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千紫万紅


 空が青い。まるで私の悩みなんて、考えにも及ばないくらい、空は清清しい。
 入学して二週間が経つ。昨日の大雨で、桜は全て散り去ってしまったが、どうやら私の悩みは、流されることなくしがみついたようだ。雨雲が過ぎた今朝、昨日働かなかった分を補うように、太陽は私を照らす。私を照らしても駄賃は出ないよ、そう言っても、どうやら聞き入れてはくれないようだ。学校へ向かう一直線、花の散った桜並木。色褪せて形の崩れた花びらが、いたる所にこびりついている。
 私は今まで、内部進学で生きてきた。幼稚園から中学校まで、私は同じ名の施設に通い、多数の幼馴染と学んできた。もはや「友達をつくる」というものは不要だった。高校も幼馴染と通うものだと思い込んで疑わなかった。
 雨上がりの朝というのは、霧が濃くて、湿気が痒いものだと思っていた。しかしそのような感覚は皆無だ。むしろ気持ちがいい。この気持ちよさが、学校まで続けばいいのだが。
 私は、この二週間、校内では一度も口をきかなかった。次々とコミュニティが出来上がっていく中、私は一人をすごした。その間、私に声をかける者は一人としていなかった。
「月下美人です!」
 ふいに、後方から甲高い声が響いた。そして、私が振り返る前に、声の主人は私に抱きついた。
「きゃ」
 短く声が出る。肩にかけていた学校指定のカバンが落ちた。
「あ、声出せるんですねー。口がきけない方なのだと思ってましたー」
 そう言って、彼女は私から離れる。制服の皺を直すように、二回自分の体をはたく。今どきの女子高生にはあまり見られない、黒髪のツインテールだ。小学生だと言われても信じてしまいそうな童顔に、ぱっちりとした眼、少し低めの鼻。異様に背が低い。私と同じ制服を着ていなかったら、本当に小学生だと思っていたことだろう。
 私と同じ制服を着ている――と、いうことは、彼女は同じ学校に通っているということなのか。そう考えが追いつくまでに数秒を費やした。
「一緒に学校へ行きましょう」
 私が数秒遅れた反応をしている間に、彼女はそう言った。彼女は私のカバンを拾い、私に差し出す。おまけのように、笑顔を付けて。
「誰?」
 いきなりこんな訊きかたは失礼だったかもしれない。桜の木に挟まれた中、私は小さい彼女に言う。
「あれ? 私のこと知らない感じですか? 同じクラスの、田山美沙ですよ」
「…………知らない」
「えー」
 彼女こと田山美沙は大袈裟なリアクションをとり、それからすぐに「さ、行きましょ」と私を促した。学校に行くも何も、もう学校が見える位置にいた。
 私のカバンには筆箱しか入っていない、言わば置き勉だ。が、美沙のカバンは破裂しそうなほどに大きくなっていた。彼女の言い分によると、今日の小テストのため、教科書を持って帰ったそうだ。テストとは言っても、するのは授業を五分だけ削ってするような、そんな簡単なもののはずであるのに、何を張り切っているのだか。それに、テストは数学の一教科だけである。
 朝礼開始の十分前には教室に着いた。ちらほら先に来たクラスメイトがいる。
「月下美人さん! 早速ですが、我が『美人抱きつき研究会』に入部してください!」
 教室に入るや否や、田山がそう言った。
「月下美人って……それって私のこと?」
「はい! 他に誰がいるんですか」
 小学生の優等生にありそうな、元気な声で田山は返事をする。
「なんで私がサボテンなの」
 田山は、膨れたカバンから、なにやらアルバムのようなものを取り出す。とても分厚い。カバンの容積を占領していたのはこれのようだ。田山は、それを開き、私に見せた。そこには、私の映った写真が貼られていた。
「月下美人さん、あなたはこのクラスで一番の美人です! ぜひ毎日抱きつかせてくださ――」
「断る」
 チャイムが鳴る、もう十分経ったのか、そう頭を過ぎったが、そういえば予鈴というものがあるのだった。だが、田山はどうやら今のが本鈴だと勘違いしたようで、「んじゃ、放課後迎えに来ます!」と言い残して教室を出て行った。どうやら同じクラスだというのは方便だったようだ。

 今――下校路の桜並木を歩くこのとき――思えば、私は今日、初めて学校で発声した。
 太陽が私を照らす。私は駄賃を払うつもりはないが、もしかしたら気づかぬ間に払っていたのかもしれない。内部進学だからといって油断して、入試で落ちたという結果も、今なら声を出して笑えそうだ。
 空が青い。まるで私の願いだって、考えにも及ばないくらい、空は太陽を包んでいた。
 花が散っても桜は桜だ。そもそも、散るためにはまず咲かないといけない。
「月下美人さん!」
 ふいに、また後方から甲高い声がした。どうやら、追いかけてきたらしい。しつこいやつだ。私は、顔の綻ぶのを堪えながら、千紫万紅の中を走った。


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© 2011 Kobuse Fumio