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ぼくの初夢


 ママと街を歩いていると、隅にうずくまった、こどものヒトを見つけた。うすぎたないけれど、頭から生えている長い毛が黒くて、好きになった。
「ママ、あれヒトだよ」
 だけれどママは、ぼくの指先をまるで見えないみたいに無視して、「今日のごはんはなにがいい?」と言ってきた。その顔が嫌なくらい静かだったから、ぼくはもう一度、「ヒトなんだよ」と言った。
「そんなもの気にしてはいけません!」
 ふいに声が飛びかかってきて、頬が痛くなった。ママの顔がよく分からない。見えるものすべてがぼやけて、ふやけて、分からなくなったんだ。
 そのあとすぐに、「ごめんね」ってママは謝って、ぼくの頬を撫でて抱きしめてくれた。じんわりと体の奥からあたたかいものが浮かび出てきて、ぼくは、泣くのをやめた。
「もう、ヒトのことなんて話さないでね。分かった?」
「うん」
 泣きやんだら街の景色がよみがえった。近くにいたのはぼくとママとあのヒトだけで、だからママは、あんな大声を出せたのだと分かった。傍に誰かいたなら、ママはいつも、静かにしなさいって言うから。

 おうちに帰ると、知らないおじさんがいた。ものものしい表情をしていて、なにかの本を読み込んでいるようだった。
 ママが挨拶をしたので、ぼくも「こんにちは」と倣った。
「お医者さんの先生よ」とママは柔らかい声で教えてくれた。お医者さんは、本を隅っこに片付けて、「どうぞよろしく」と答えた。怖そうな顔をしているけれど、声はやさしそうだ。ぼくがもう一度「こんにちは」と言うと、お医者さんは少しだけ笑って、「こんにちは」と返してくれた。
「先生、今日はよろしくお願いします」
 ママの言葉に頷いて、お医者さんは、「おいで」とだけ言って、ぼくを居間につれてきた。居間はいつの間に作りかえられていて、かたそうなベッドひとつと、たくさんの難しい機械が置かれていた。
 ぼくはママに、「なにをするの?」と訊いた。きっとこれは、ぼくのことだ。これからぼくになにかあるんだ。そう直感したからだ。
「これからね、あなたはみんなと同じになるのよ」
 だけれどママの言葉はよく分からなくて、ぼくは困ってしまった。
「心配することはない」お医者さんが口を挟んだ。「少しも痛くない。きみはここで眠って、夢を見るだけでいいのだよ」
 夢? それはなに?……ぼくは口に出して質問しようとしたけれど、ママの顔を見て、やめることにした。ママも、お医者さんも、この居間も、不思議なくらいに静かで、その静けさを壊したくないと思った。
「さあ、そこのベッドに横になりなさい」
 お医者さんが言った。お医者さんがなにか長いものを持っていたので、ぼくは急に怖くなった。それでちょっと動けずにいると、「大丈夫よ」と、ママの声が聞こえて、すぐにあたたかくなった。
 ぼくがベッドに横たわると、お医者さんは頷いて、その長いものをぼくの頭にくっつけた。途端に、眠たくなった。

 ぼくの頭が振動した。手に持っていたポップコーンがいくつか箱からこぼれた。ポップコーンがひとつこぼれ落ちるごとに、ぼくの頭の中から、あたたかいものが、消えてゆく感じがした。ぼくは怖かった。
 ここはママとよく歩く、あの街だった。だけれど、いつもと違って、空が青かった。ぼくはその不気味な色を眺めて、もっと怖くなった。頭が震えた。ポップコーンがこぼれる。
 ヒトがすぐ傍にいたことに、ぼくは気づいた。そのヒトは、こどもで、痩せていて、髪が黒かった。なんだか親しみをその黒色に感じた。ヒトは、地面に落ちたポップコーンを、かき集めて食べていた。それを見て、きたない、と体の奥から思った。
 ぼくの頭が振動する。揺れるごとに、箱の中身は少なくなって、ぼくはどんどん冷たくなった。ふと空を仰ぐと、だんだんもとの色に戻っているのが分かった。もともとの、黒色に。
 ヒトの体が薄れてゆく。透けて見えた。ぼくはそれを、つまらない、と思って、すぐに見るのをやめた。ポップコーンがこぼれてゆく。
 空が、真っ黒になった。

「おはよう」
 目覚めると目の前にお医者さんがいて、ママもいた。ふたりとも朗らかな表情をしていて、ぼくはなんだか嬉しくなった。
「おめでとう。息子さんはこれで、我々の仲間入りです」
「ああ、ありがとうございます、先生」
 ふたりの会話を聞きながら、ぼくは、夢のことを思い出していた。生まれて初めて見た夢。あのポップコーンはなんだったのだろうと思い、お医者さんに試しに訊いてみた。するとお医者さんは簡単に、「それはきっと、ヒトの因子だろう」と答えてくれた。ぼくは脳内に指令を与えてネットワークに接続し、「因子」の意味を検索した。すぐに理解して、「ありがとうございます」とお医者さんに言った。ママはその様子を見て、大袈裟に喜んでいた。
 ぼくは今日から、アンドロイドだ。


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© 2013 Kobuse Fumio