? はは、なんだ分かってるじゃないか。君はいつも体験しているはずだからね、知ってて当然さ。そう、今日もこの世界は現れた。
 さっき「寝ぼけた顔」と言ったけど、それは実は嘘だ。考えてみれば、君もすぐ分かるだろう。この世界で、表情を作るのは不可能だ。君は笑うことも、泣くこともできない。だからほんの挨拶のつもりさ。実際、君は寝ぼけていると思ったからね。
 ここに来た理由? 君はいちいち、そんなことを疑問に思うのかい。まあ端的に説明するのなら、これは仕事さ。給料はないのだけどね。強いて言うならボランティア。まあ給料がなくても、生活に困ったりすることはないんだけどね。
 君の理由? はは、それは言うまでもないだろう? この世界が現れたのは、もはや必然さ。人間として当然のことさ。君がいる。それと同じぐらい理由を求めないことさ。
 そう、そうだ。仕事、仕事をしないといけないんだ。朝までに終わらせないといけない仕事がある。君はいわば、お客様さ。君は話を聞いて、プラン通りに動いてくれればいいよ。時間は、まあ少ないというわけでもない。
 突然だけど、自分のことを完全に客観視するというのは、はっきり言って不可能なことだと思う。「自分のことを」って言ってしまっている時点で、それは客観的ではなくなってしまうのだからね。そういうこともあってか、人はどうしてもミスを無くせない。まあミスというものは、客観視できたところで出てくるものなのだけどね。
 話が逸れてしまった。まあ、そう慌てることもないからいいんだけどね。もし今日中にこの仕事が終わらなかったときは、他の者との交代ということになるんだ。ああいや、これだとちょっと誤解を招きそうだ。今日中に仕事がしっかり終わったとしても、他の者と交代だ。君はずっとこの世界だけど、この仕事をしている者は、世界を毎日移っていっているんだ。だから君は、毎日違う者に出会う。毎日毎日、違う者と。君はもうすぐ十七歳だから、一七と三六五をかけて……だいたい六二〇〇くらいかな? それくらいの者と、君は出会っていたんだ。
 ところで客観視の話。君は人なのだから、さっき言った通り、君は君のことを客観視できない。だからあの夕食のとき、君があの女の子をちらちら見ていたのも、意図してやったことではないんだろう? 無意識に、意中の女の子を窺っていた。相手はどんな感想を抱いただろうね。
 はは、そんな赤面することはないよ。そういうことは、たぶん誰にだってあるからね。
 先に言っておくけど、君のそんなことを知っていることについて、疑問に思わないでくれよ。この世界に来れば、嫌でも分かってくる。君があの子を好きなんだってこと。
 うん? ああ……まあ確かに、実際の君は赤面していないね。失礼、君の言う通りだよ。さっき言った通り、君がこの世界で表情を顔に出したりするようなことはない。なにせここは……おや、これは言うまでもないことか。
 さて、そろそろ本題に入ろうか。仕事の内容さ。まあ本題と言っても、そんな大層なことでもないさ。起きたら忘れてしまっているような、そんな簡単なこと。この世界に、恋をさせてやる。それだけのことさ。
 君は確か、交通事故に遭ったことがあっただろう? 小学校一年生のころ、小型トラックに撥ねられた。君が信号無視をしたせいだったね。今更言うのもなんだけど、災難だったね。それよりもまあ、そんなことがあったのにこうして生きているというのは、喜ばしいことだね。君はそうは思わないのかい? 今生きていることに感謝したりはしないのかい?……そうか。わざわざ感謝する暇があるんなら、ゲームでもしてるのか。まあ仕方ない。最近の子は、だなんて言うつもりもないよ。そう考える人は、少なからず昔からいた。
 君にしてもらうことは三つある。……ちょっと多いかもしれないし、少ないかもしれない。朝までに終わればいいのだけどね。まあ、焦ることでもない。朝までに間に合わなかったとしても、交通事故のトラックほどの衝撃は受けないよ。というよりも、衝撃なんて受けないさ。それは保障しよう。この世界が原因で、君が怪我することはない。
 では早速、一つ目を始めよう。
 君は今、パズルになった部屋にいる。全部で一〇〇ピースだ。君は部屋の中で、ばらばらになった部屋を元に直さないといけない。方法は問わないよ。自由にすればいい。
 君はピースからピースへ移って、部屋を歩き回る。移る際にピースを引っ張って、ピース同士をくっつける。これを繰り返していって、あっという間に部屋は出来上がった。
 やあ、はやいじゃないか。一つの部屋が出来上がったね。
 さて、早速二つ目にとりかかろう。次にしてもらうのは、料理だよ。いやいや、料理といってもそう本格的なことではない。君のお母さんが毎日作ってくれているような、素晴らしい料理は求めない。君が作れる程度のものでいい。おや、失礼な言い方だったかな。だけど君、インスタントラーメンと目玉焼きしか作ったことないんだろう? インスタントラーメンなんて、もはや料理とは言えないさ。お湯を温めるだけだからね。まあそういうことだから、今回は目玉焼きを作ればいいさ。
 ……はは……失笑してしまうよ。ああ言い忘れていた。この世界で表情を作ることができないのは、君だけだからね。はは、君は笑えないだろうけど、つい笑ってしまうよ。まさか油を敷かないだなんて。まあともかく、卵を焼いたものはできたわけだね。どれほど素晴らしい料理を作っても、この世界では食べられないのだから、まあこれぐらいでいいのかもしれない。ああほら、フライパンにこびりついているよ。まあいいや、フライパンをそのまま皿として使うことにしよう。
 さっき君が組み立てた部屋にある、テーブル。そこにタオルを敷いて、その上にフライパンを置く。乾燥した色合いの鑑賞樹や、音のない音を出す蛍光灯。それらは部屋の一箇所でじっとしているね。君はまだ気付かないのかい? これを見て、まさか気付かないのかい? 都合のいい頭をしているのかもしれないね、君は。
 三つ目……の前に、君の気持ちをはっきり知っておかなくちゃならない。それはそう、あの女の子のことだ。
 君はその子のことが好き。それに偽りはないだろう。夏に引っ越してきたその子に、いつの間にか君は惚れ込んでいた。体中にじーんと響き渡る声が、特に心地よかったんだろう。
 あ、はは。やっと気付いたようだね。そう、この部屋は、あのときの部屋だよ。君がその子と一緒にご飯を食べた、そのときの部屋だよ。このテーブルで向かい合って、君の横には友達がいて、その子の隣にも人がいた。
 ところで君は、君の気持ちを口に出したことはあるかい? ないだろう。一人だけでいるときも、言ったりはしないだろう。その気持ちを、表に出すことなく内に秘めているのだろう。君の場合、それじゃあだめだ。言ってみなよ。はっきりと。
 ……そうか。ほら、言えるじゃないか。しっかり聞いたよ。はは、またそんな顔をして。この世界で表情は必要ないのに。実際の君だって、本当は今頃無表情なんだよ? まあ、それはいいか。それに、三つ目もいい。強いて言うなら、その言葉を言うことこそ、三つ目のことだったからね。
 言わなくても分かるだろうけど、今言ったところで、当の女の子には何も伝わってはいないからね。君が気持ちを明かしたのは、もはやただの独り言だ。それを勘違いしちゃだめだ。
 ……もうすぐ朝になる。君は別に、早起きさんというわけでもないんだろう? だったらもう少しだけ、この世界にいるといいよ。
 そうだ。とてもいいことを教えてあげよう。君が泣いて喜ぶであろう事実、だが本当は君が忘れているだけの事実を。
 トラックに撥ねられて、君は病院に入院した。一週間の入院だったはずだ。一週間で済んだのは確か、君が厚着をしていたからだ。時期が時期、十二月は寒かったからね。トラックの運転手も、やはり師走と言うべきか、焦って運転をしていたところもあったんだろう。まあそういうことだから、その入院期間は、ちょうどクリスマスと被っていた。
 先月十二月、君は尋ねられただろう。興味本位でね。「クリスマスの思い出はなんですか?」って尋ねられただろう。それに対し君は、思い出はないというような返事をした。だがそれはね、間違いなんだ。君は忘れてしまっているけど。
 当時君は小学一年生だったから、子供専用の病室に寝ることになった。それでクリスマスの日に、サンタさん姿の医者が、君にクリスマスプレゼントをあげたね。病室は子供たちの歓喜に埋もれて大騒ぎ。とてもそこが病院とは思えないほど、明るい空間となっていた。
 そんな空間の中、ある女の子が君に言ったんだ。「これ、いらないからあげる」って。その女の子が貰ったのは男の子向けのプラモデルで、だけど残念そうな顔をすることもなく、女の子は君に言ったんだ。
 君はもう忘れてしまっていること。プラモデルも、もう無い。退院した次の年には、君は他のところへ引っ越していった。たぶんそのときにでも、処分されたんだろう。
 君はたぶん、心の奥底で気付いているんだと思う。女の子にも声変わりはあるから、君がどうやって気付いたのかは分からない。いや、本当は全く気付いていないのかもしれない。だがこの世界が物語っているよ。その女の子は――君の好きな子と同一人物だということをね。
 君の想いがその子に伝わるかどうかは、残念だけど君次第だ。この仕事は、ほんのちょっと手伝うだけさ。この世界は――君の夢は――いろんな色が混ざっていて綺麗だね。君がその子とご飯を食べた部屋は、乾燥した色合いだったけど。きっとそれは、君がたくさんの色に囲まれすぎていて、疲れてしまったから。はは、まだ若いのに疲れるだなんて、これはまた失礼なことを言ってしまったね。ただその部屋が、そうであっただけさ。深い意味は無い。
 もう君には会わないよ。これからの君がどうなるのか、この世界は教えてくれない。さっき言ったけど、この仕事は毎回仕事場を替える。明日にはまた、他の者がこの世界に訪れるだろう。また会えるのなら、「また会える日まで」とでも言って別れればいいのだけどね。だからそうだな。「また会えない日まで」とでも言っておこうか。その日まで、君はしっかりと生きていくんだよ。……はは、確かに、それだとずっと生きろって意味になるね。
 さあ、もう起きる時間だ。君は今日も学校に行って、楽しく生きていかないといけない。帰宅したらちゃんと宿題して、ご飯を食べて、しっかりと睡眠をとる。そうしたら、君はまたこの世界になるから。そう、この世界は、君そのものなんだ。言うまでもなかったかもしれないけどね。君が毎日見る夢は、今までの君そのものなんだよ。
 夢から覚めたら、君はこの世界のことを忘れてしまうかもしれない。人はそう長く夢のことを覚えられないからね。この部屋も、テーブルも鑑賞樹も蛍光灯も、君が覚めると同時に消えてしまう。でもこうやって君が作ったこと自体は、他の世界へと知れ渡っていくだろう。それも仕事の内だからね。
 それでも、世界は恋をする。君はこうして恋をするんだ。いつの間に好きになったんじゃない。この世界が、君自身が、その恋を決めたんだ。
 そういえば、他の世界のことについて、今回君は全く聞かなかったね。君の意中の子の世界には、残念ながら行ったことがない。この仕事の者は、人とちょうど同じ数いるのだけど……まあそういうこと。人は多いからね。だからその子について、君に教えてあげられるようなことは、今のところない。君の世界を基にしたことしか教えてあげられない。でもそうだな、もしその子の世界に当たったら、君のことを話題に入れておいてあげるよ。それがどう作用するかは、期待しないほうがいいかもしれないけどね。
 ……長居してしまったね。遅刻したら大変だ。
 これでさよならだ。では、おはよう。


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© 2012 Kobuse Fumio