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とめどなく


 感動的なメロドラマを見ていると、どうしても、涙がとまらなくなる。もともと涙もろいたちなので、こうやってあからさまに涙を誘ってくるような物語には、毎度毎度えんえんと泣かされてしまうのだ。
 しかし今日は少し様子が違って、わたしは涙をいつまでも止めることができなくなってしまった。涙はそりゃ止まらなくなるものだけれど、今日は特にひどかった。涙が流れる、というよりも、零れ落ちるような勢いだった。ホースからちょろちょろ流れるのではなくてバケツをひっくり返したような涙。それくらいわたしは号泣していた。
 とめどなく、涙が零れ続ける。そのうち部屋は涙でいっぱいになって、ひとつのプールに入っているような感覚さえ思わせた。でもまさか、それほどまでの量の涙が、ひとつの体に納まっているはずがない。わたしの涙腺からは、次第に、涙以外のものが零れ出てくるようになった。カルシウムが足りなくなったら体が骨から栄養を取っていくみたいな、きっとそういう原理なのだろうが、わたしにはよくわからない。ただ、涙以外のものが、とめどなく。
 まず流れてきたのは血液だった。泣きじゃくったのだから泣き袋が切れたのかもしれない。泣き続けると腫れぼった目になるものだから、それがいきすぎると、血が流れてしまうのだろう。なるほどこれが血の涙というものか。わたしは吸血鬼になった想像をしたが、あまりそぐわなかったので、その想像は打ち消した。
 次に流れてきたのは視神経だった。目がずきずきと痛むと思ったら、びりびりと痺れが指の先にまでひろがって、細い糸のようなものが血に混じって零れ落ちてきた。視神経がどんな色をしていてどんな形状をしているのか、気になったけれど、見ようとしたらなにかが邪魔したようにそこは暗闇で、わたしは視神経を見ることはできなかった。代わりに涙に浸かって濡れている体のつめたさが、よくわかるようになった。
 その次に流れてきたのは、わたしの記憶だった。そうだ。このメロドラマをみてこんなに泣いてしまったのも、わたしの記憶ととても深くリンクしていると感じたからだ。カレシと別れたときの記憶、父親にぶたれたときの記憶、第一志望の大学に落ちて、友達とそれっきりになってしまったときの記憶、高校のとき友達が預けてきた缶ビールをちょびっと飲んでみて、急に悲しくなった記憶、中学校でテニスの練習中にボールが背中を直撃したときの記憶、小学校のときに朝礼中貧血で倒れたときの記憶、うちの子は弱いから……誰かがどこかで言っていたときの記憶、幼稚園でおねえさんが他の子ばかりでわたしに構ってくれなかったときの記憶、よちよちと歩いていると机のかどに頭をぶつけてしまったときの記憶、生まれたときの、あの、泣き叫ぶ記憶……。
 違う。これはわたしの脳みそだ。零れ落ちているのは脳みそそのものなのだ。とめどなく、退行していく。
 だめだ。このままでは空っぽになってしまう。
 片方の目玉が転げ落ちた。
 眼球の尻尾のようなものが、わたしの鼻を伝う。
 でも視神経はとっくに零れていなかったっけ。
 なにが零れてなにが零れていなかったかの事実も、すっかり零れてしまった。
 瞳から零れ落ちていく。
 とめどなく。
 とめどなくわたしはわたしを零し続けている。


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© 2014 Kobuse Fumio