-


トップへ戻る掌編一覧に戻る


性急なこいつ


 ぼくは7800円の性急な靴を商店街の靴屋さんで買った。履き心地はまるで床にトイレットペーパーを敷き詰めて歩いているみたいに足の裏を粘着するようで居心地の悪いものではなかった。しかしこいつはなんともせっかちな奴である。ぼくが寝坊したとみると怒り狂ったかのように足の甲を締め付けて走行を促した。普通に考えれば5分ではよもや到着するはずのない距離3キロメートルを走らされたのだ。車になった気分だった。この短気な靴はさながらアクセルのようにぼくの足を加速させた。
 移動だけではない。こいつは日常のあらゆる面において性急でせっかちで短気だった。おかげで仕事の効率は飛躍的に上がった。こいつは無駄を極端に嫌いぼくが少しでも休もうとしたり隣の山田と雑談に興じようとしたり上司から仕事を引き受けようとするとたしなめるように足の裏を刺激した。そして定時になると自宅へとダッシュするのだ。こいつのおかげでぼくの人生には前とは比べ物にならないほどの余暇が生まれた。その余暇は恋愛運までをも引き寄せた。
 しかし、ぼくは余暇を楽しむことができなかった。こいつはどこにいたってなにをしたって、とんでもなく性急なのだから。


トップへ戻る掌編一覧に戻る
© 2015 Kobuse Fumio