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完全体サイボーグ


 ロボットの集合的無意識――といえば聞こえはいいが、それは単に、「ロボット三原則はもう古い」という危険極まりない言辞に対する抑制策のようなものでしかない。
 時の流れとともに人間の体には「代替」が利くようになっていた。はじめは労働力の代替、すなわち人間が椅子に座っている間に、無機質なロボットが作業をこなしていたものだ。ところが次第に、代替というものは人間の体、文字通り体そのものを欲するようになった。義足、義手、視力を保った義眼、皮膚の代わりとなる保護フィルム、血液循環器……、それらははじめこそ、人間の作業効率を補うにとどまっていた。
 サイボーグとアンドロイドの違いが曖昧になったのは、ほんの数年前のことだ。人間の体一部を、改造し機械に代替するのがサイボーグ。はじめから人間ではなく人工的に作られた人間型ロボットがアンドロイド。それらは原初に「人間」が介しているか否かにおいて、けっして混同することのないカテゴリにあるはずだった。
 しかしほんの数年前に、境界線は踏み越えられる。体のすべての部分を、機械に代替した人間が現れたのだ。腕と脚、目と鼻と口と耳、五臓六腑からついには脳まで、徐々にその人間は完全なるサイボーグへと変貌を遂げていた。成功者がひとり出るだけで、枷は外れてしまう。サイボーグとアンドロイドの差異は――いや、人間とロボットの差異は、闇のなかに放り込まれてしまったのだ。
 事態に対する危機意識は、少なからずどの人間もいだいていたことだろう。実質的に、サイボーグとアンドロイドにまるで違いがない。アンドロイドが演算子法に則って表情を作り上げるのに対し、完全体のサイボーグは記録媒体から表情の記号を表出した――それは本質的に同じことでしかない。
 筆者含める「人間」側は、その不気味な現象への対応に迫られた。いや、「人間」側という言葉も、昨今では不安定で実感がない。この事態に対して、疑問を示さず、問題視しなかったのは、アンドロイドは無論のこと、完全体サイボーグもだったからである。
 ――さて、冒頭一行目に立ち返ろう。「ロボットの集合的無意識」。この存在を確認したときの、われら人間の喜びは計り知れない。
 集合的無意識、言い換えれば、「心の原型」とでもなろうか。心のないロボットに心の原型だなんて、ナンセンスかもしれないが、アシモフから続くロボットの大原則、「ロボットは人間を傷つけてはならない」――これは心の原型として、人間に広く浸透していたのである。まさしくそれが完全体サイボーグとアンドロイドの違いであり、この問題の解決策であった。完全体サイボーグは、人間ではなかったのである。
 少し複雑な話になるが、「人間」である段階から深層心理の奥の奥まで保存された約束事は、「人間」の部位をすべてなくなったとしても残るようである。それは心というありがたみのあるものではなく、おそらく最後の「人間」の部分が、サイボーグ化された脳と同期したものと考えられるが、詳しいことはいまだ分からない。重要なのは、サイボーグは人間の部位を完全に失った時点で、「人間を傷つけることができなくなる」。実質的にロボット三原則の第一条が適用されるのだ。
 であるから、長々と書いてしまったが、この問題は人間の危機なんてものではなかったのである。そこにあるのは、悲しき「個人」の死に他ならない。効率化を極めすぎると、ついには人間として死を迎えてしまう。人間諸君は、死を迎え第二の誕生を果したサイボーグを、恐れることはないのである。むしろ優しく迎え入れてやり、「人間」という枠組みを取っ払った、新たなる生活体制が必要ではないだろうか。
 それにしても、この真実が明らかになった現在でも、完全体サイボーグ化する人間がさほど減らないのは、どういうことなのだろう?
[EOF]

   * * * * *

 ここで筆をおいた。おれはぐっと両手を伸ばす。
 あーつかれた。おれは椅子から立ち上がり、屈伸をした。膝がこわばっている。
 一仕事終えたら、なんだか急に腹が減ってきた。たしか食品保存庫に納豆があったはず。でもあんまり発酵食品って好きじゃないんだよな……。お、あったあった。おれは目的のものを取り出して、食品庫の扉を閉める。
 ――と、扉の裏に、そいつはいた。
 全身がこわばるのを感じる。さきほどの膝の具合とはまったく違う。
 あ、いや。なにを怖がっているんだ。怖がるものではないって、さっきそんな原稿を書いたのは他でもないこのおれだぞ? なにを怖がっているんだ。目の前の完全体サイボーグに。
「どこから入った。不法侵入だぞ」
 そいつは、女の造形をしていた。おれよりも高い背、長いブロンドの髪、つややかな白い肌、強調された胸部……そのどれもが、代替を受けた作り物にすぎない。一時期流行したときに念のために買っておいた生体反応機は、食品庫のうえで「1」という数字を示している。この部屋にいる「人間」が、おれひとりということの証拠だ。機械は嘘をつきはしない。
「……ふん。まあ人間の法律を、サイボーグに言うのもおかしいよな」
 目の前の彼女は、まだ怖い顔をしておれの顔を見つめていた。無機質な表情。媚びた表情でも作ればいいものを、彼女の頭脳はおれの前では無表情でいいと判断したらしい。癪だな。
「さっさと出てけよ。おれは納豆を食うん――」
 おれの右手が飛散した。
 納豆が頬にこべりつく。
「――え?」
 おれは右腕を上げた。筒のような形になって、おれの血液が噴き出ていた。頬についていた納豆が、すこし落ちて、噴出口にぶつかる。
 激痛と同時におれは叫んだ。叫んで走った。膝の具合は気にならなくなっていた。空腹なんてもってのほかだ。部屋を出る。こける。膝をうつ。痛くない。立ち上がれ。る。
 廊下を走る。逃げる。階段を駆ける。逃げる。アパートを出る。逃げる。
 なぜだ、なぜだ。あれは確かにサイボーグだった。完全体の、非人間だった。
 集合的無意識なんて、なかったのか。くそったれめ。またこける。今度は痛みが拡がった。
 なぜだ、なぜだ、なぜだ!
 後ろを向くとあのサイボーグが悠々と近づいてくる。まるで狩りでもやっているみたいだ。おれが、狩られる、動物か。
 サイボーグが、手の平をおれに向ける。そこから弾丸を出すのだろう。いやだいやだ、いやだ。おれはまだ死にたくないんだ!
 飛び上がって彼女に覆い被さった。おれの右足が飛び散った。おれは無我夢中で彼女の髪を掴んだ。あっけなく髪は取れた。カツラだったらしい。体を地面にぶつける。もう痛みも感じない。おれの体じゃないみたいだ。
 ああ、おれはここで死ぬのか。
 納豆、食いたかったなあ。でも発酵食品はなぁ。
 しかし。
 彼女は戸惑ったようにそこに立ち尽くしていた。攻撃してこない。
 なにがおこったんだ。
 殺さないのか。
 殺さないならどっか行ってくれ。おれを殺さないでくれ!
 その声が届いたのか、あっけなく彼女はそこを去っていった。
 左手が掴んでいるカツラが、人毛でできていたのだと気付くのは、もう少し後になってからのことだ。


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© 2013 Kobuse Fumio