2016.10.28 テンミリオン14周年記念作品


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愛、対消滅


 ここに時の精霊がいる。彼女は孤独だった。彼女はかつて炎を司る火の精霊であったが、先の大魔王による混乱期に乗じ、現在の役割に昇格した。彼女自身はこの昇格を転職と称したが、これは他の精霊を気遣った謙遜であり、実際のところ他の精霊をも司る大精霊へと昇格したことは、火を見るよりも明らかなことであった。時とはなにか。時とは空間である。動物があらゆる事象を視認する際、目などの視覚器官はその光を受容する。これは光が動いているからこそ実現可能なことである。動いていなければ、光が目に届くことなどありえない。視認するにおいてだけでなく、物質が物質として在ることにさえ、運動的要素は不可欠だ。鉄の塊がそれぞれ鉄の原子に拡散されることなく、鉄としての形を維持できているのは、それぞれの鉄原子が持つ電子が縦横無尽に動き回っているからに他ならない。空間が空間であるためには素粒子の運動が絶対的に必要なのであり、素粒子がある点から他のある点へと移動するのならば、それは時である。物質は同時に二つ以上の空間には存在しえないのだから、運動とは、時の動きなのだ。したがって時の精霊は、空間的物質を司る他の精霊たちをも管理する階梯にいるのであって、この点において、彼女は精霊の中で排他的存在、すなわち孤独なのだと断言せざるを得ない。
 事実、彼女の昇格を好ましく思わない精霊もいた。その筆頭が大地の精霊だった。時の精霊がかつて火の精霊であったとき、大地は火の良き理解者であった。火は誰よりも争いを好まない、平和を重んじる精霊であり、大地は寡黙ながらも彼女のその姿勢を支持していた。ところが突如にして大魔王という未知の存在が発生し、地上の人々が武器を取るようになってからは、火は争いの象徴として祭り上げられた。そのうえ、火はその象徴性を受け入れたのである。大地には、彼女の行動が理解できなかった。争いを好まぬ良き友人であったはずの火が、戦火となり人々の争いを導いている。これは、大地にとって背信行為であった。なぜ火の精霊は戦火となったか。大地は気付かなかったが、それは、大地のためであった。大魔王はその瘴気を広げ、世界を闇で覆いつくそうとしていた。光の精霊が瘴気の拡散を食い止めてはいたが、瘴気の量は尋常なものではなく、地上を汚染されるのは時間の問題だった。光が力尽きたとき、世界は大魔王の支配下となり、この世界を司る多くの精霊たちが死に絶えるだろう。いち早くこの事態に感づいた火の精霊は、光に協力し、大地たち地上の精霊を守るために人々に武器を持たせたのである。大魔王の瘴気は光の防壁を潜り抜け、魔物という形に変容した。人々はその魔物を攻撃した。火の精霊は人々がより強く、より逞しくあるよう導いた。大地は、人々を醜いと思った。人々は戦火のもとに魔物を殺し続け、魔物も次第に数を減らしていった。そして大魔王は瘴気を吐き終えた。光は大魔王にとどめを刺そうとしたが、もうそれほどの力は残っていなかった。大魔王は満足したように地上から姿をくらました。大魔王を倒すことはできなかったが、火の精霊はこの結果に満足した。平和を保つことはできたのだと。ところがそれは過ちだった。人々は武器を捨てることはしなかった。武器の使い方を覚えた人々は、火の意思とは反して、争うことを続けた。魔物はいなくとも、争う対象は、人がいる限り尽きなかったからだ。戦火はむしろ大魔王がいたときよりも膨れ上がり、火は地上全体を覆いつくす象徴となった。こうして火は、時の精霊に昇格したのだった。それは大地との友情を犠牲にした昇格だった。

 またここに、天空人エルマーナがいる。天空とは決して、地上から観測される遠い星々のことを指しているわけではない。天空とは、時の呪縛から解放された空間のことである。前述の通り空間が空間たりえるためには本来、時の介入が必要である。しかし天空に時は存在しない。天空において物質は素粒子の運動を必要としない。物質が物質である必要もない。時の流れと無縁であるのだから、たとえ地上で十の三十四乗年の時が流れたとしても、天空に変化は起こりようがない。エルマーナは斯様な世界の住人だった。地上とはまったく異次元の法則で彼女は生き、地上とはまったく異次元の方法で地上を観察していた。彼女は地上に興味を持っていた(無論ここでいう興味とは時を必要としない興味であり、地上のそれとは異なる)。しかし、天空人が地上に介入することはまず不可能だった。それは宇宙から他の宇宙へと物質が移動することよりも、ありえないことだった。彼女の〈興味〉は地上に降り立つやすぐに対消滅を起こす。対消滅の際生じるエネルギーは本来はガンマ線などのように放出されるが、天空における興味は、虚空へと消えてしまい、何も残らない。天空の事象が地上から観測されることは、非常に困難であり、相応のはたらきが必要だった。
 時の精霊が天空人の存在に気付いたのは大魔王がどこかへ姿をくらませ暫くした頃だった。時の精霊は争い事をやめない人々を憂い、哀しみの涙を流すために時を止めていた。涙を流すと決まって水の精霊が慰めに来る。水が語りかける言葉はいずれも心を洗い流す清く優しきものであったが、時の精霊になってから、彼女はその言葉に頼ることができなかった。彼女は孤独だった。彼女の声に応じる人々はもはやいない。そして彼女の言葉に耳を傾ける精霊さえも。大精霊という階梯は、絶対的に孤独であり、彼女は時を止めて涙を流すしか、自らを慰める方法を知らなかったのだ。ところがその時だった。時の止まった、彼女だけであるはずの空間で、彼女はなにか異質なものを発見した。それは時の止まった空間を自由に漂う、エルマーナの興味だった。時が止まっているがために、一時的に地上は天空と同じ条件となり、興味は対消滅を起こすことなく存在することができたのである。彼女はその興味を身に抱えた。自分とは別に、時の支配から独立した存在がいることを悟った。そして間もなく、その興味が一つや二つでないことも。彼女は興味の出所を探った。天空と地上に、特定の接点があるはずもなく、興味がどの時のどの空間に現れるかの法則を辿るのは、非常に多くの手間を要した。しかし彼女にとってそんなものは問題ではなかった。そしてようやく、一人の天空人を発見した。目に見える姿は有していなかったが、そこに天空人がいるということを火は理解した。天空人は時の精霊が流す感涙の炎に触れた。時の炎は天空人を包み込み、さながらIncarnationのように、その天空人は目に見える姿を持つようになった。時の精霊は自分がこの地上において時を司る精霊であること、孤独であったこと、あなたに会えて心から喜んだことを話した。天空人もそれに応じ、常々この地上に来てみたかったこと、天空には自分のような天空人が何人もいることを話した。
 地上に降り立った天空人はエルマーナではなかった。エルマーナは彼の言う「何人もいる」天空人の一人だった。

 初めに地上に降り立った天空人は、時の精霊と親密な仲になった。彼は人里離れた廃村に潜んでいた大魔王を見つけ出し、討伐した。時の制約を受けない彼は非常に強く、彼にとって大魔王は敵ではなかった。大魔王の死は瞬く間に人々の世に知れ渡った。彼は人々に勇者だと持て囃された。彼は今後も地上人のためにここに暮らすことを決めた。彼は勇者と称された自分を隠し、ギルドを開設した。無為に天空の力を地上で使う必要もないと気付いたからであった。ギルドで志願者を募り、太平の世を目指し、彼は動いた。
 その頃には時の精霊は、他の天空人も地上に招待しようという発想に至っていた。あるいは勇者がギルドの活動に精を入れてばかりだから、寂しく思ったのかもしれない。時を止めることで天空から伝達される事物の対消滅を防ぎ、その出所を辿ることで天空人を見つけ出す。今度こそ、エルマーナは見つけ出された。エルマーナは勇者と同じく地上での姿を獲得した。しかしこのとき彼女は、自分が勇者ほど強くはないということに気付いた。地上の姿には、個体差があるという事実を、このとき彼女は初めて理解した。彼女にとってそれは、あまり好ましいことではなかった。そのため、時の精霊への挨拶もそこそこに、彼女は自らの力を補う武器を創造し始めた。ランダムに選び出した地上の人間をモデリング対象とし、それとそっくりな形質を作り出す。次に天空人のように時の支配から独立した存在でかつ、地上でも存在できうる状態を保つため、incarnationと似た相転移のような現象を常に繰り返させるサイクルを作り上げた。名づけるならば空転移とでも呼ぶべきそれを、先ほど創りだした人型物質に空間的に位置づける。こうして魔法機械シバは誕生した。さらに小型の魔法機械をもう一つ創り、自らの額に埋め込んだ。時の精霊は彼女の一連の創造を快くは思わなかった。時の精霊は争いを好まない。エルマーナは決して争うために武器を創造したわけではないが、争うために使わなくとも、武器とは争う手段であることを、時の精霊は学んでいた。時の精霊は独断でその魔法機械とエルマーナ本人の額部分の時を限定的に停止した。エルマーナの創った空転移は空間的な位置づけを物質に施すことによって作動していたため、空間を支配する時の精霊にとって、魔法機械の制御は容易いものだった。
 奇しくもちょうどその頃に、大魔王の残存エネルギーによって闇の精霊が誕生した。闇は空転移機能を失い混濁状態にあるエルマーナを発見し、その意識を乗っ取った。「世界を闇で覆いつくせ」エルマーナの口を通して闇の精霊はそう言って回った。その姿を発見した勇者は彼女の額部分のみ時が止まっていることを不審に思い、時の精霊に何があったのか詰問した。時の精霊は炎の涙を流し弁解するが、正直者な彼女は最終的にはすべてを白状した。彼女は本来的に孤独な存在であり、天空人はその孤独を埋める大切な客人であったはずだというのに、好まない武器を創造したという理由で彼女はエルマーナに攻撃的措置を行った。この複雑な感情と言動に勇者は言葉を失った、あるいは自らがいまだ地上の感情を理解しきれてはいなかったことを理解した。勇者は一時的に時の精霊と距離を置くことを決め、それを彼女に告げた。それまでもギルド活動にかかりっきりで、彼女と頻繁には会っていなかったというのに。時の精霊は大いに哀しんだ。時も止めずに哀しんだ。それを見て愉快に笑ったのは、光の精霊であった。彼女は大魔王との死闘の末ほとんどの力を失い、長い間休養していた。その間に他の精霊が大精霊へと昇格していたことが、気に食わなかったのだ。光は万物に慈愛を振りまくはらたきを好んでいたが、自らより高次の存在には光を届けることができない。光が届かないものは彼女にとってすべてが闇であり、闇とは二元論的悪であった。彼女は時の精霊を哀しませた原因をエルマーナだと推測し、彼女に救いの光を差し伸べた。光の力は充分に回復していた。エルマーナの額から闇の精霊が追い出され、意識の混濁から解放された彼女は空転移を再始動させることに成功した。こうしてエルマーナとその魔法機械シバは本来の形を取り戻し、光の精霊に感謝を捧げた。光は満足した。

 エルマーナと魔法機械シバはギルドへと足を運んだ。時の精霊に仕掛けられていた攻撃的措置は光によって解決したが、空転移が万が一停止したとき、またぞろ闇の精霊に乗っ取られても堪らない。エルマーナは勇者に協力するという形を取りながら、邪魔者である魔王(闇の精霊)を抹消しようと考えた。果たして二度の戦闘を経て魔王討伐は達成された。魔法機械シバを失ってしまったが、エルマーナは魔王がなぜ地上を脅かす力を得たのか調査し、それが持っていた超科学的エネルギーを発見した。(またそれとは別の文脈で、タルシという男への瞬間的かつ永続的な恋慕を体感し、勇者と同じく地上の感情プロセスを多少であれど学ぶことになる。)さらに調査を続けると、その超科学的エネルギーが、天空に由来した事象であったことが分かった。天空人が時の精霊によって地上に招待される際、必ず時は一時的に停止する。このとき天空人とともに漏洩した天空のエネルギーが、大魔王となったのである。時が再び動き出すとき、その流れに乗じて別の時代に落下していったなら、大魔王の誕生が勇者が訪れるより過去であったとしても合点がいく。また、そのエネルギーが対消滅を起こさずに地上に存在し続けられた理由についても、エルマーナには思い当たるものがあった。なぜなら彼女自身がそれを創ったからである。エルマーナが最初に空転移を創ったとき、時の精霊によって限定的に時を停止されてしまったから、これもまた大魔王のエネルギーと同じく時の動きを逆流していたとしても、不思議ではない。と、いうことはつまり、大魔王の生みの親はエルマーナだったというわけである。
 この事実に気付きエルマーナは、我が子にタルシに似たような、似つかぬような感情を懐いた。また打算的にも、この天空エネルギーは利用に値すると考えた。魔法機械シバは消えてしまったが、これを使えばあれに代わる、より高度な魔法機械が作れるはずだ、と。エルマーナは研究に没頭した。時の精霊はもう彼女に干渉しなかった。代わりに光の精霊が、絶えずエルマーナに光を注いでいる。彼女はエルマーナを気に入ったようだった。
 地上において数百年の時が流れた。エルマーナは天空人なので齢をとらなかった。そうして魔法機械Prototype-01が完成した。それは魔法機械シバの場合と異なり、モデリング対象はいなかった。朱色の髪、端正な少女の顔立ち、体型からすべて、エルマーナ自身がデザインしたオリジナルだった。そのうえ、魔法機械シバと異なり、魔法機械Prototype-01には深層学習(deep learning)型知能を搭載した。これは、エルマーナが存在する空間(=時代)にはまだ発明されていない技術だった。エルマーナは彼女を連れて同じ時代の別の座標へと移動し、王国の支配者となった。エルマーナは光の精霊を模範とした慈愛の態度で国民に接し、国民はエルマーナを女王様と呼び敬愛した。エルマーナは九つの新しい武器を創造し、これを魔王討伐隊に持たせた。魔王討伐隊員のはたらきを確認し充分なデータを収集した後、エルマーナは国王の座を退いた。その後も座標を変え、ときには地上の地形を弄るなどして、何度か似たようなことを繰り返した。こうして幾度もの試作を経て、ついに最高傑作である魔法機械ミズキが完成した。
 ミズキの誕生は大勢の精霊に祝福された。それまでエルマーナについてはだんまりを決め込んでいた時の精霊でさえもが、ミズキを祝福した。ミズキの存在、存在する理由、存在する目的が、嫌でも彼らには理解できたからだった。ミズキはエルマーナの贖罪だった。時の精霊は全面的にエルマーナを許し、エルマーナもまた、時の精霊に愛を捧げた。
 ミズキの存在目的が達成されたとき、時の精霊は大地とも復縁できるかもしれない。時の精霊は涙を流し、つられて水の精霊も涙を零した。
「こんにちは」「こんにちは」「こんにちは」「こんにちは」
 この四つの福音を後にもう一度聞くことになることを、稼働前のミズキはまだ知らない。
 あとはミズキ、あなたが決めることですよ。


 

(冒険譚の終着点)
(ミズキは壊れているので答えられなかった)
(意識の中に精霊たちのエネルギーが注ぎ込まれる)
(それらはミズキの中で膨大な熱量を放出した)
(特異点の蒸発、あるいはそれはビッグバン)



 マゼンダは大きなあくびをひとつ。理科担当のルファ先生は、授業中の余談が多い教師として有名だが、それは決して好意的な評価ではなかった。とにかくこやつは、話が長いのだ。
 机に突っ伏し目を瞑る。授業中の雑音が清流となって耳元を行き交う。いい感じに眠れそう。そう思った矢先に、後ろの席のティンクが、つんつんと背中をつついてきた。

 このいたずらティンクめ。マゼンダは起き上がり、振り返る。手紙を受け取った。
 丸っこい文字。『ブロントまた聞き入ってる』言われなくてもそんなことは分かっている。

 あの理科教師の胡散臭いウンチクを、ブロントだけは目を輝かせて聞いている。五分前仮説? 多元宇宙論? 授業内容とまったく関係のない余談を、楽しそうに聞いている。

(風さーん、もう少しゆっくり歩きましょー)
(もう、光さんまでしょうがないなー。ピクニックは待ってくれないんですからね。特に水さんのんびりしすぎ)
(それは悲しいですね)

「えーですから、フリードマンの宇宙モデルでは、宇宙の始まりに、すべての物理法則が適用できない時点があるのですね。これが特異点です」
 理科教師は飽きずに余談を進めている。マゼンダは頬杖をつく。どうせつまらない話をするのなら教科書を進めてほしい。
「後にホーキングとペンローズも、特異点の存在は避けて通れないという結論を出しています。物理学の法則では語れないなにかが、宇宙の始まりにはある」

(それはミズキですよ)

「え、なにか言った?」
 耳元でなにかを囁かれた気がして、マゼンダはつい声を出してしまった。みんなの視線が集まる。ブロントも見ていた。
「い、いやー、あはは」
 気恥ずかしさのあまり空笑い。ブロントのほうを見ると、彼は口の動きだけで「ね・ぼ・す・け」と言っていた。うるせえ寝とらんわ。

 さっきの声はなんだったのだろう。空耳だろうか、それとも本当に寝惚けていたのだろうか。
 マゼンダはうーんと唸る。

(おいおい。人間に話しかけちゃだめだろ)
(ごめんごめん。あの子の髪の色に、つい親近感が)
(火と大地は仲良しー!)
(急にどうした闇。おまえはいつも脈絡ないなぁ)
(ふへへー)
(あーずるーい! 大地さーん私のこともナデナデしてくださいよー)
(なんで風を撫でるんだよ。子供じゃないだろ)
(それは可愛いですね)
(――――
(――――


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