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絵描きの少女


 絵描きの少女は死にました。
 雪が降り積もる大木の下で、静かに息を引き取ったそうです。

 私は絵描きをしておりました。
 そう本格的なものではありません。
 なにぶん貧乏だったので、母が形見に残した白い布を、キャンバスのかわりにしました。それほど、絵を描きたかったのです。
 絵の具は木の実や土を使い、筆のかわりに指を使いました。

 そうして、一枚の絵が完成しました。
 特にすることのない私には、そんなことをするしかなかったのでしょう。それだけに没頭した私にとって、絵はあっという間に完成したようにしか感じないのです。

 私は、いつも大木の下にいます。樹齢100年はゆうに超える、それでいて寒いこの時期にも元気に葉を宿す、そんな木です。
 完成した絵には、それが描かれていました。
 きっと私はこれを世界で一番美しいものだと思っていたのでしょう。
 ひとりぼっちの大木に、弟が出来たのです。

 そうして、食べるものがなくて困っていたある朝。
 ひとりの坊やが来たのです。

 奥深い碧い眼によく似合う金髪の坊やです。
 これちょうだい、と。
 坊やは大木の弟を左手で指差しました。
 右手には札束が握られています。
 坊やには合わない、多額のそれです。

 これちょうだい、と。
 坊やは小さな声でそう言います。
 おそらく私に向けて言っていたのでしょうが、私はテレビでも眺めるように、部外者のようにその指を見つめていたのです。
 坊やは、札束を私の手前に置いて、大木に立ててあった絵を持っていきました。

 それを、私は止めませんでした。
 札束に欲を駆られたわけではございません。
 しかし、坊やが見えなくなるまで、私は座り込んでいたのです。

 私には家と呼ばれるものがありません。
 だから私はテレビというものを一度しか見たことがありません。
 それでも一度は見ることができたのです。

 そのときはまだ母は生きていました。

 その翌日です。
 私は新聞と呼ばれるものを初めて見ました。

 見も知らぬ男の方が広げて読まれていたのです。
 そこに、昨日の坊やと随分と似ている子が載っていました。
 私はその男性に、それを譲ってくれないかと頼みました。

 男は、冗談で言ったのでしょう。
 10万、と言ったのです。
 そうは言っても、私はなにぶんお金とは縁のなかった生活をしていたので、新聞は高いものなのか、とだけ思いました。また、それほど貴重なものなのか、と思ったのです。

 さらに、昨日坊やが残したお金はちょうど10万だったのです。
 私は男に差し出します。
 男は驚き、ためらう素振りを見せましたが、昨日の坊やの真似をして、私はお金を男に押し付けました。

 そうして、新聞というものを読んだのです。
 やはり、昨日の坊やでした。

 坊やが、賞をとったそうです。
 絵描きのコンクールだそうで、どこぞの有名な絵描きに目を留められたというのです。
 その絵の写真もありました。
 大木の絵です。随分と私のとそっくりです。

 大木の葉に積もった雪が、一気に落ちてきました。
 幸いにも、私には当たりませんでした。

 絵描きの少女が、死にました。
 その絵の具で汚れた手には、新聞と呼ばれるものが握られていたそうです。


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