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ふうせんはどこへ降り立つ


 拝啓。手紙を書くときは、そんな決まり言葉を最初に書くんだよ。きみの世界ではどうなっているのか分からないけど、わたしの生きているこの世界ではそう。ちなみに最後には「敬具」っていう言葉を書くんだ。
 世界は崩壊する。政府が公言したときには既に、ほとんどの人間はそれに気付いていた。人類が自然淘汰される時期がやってきたと。人類はいままで、いろんな変化に適応してきた。だけどそれは、環境が変化してから適応したのではなくて、たまたま進化した姿が変化に慣れたからなだけなんだって。お父さんがそう教えてくれた。自然淘汰が進化を巻き起こすのではないって。
 この紙も、お父さんにおねだりして、やっと手に入れたものだよ。どうにか大金を払って、一枚だけ手に入った。最後なんだからって、お父さんは奮発してくれたんだ。
 これを読んでいるきみに、誰だか分からないきみに、この手紙を送るよ。世界はすっかり崩れてしまうけれど、それでもきっと、誰かの手にこの文章が届くことを願って。
 人類が誕生したときと比べて、すっかりまわりの環境は変わってしまっていた。人類はずっと続く。一時期そう信じて疑わない時代があったらしいのだけど、結局人類も、自然の一要素にすぎなかったんだ。全部、お父さんの受け売りなんだけどね。
 この世界はふうせんなんだ。ふうせん。分かる? それは空気が入った袋。しだいに空気は増えていって、そして破裂する。空気を入れすぎないように、ちょうどいい具合でやめてしまえばいいのに。ヘリウムガスがまだまだ安価で手に入るのは、なぜなんだろう。
 一枚だけ与えられた紙に、こうやって書いてきたけれど、なんだかなにを書くべきなのか分からないや。
 ただひとついえるのは、これは決して、人類のせいだけではないんだってこと。もし遠い未来、新たな知的生物が人類の痕跡を見つけたとしても、その滅亡の理由を、人類だけに押し付けないでほしい。わたしたちは一生懸命に生きてきた。それは他の生物と、なんの変わりもないことなんだ。人類も他の生物のように、いつかは滅びる運命だった。この星の成長に合わせて、わたしは廃棄されるしかないんだ。
 この手紙は、ふうせんの紐にくくり付けて空に飛ばそうと思う。何年も空を覆っている雲が、この世界の風を受け止めてしまっているけど、それでもふうせんは昇るでしょう? たぶん雲を突き抜けて、ずっとずっと遠くまで飛んでくれるはずだよ。
 これを読んだきみ、ねえ、どうか悲しんで。人類は恐竜の滅亡を、太古のことだからと悲しめなかったけれど。「敬具」は書かないから。人類が終わっても、きっときみが生まれてくるから。希望のある滅亡は、とても悲しい。わたしは悲しいんだ。涙はもう流れないけれど。きっときみが、これを読んで悲しんでくれたのなら。
 きっと。

 * * *

 手紙は短い月日を経て、地上に降り立った。そのときには既に、人類は滅亡していた。
 環境の変化に適応できている緩歩動物が、地上に降ってきた手紙しょくりょうを完全に食しきるのは、ほんの数日間のことである。


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© 2012 Kobuse Fumio