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床下収納


 洗面所に床下収納があることに気付いた。
 洗面所は同時に、浴室に隣接する脱衣所でもあった。深夜に帰宅した私はシャワーをし、体中に感じるアルコールを洗い流そうとしていた。その日はつらいことがあって飲みすぎてしまった。酔い方も少し変な感じだった。
 それで、浴室から出た途端に、くらっときた。脱ぎ捨てた衣服の上に倒れ、頬が床にひっついた。そのときに、床から漏れ出る風を鼻で嗅ぎ取ったのだった。
 幸いなことにどこも打っていなかったし、意識もはっきりしていた。服をどかすと目立たないが確かに、床に可動式の取っ手が嵌め込まれていて、それを引きだすと容易に開けることができた。
 開けると「うわっ」と声が出た。
 でも、「うわっ」と言うようなものは何も入っていなかった。そもそも床下収納の中は空っぽだった。
 何もないのに驚いてしまった。これはひどいなと苦笑して、そのまま部屋に戻って眠った。

 浅い眠りが覚めると休日の早朝だった。ひどい気分だったので、野菜室からトマトを出してかじって、それで朝食とした。
 それからようやく洗面所で顔を洗った。トマトで口元も汚れていた。そのときになってようやく、昨晩の床下収納のことを思い出した。
 昨晩これを開けたあと、記憶は定かではないが、きちんと閉めたらしい。床下収納は閉まっていた。ふちのところに手をかざしてみると、昨晩と同じように空気の漏れ出る感触がする。
 冷静になって考えてみると、空気の流れがあるのはおかしいような気がしてきた。
 昨晩と同じように取っ手を引きだして、上に引っ張る。
 しかし、それは開かなくなっていた。
 なにかが引っかかっているようだった。かかとくらいまでの高さまでは開くが、それ以上はびくともしない。
 ひっかかるといっても、中には何も入っていなかったはずだ。ではどうして急に開かなくなったのだろう。
 小さく開いた隙間から、中を覗いてみても、薄暗くてよく分からない。
 不安になって、すぐにライトを持ってきて中を照らした。
「うわっ」と声が出た。
 でも、何かが見えたわけではなかった。ただ、何の理由もなく、反射的に「うわっ」と言ってしまった。言ってしまったのに、何も見えなかった。ライトが照らすのは床下収納の狭い壁、他にはなにも窺えない。かかとの高さまでしか開けないから、角度的には、どうやっても見えないところもある。でも見えている範囲では、何も見えなかったし、何かがあるような気配はなかった。
 でも、「うわっ」、がどうしても気になった。
 自分のことなのに、自分の発言の意味が分からない。
 もしかしたら、角度的に見えないところに、何かがいるのかもしれない。なんとか体勢や見る向きを変えたりするが、見えない部分はどうしても見えない。それなのに、どうにかすれば見える気がして、それ以外のことが考えられなかった。

 それからもう何年も、そのことばかり考えて生きている。


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© 2018 Kobuse Fumio