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心の皿洗い


「あきれた。皿ひとつ洗えないの」
 京さんが溜息を吐く。ぼくとしては洗えているつもりだったのだが、京さん曰く「皿洗いのさの字もできてない」のだそうだ。
 京さんは大学の先輩だった。学年はひとつだけ上だが、年齢はふたつ上だ。それでぼくがひとり暮らしだけどろくに料理はしていないという言質を取って、この部屋に上がり込んできたのだった。
 それでシンク台を見て、そう言われたのだった。
「あのねえ。お皿ってどうやって洗ってる?」
「え、スポンジで」
「お皿はね、心で洗うものだよ」
「はあ」
 無心で洗うものというならまだわかるけど。
「心でってどうやって洗うんですか」
 京さんの物言いを受けて妙な自信感を得たぼくは、そう返した。
「そりゃ、こうよ」
 京さんがシンク台に手を伸ばす。まだ洗っていない皿が少し積んであった。一気にやるのがいいのだと、少し残してある。
「こう、心で」
 手を広げる。水に浸し忘れてお米でかぴかぴしているお椀が、ふわり、と浮いた。
 え、と思うも、声が出ないぼくに、京さんが得意げな目線を送る。
 お椀のなかにこびりついていた米の残りかすが、まるでセロハンテープのようにはがれていく。京さんは手をお椀にかざしているだけだ。なのにお椀が宙に浮いて、中身がどんどん綺麗になっていく。
「これがね、心の皿洗い」
「これが、皿洗い」
「そう。これが皿洗い」
 なるほど。ぼくは皿洗いのさの字もできていなかったようだ。


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© 2018 Kobuse Fumio