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教室


「そうですね。シニフィエとシニフィアンはまったくの別物です。たとえば『本当』という言葉は、その言葉を使う人によっては、この国だけでも『マジ』だったり『ほんま』だったり……最近の特に新しい若者は『リアルに』、『げに』などとも言うらしいですよね」
「はなはだ不快である」
「あああ、あああ。私は箱のなかの猫に干渉することなどできないのだ死んでいるのだ死んでいるに違いないのだあああ、あああ。わたしのミャアコ」
「これを恣意性といいます」
「不快が不快だが不快だが不快だ」
「せんせーい! バナナはおやつに入りますかー?」
「多世界解釈がどうしたというのだわたしはここに一人しかいないではないか瞬間瞬間のわたしを切り取って可能性を引き出したとしてもわたしはここに一人しかいないではないかああ、あああ。わたしのミャアコ」
「言葉が変わるといえば、単語の意味、シニフィエというのは、時の流れによって変化するものですよね。まるで生物のように自然選択を繰り返しているのだと思います。たとえば……なにがあるでしょうか。『かげ』という単語は、ずっと昔は『光』という意味もあったそうですが……。このように単語の意味が変化することを通時態といいます」
「不快であるだ、不快ですます」
「これはオレンジですか?」
「いいえ、これはペンです」
「ああミャアコ。わたしのミャアコ」
「ちなみに、時代のある一部分だけを切り取って、単語の意味をその特定の状態に合わせて指す場合、共時態といいます。合わせて覚えておきましょう。さらにちなみに、ユングが提唱したシンクロニシティのことを、共時性ともいいますね」
「不快なので不快なのであって、決して不快でないから不快なのではないのであり、その事実が不快をもたらしているのであれば即刻に不快であるということを不快でないということに解釈せねばならないことが不快なのだ」
「弁当はおやつに入らないよね」
「いいえ、これはバナナです」
「今頃太陽では、四つの水素の原子核が一つのヘリウムの原子核に変換されているのだ。水素の原子量は一・〇〇八〇、ヘリウムのは四・〇〇二六というのだから、電卓、おい電卓……〇・〇二九四ほどの質量が減少するわけだ。この質量がエネルギーになるというのだから……E=〇・〇二九四×(真空中における光速すなわち三・〇×一〇の八乗)の二乗……おいさっきの電卓はどこだ。ええい。二・六×一〇の一五乗ジュールか? おれはゼロをいくつ押した。これで合っているのか? ああ、ああ、わたしのミャアコ。ヘリウムひとつでこれだけのエネルギーだ。これが一瞬のうちに大量のヘリウム分つくられて、そのうちのいくらかが地球まで送られてくるのだ。ああ、わたしのミャアコ。おまえはそのうちのたった〇・一×一〇のマイナス一〇〇ジュールも浴びることはできないのだよ。あんなに日向ぼっこが好きだったというのに……ああミャアコ」
「電卓とハサミは使いようですよね」
「ですから、単語の意味というのは、他の単語の意味との関係で決定されるものなのです。これをソシュールは体系と呼びました」
「不快であることに理由が求められているのならばその状況が不快であるのでありその理由を求めたという状況そのものが不快を与えているわけであるがそれならばそもそものもとからあった不快というものはなんのためにあったのかと考えるならば不快だ不快だがが不快な」
「ハウあーゆー?」
「あいむ、ふぁいむ、せんくー」
「ちーっす」
「ハバナ」
「うぃーっす」
「いいえ、これはペンではありません」
「こっちとそっちどっちが好き?」
「ただ、体系だけで単語の意味を決定するというのは、少し無理があるんですよね。いえ、単語の意味、という面からいえば充分といえなくもないのかもしれませんけど、たとえば『ペン』というだけではただの単語であって会話としては成り立ちにくい、『ペンを落としましたよ』『ペンを貸してください』『ペンを買います』……単語の意味を決めるためには、文という単位まで押し上げて考える必要があるのです」
「きみならいけるよ!」
「ミャアコ……」
「不快」
「ぼくは、こっちがいい、かなぁあ」
「このような、複数の単語によって構成される単位、つまり文以上の単位ですね。これを連辞といいます」
「なんで女なのにぼくっていうの」
「不快であるとは、なにか。不快とは、なにか。これを考えるのは実に不快なことであるがもしかしたら不快のどんぞこの奥底には快感が宿っているのかもしれない。それを探り当てる宝探しのような探究心こそが人類を奮い立たせる重要な鍵なのであり不快だ」
「きもぃょね」
「ごめんみんなきもいわ」
「ああ、生徒数が増える毎にここの重力的曲率が正へと傾いている……。ああ……。ゼロから離れてゆく。あああ。ミーコ」
「ミャアコじゃなかった?」
「たばこはおやつに入りますか?」
「いいえ、これはペンです」
「そうだ。こんなところでくよくよしてはいられない。待ってろわたしの可愛い可愛いミーコ。わたしがおまえを箱から救い出してやるぞ。すべての可能性を教室に集合させておまえを復活させてやるのだ!」
「不快だから不快であるのだからそのために不快なのであって不快ということは不快ということであり不快だから不快であるのだから不快ということは不快とは不快だったにゃ」
「せんせい!」
「いいえ。先生はバナナです」


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© 2016 Kobuse Fumio