-大きな文字で。


トップへ戻る掌編一覧に戻る


さよなら


 太陽の熱はとても冷たいのです。ウィーブは自身を抱きしめました。肩が小刻みに震えています。太陽程度では充分な暖がとれません。仲間たちはどうしているだろう。ウィーブは首をすくめて思いを馳せます。もうへその緒を通過して、向こう側に到着しているかもしれない。ぼくは置いてけぼりになったんだ。――ウィーブの考えることは徐々に降下してゆきました。じわりと沁みるものがウィーブの胸を突き刺します。
 なにもない真っ暗な空間で、色褪せた太陽だけがウィーブに光を与えています。しかし太陽は冷たいのです。ウィーブは太陽に背中を向けました。背中に微弱な熱がぶつかります。閉じ込められたように色のない景色が、どこまでも続いているように見えました。ずっとずっと遠くに、ちっぽけで緩やかな連星が窺えるだけで、ウィーブの心を満たすものは、なにもありませんでした。必然的にウィーブは、胸の内にこもっている熱、自分の記憶に、目を向けてゆくのです。
 ……あるとき、宇宙のいたるところにワームホールが出現しました。宇宙が膨らむときに必要なエネルギーが、ワームホールになったのです。ウィーブの仲間たちは、それを〈へその緒〉と呼びました。……
 太陽はいびつな形をしています。いつの間にやらまた太陽を向き直ったウィーブは、じっと薄い膜を眺めていました。膜の内側で、かろうじて生成され続けているヘリウムが、力なく漂っています。ウィーブは太陽の膜を指でつつきました。ぶにぶにとしてまるで生き物のようです。しかし生きてなどいません。ウィーブのいたずらに、なにも応じず、されるがまま膜は揺らめきます。
 ……宇宙はつながってゆくのです。母親宇宙から、子ども宇宙へと。へその緒が生じ、そこから新たなる宇宙が膨らんでゆきます。そしてへその緒が切れたとき――母親宇宙と子ども宇宙の因果が断ち切れたとき、赤ん坊が産み落とされるのです。……
 ウィーブは両手を枕にして、太陽のそばに寝転がりました。もう仲間と会うことはできないでしょう。仕方のないことなのです。個よりも種を尊重し、なによりも生き残ることを優先する。それが生命体全体の揺るがない欲求であり、ウィーブにとっても最大の願いであるのです。諦めはついていました。だというのに胸が痛い、痛い、ウィーブは涙を拭いました。拭き損ねた涙が、暗闇に浮かんで、太陽の膜を通り抜けてゆきます。少しだけ、太陽の熱が温かくなったような気がしました。ウィーブは体を起こします。
 連星は、沙漠に紛れたダイヤモンドのように。太陽は、廃れてしまった枯れたオアシスのように。ウィーブは立ち上がって、静かな宇宙を見渡しました。なにもない足元。なにもない天井。気付けば床と天井が入れ替わっていて。それでも太陽はすぐそばにありました。太陽にはかつてのような炎はなく、ただ消え入るような冷たさの中身と、その膜があるだけでした。膜のなかには、塵と、砂と、ヘリウムと。
 突然ウィーブは、その塵のなかに、過去の栄光を見出しました。それは太陽の最後のあがきのようでもありました。その塵には、生命が繁栄した姿――地球のおもかげがあったのです。
 ウィーブは今度こそ涙を流しました。堰き止めていたものが崩れてしまったように、涙はとめどなく流れました。拭ういとまも与えません。ウィーブはたくさん泣きました。泣けば泣くほど、ウィーブの胸が潤ってゆきます。気力が甦ってゆきます。そのたびに太陽も明るくなっているような気がしました。仲間とはぐれて、生きるのを諦めてから、この太陽はずっとウィーブのそばにいてくれたのです。ウィーブは強く太陽を抱きしめました。
 太陽はパァンとはじけて、なくなりました。


トップへ戻る掌編一覧に戻る
© 2013 Kobuse Fumio