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盤上の夢を見る


 わたしは歩兵を踏みつけて立ち、盤上を見渡した。広く、水平線。
 向こうから見せかけの飛車が飛来した。わたしは歩兵のうえで足をふんばる。かぶら矢は戦いのはじまり。
 ▲上7六歩中。わたしの指示が棋譜に書き込まれる。中層の歩兵がななめひとつ先の上層へ進む。
 △下8四歩下。▲上6八銀。△下3四歩下。▲上6六歩中。△下6二銀。……じわじわと互いに進行してゆく。わたしが上層を固めているのに対し、相手は下層を重たくしたいらしい。しかし進めている歩兵は中層ではなく下層のものだ。それでは角行や香車はまだ移動条件に達することができず、効率が悪いように見える。なんらかの思惑があるのだろうか。しかし読めない。
 やむを得ず上層をさらに固めていく。同時に中層に隙間が生まれるため、中層の主要の駒たちが動けるようになった。下層の歩兵がいるため向こうから狙われることもまだない。
 相手も下層を徹底的に進行させている。中層で動かせているのはまだ銀だけだ。下層が強化される。△下8六歩下。ついに二軍が接触した。▲同歩下。△中8五歩中。▲同歩下。
 二度連続で食べさせられる。思惑があるようでなにも考えていないようでもある。しかしなにも考えないという戦略が活用されるはずはない。もしや下層に穴を開けようとしているのだろうか。現に歩兵がひとつ、中層に誘導された。しかしその程度の穴で攻め入るような駒は――。
 △下8八飛成。あった。やられた。いや、これは気付かなかったわたしが悪い。ちょっかいをかけた程度のつもりだったのだろう。わたしは気付かなかった。飛車は敵陣に入り成ることで、銀の動きを獲得することができる。ふたつの歩兵を食わせたことでできた些細な穴に、中層の飛車が食い込んだのだ。そのために飛車は下層を自由に動き回ることができる。わたしの下層はまだできあがっていない。銀の真下と金のななめ下さえ避ければ、下手すればもう勝負がついてしまう。
 ここは玉を逃がさねば。いや、それよりも他の駒を犠牲にして、反撃を企てるか。……いやいや、いま相手の上層は抜け殻だ。いますぐでなくとも攻撃はいつでもできる。攻撃とは最大の防御とは言えたものだが、手数が足りない。▲上6九玉。こちらの上層は固い守りのなかにある。
 それにしてもこれは痛手だった。侵入した竜が下層を荒らす。下層はもはや全滅も致し方ないところだろう。そうなると中層の防壁も薄くなる。ここは正念場だ、相手が中層の壁を突破するよりも先に、こちらが上層から相手の玉を討ち取ることができれば、こちらの勝ちだ。
 しかしそれもまた困難であることに気付く。上層から襲い掛かるにはまず中層の駒を上層に動かす必要がある。上層に動かすということは自ら防壁に穴を作るということだ。
 では玉を遠くへ避難させるのが先決か。しかしそうもたもたしている暇はないのだ。必然的に中層のどの駒を動かすか、という判断が重要になってくる。相手を見習い、誘導させるような穴を作ることができたなら良いが、良い手はそう易々と浮かぶものでもない。
 長考している。警告音。一手につき使用できる制限時間まで、わずかしかない。
 ままよ恥は捨て奇抜な手に出た。▲上6八玉。△上6四歩中。▲上6七玉。△上6三銀。▲上6六玉。△上6五歩中。▲中5五玉。玉が単一で敵陣に迫る。竜が暴れる意味も希薄になった。銀の迎撃を避けた玉を、さらに相手の玉へと一直線。中層の歩兵を蹴散らし。桂馬や角行の攻撃をかいくぐり。
 ついに王手をかけた。玉が相手の玉の目の前を陣取る――。
 その次の瞬間には、わたしの玉は相手の玉に食われていた。

 なぜこうもわたしは莫迦者なのだろう。最後の最後になるまで、わたしは自分の勝利を疑っていなかった。実際には序盤のあの失敗の時点で、詰んでいたようなものなのだ。
 拡張現実からログアウトする。ぴりぴりとまるで夢から醒めるように視界がはじけた。目をこする。実際には視覚器官は使っていなかったというのに、長時間データのなかにいると疲れてくるのは脳ではなく目のほうだ。あと肩も。
 わたしに将棋の才はないのかもしれない。いや、ないのだ。断言してしまったほうが気が楽だ。
 まず、考えるというのが苦手だ。考えているはずがいつのまにやら考えることを放棄している。はなから考えないときもある。そこにあるのは奇抜という素人だ。
 将棋の才はない。けれど、確かに将棋は面白い。いつのまにかそう感じているわたしも存在している。それは、現実においても、拡張現実においても、同じことだ。わたしは将棋がめっぽう下手だけれど、将棋が好きなのだ。
 わたしはこすっていた手を離して、拡張視野の新しいタブを開いた。本屋にサインインする。キーワード「将棋」で検索。
 将棋業界の雑誌や指南書などがいくつかヒットする。「立体将棋必勝法」「立体詰め将棋」「立体将棋入門」……似たような本が並ぶ。どれがどう違うのかよく分からず、どの本にも手がのびない。
 もっと目を引く本はないものか。検索結果のうしろのほうまでデータを取得する。すると、めずらしい本を見つけた。
「平面将棋をやろう!」
 呼びかけるような題名に反して、表紙は無地に近く暗い。平面将棋。いまではめったに聞かない言葉だ。たまにプロの人が言及することがある程度だ。
 平面将棋、か。やったことはないが、要するに、現在の将棋のような上層・中層・下層ではなく、単にひとつの盤上で駒を動かすということなのだろう。立体将棋よりは、簡単かもしれない。元祖に立ち返れば、立体将棋でも見えてくるものがあるかもしれない。
 わたしはその本を購入した。上手くなくてもいいけれど、下手でありつづけることに、理由はない。夢を見るのもわるくはない。
 さっそくファイルを開いた。
 わたしは盤上の夢を見る。


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© 2013 Kobuse Fumio