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自害


 ――「廼草陣想のくさじんそう」なんて死ねばいいのに。
 そんな言葉が頭をよぎったのは、たった今、二○一二年四月二四日のことだ。詳しくいえば、午後八時四十分のことだ。今、私は大学の自習室にいる。課題の山を眺めて溜息を漏らしていたところだ。休憩がてら、私はノートに、手書きでこれを書いている。
 最近、どうも失敗続きだ。自分ではいつも通りの行動をしているはずなのに、妙に頻繁に咎められるようになった。いうなれば、視界に透明なカーテンがかけられているかのようだ。まっすぐ綺麗に見えるというのに、まるで実感がない。肌を撫でる日差しや風を、カーテンが遮ってしまっているのだ。夢心地ともまた違うのだが、語感としては、その言葉で概ね合っているだろう。
 カーテンには外界から遮る他に、内側を隠すという機能もある。まさに今の私はそんな状態だ。私が夢心地であると同時に、周りの人間も私を不透明に見ているのだ。カーテンがなかった頃は融通の利いていたことが、今となっては立派な攻撃材料になっているようだ。
 なにが私にカーテンをかけたのか。なにが原因なのか。それははっきりと分かっている。
 つい十日前、四月十三日に、私はある問題を起こしてしまった。授業中のことだ。詳しいことは伏せるが、多くの方に迷惑をかけてしまったことはいうまでもない。
 完全に私に非がある。そう判断しても間違いではないだろう。それによって、私は自分の生活について、いろいろと詰問されることになってしまった。私が起こした問題の原因を、躍起になって探そうというのである。その際、私は負けてしまったのだ。
 自分が、文筆を専らの趣味にしていることを、話してしまったのだ。今回の問題の究明に取り組んだ人間たちは、それが原因だと喚きだした。小説や詩を書いているせいで、こんな問題を起こしてしまったのだと。
 廼草陣想。私の筆名だ。これを名乗り始めて、もう二年が経つ。愛着が湧いてしまって、もう手放せない。
 今回の件で、家族に「小説を書くな」と詰られた。いくら家族といえど、人の人生を奪うことはできない。私から文筆を取るというのは、すなわち人生を取るのと同義である。筆を置いてから(本来、この慣用句は「筆を擱く」が正解だが、それでは本当に文筆をやめてしまったような意味合いになってしまう。それによる意図的な誤字であることを理解いただきたい)、もう十日が経つ。この十日間は、物凄く息苦しいものであった。まるで生きている意味が湧かない。なぜ生きているのか分からない。私は書かないと、書き続けないと生きる意味も見つけられないのだ。意味ともまた語感が違うのかもしれない。単にやめられなくなっているだけなのだと思う。
 ほとぼりが冷めるまでは、とりあえずこうして人目を盗んで、手書きでどうにか済ませるしかない。
 筆名の由来は

 * * *

 ここで、文章は途切れている。おそらくここで一旦彼は筆を止めて家へと帰ったのだろう。そして、この続きを書く前にあの事件が起きた。
 廼草陣想。彼はなにを考え、なにを望んだのか。最初の一件も、その後の事件も、彼はどのような心境で動いたのか。
 本人はもういないのだから、それを確かめる術はない。遺稿になにか手がかりがないかと期待したが、結局途切れてしまっていて、本当に伝えたいことはおそらく書かれていない。
 文章を書くということが、果たして人生と同じ価値になるのだろうか。結局彼は、自身が遺稿で語っている通り、ただ書くという欲求に捕らわれていただけなのではないだろうか。それを抑圧され、ストレスが件の引き金となった。原因としては、そんな結論で納得できる。
 では、最初の一件は、結局なにが原因だったのか。
 それも、分かる。文筆に走っていたせいだ。彼は文筆のために命を落としたのだ。最初の一件の問題解決に取り組んだという人たち、彼らの話も聞いてみた。彼らの話にも頷ける。彼らも論理的に思考し、客観的な結論を出していた。問題なのは、彼の家族が、その結論だけに振り回されていたことだが。
 彼はつい一週間前、首を切って自殺した。手首ではなく首だというのが、彼の歪曲さを知らされる。あるいは最後まで文筆家たろうとしての首なのだろうか。しかし遺書はなかった。強いていえば、先の途切れた文章こそが、彼なりの遺書だったのかもしれない。未完なのが心残りではあるが。
 書き続けること。彼は文中でそう述べている。その言葉を比喩だと捉えるのではなく、直接的な意味として捉えるのなら。彼は筆を途中で止めることによって、永遠に書き続けることを成し遂げたのだろうか。
 なんとも、変わった事件になってしまった。彼の家族も全員、彼によって殺された。全員は首ではなく、手首が切れていた。その前に動きを封じるためなのか胸を刺されているが。
 彼の遺稿、冒頭の文の前に、やや大きめの文字で「自害」と書かれていた。おそらく題名だろう。遺書に題名をつける人がいるとは。
 自害。武者時代の謂を借りたのだろう。これは逃避ではなく勝負なのだという気概、それを見せ付けることによって逃げる。
 ともかく、この事件は終止符を打った。これ以上解明できるようなことはない。彼は大学で問題を起こし、その対処によるストレスで家族を殺し、そして自殺した。それだけだ。
 一度だけでも問題を起こせば、それで周りの空気は変わる。その空気に順応してゆかねば、社会において呼吸はできない。それを彼は、学生のうちに実感してしまった、ただそれだけのことなのだろう。
 彼は

 * * *

 文章はここで途切れている。おそらく彼はここで筆を休めたのだろう。遺体から検出されたアルコールのことを鑑みるに、このとき冷蔵庫から酒を取り出し、飲んだと考えられる。
 彼は自宅でこれを書いている間、なにを考え、なにを感じていたのだろう。そして件の青年の事件を、どう受け止めていたのだろう。
 彼もまた文筆を趣味としている人間であった。自宅で自死を選ぶその瞬間まで、自分の思考を文字に興そうとしていたことからも窺える、まさに青年と同じ種類の人間であった。
 この謂わば死の連鎖ともいえる彼の

 * * *

 文章はここで途切れている。


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© 2012 Kobuse Fumio