-


トップへ戻る掌編一覧に戻る


止まれt


 コンクリートの道を歩く。道路の上を。車は通っていない。この辺はもともと車の通りは少ないし、それに今は夜中だった。
 左右には家屋。レストランもある。大きな道路ではないが、本来人が通っていいような道でもない。車専用の、中央に白線の引かれた道を、ぼくはまっすぐに歩いていた。
 どこかを目指しているわけではない。かといってどこにも向かっていないわけでもない。本来は車でないと通れないその道を、足の裏で感じながら、歩いていく。その先には三色の信号が見える。夜中だから赤く点滅している。でもそれは三色の信号機だ。今は一色であっても。
 そういうことを考えても良いし、考えなくても良い。信号があるということは交差点か横断歩道があるということで、断続的な白線で遮られた、両脇の歩道を見渡しながら、安全を確認する。周囲には誰もいないから、確認する必要があるのかはわからないが、しかしこういうとき、こっそり点数稼ぎのパトカーが待機していたっておかしくないのだ。車道を歩いている限り、たとえぼくが徒歩だとしても、その鉄則は守ったほうが良いだろう、と少なくともぼくは思う。
 ぼくは今、車なのだ。
 車ではないが。
 車ではないが、車道を通る人ではある。
 人であるから、車ではないという道理はない。車だって人が乗らないと動かないのだから、人が車であっても、おかしなことではないだろう。そういうときっと、目敏い誰かさんは、試験的に運用されている、無人運転のバスのことを持ち出すのだろうが、しかしそれだって、人によるものなのだ。乗っているか乗っていないかという違いがあるだけで。
 確認が済んだので、ぼくは再び歩き出した。白線を踏み越えて、交差点を渡り、道路を歩く。死ねばいいのになと思う。死ねば、良い感じになるのかもしれないのにな、と思う。でもその唐突な思考は、直流によるものではないので、歩きながら捨ててしまう。タバコのポイ捨てはいけないことだが、思考のポイ捨ては、さほど咎められることはない。深夜であれば尚更だった。
 歩き、歩き、さらに歩いていくと、ふいに目に「止まれ」の三文字が飛び込んできた。コンクリートに書き込まれているのだった。しかもそれは、路面標示というわけではなく、ただの落書きなのだ。一体だれが、いつの間にこんなものを書いたのかと思うのだが、しかしそれは明らかに手書きで、スプレーか何かで書いたのだろう粗さが見て取れた。
 それを見ているとしかし、ぼくは止まってしまう。
 誰かの視線を感じてしまう。
 実際には誰もいないのだろうに、ぼくは、止まってしまう。
 再び歩き出すべきか迷っているうちに、朝が来て、車が来た。
 車はぼくを容易に轢いていき、三色の信号機が青になった。さようなら、さようなら。


トップへ戻る掌編一覧に戻る
© 2018 Kobuse Fumio