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エリス・イン・腐った川辺



「竹藪焼けた! エミリ、たけやぶやけた!」
「……エル。喜んでるとこ悪いけど、ジャングルに竹藪はないよ……」
「ちげーよ回文だよばーかばーかバカエミリ!」
 木々の間隙から朝陽が差し込んできて、エルフの庭が一気に明るくなった。そんなことにも気づかずに二人の馬鹿者が罵声を浴びせあっている。はぁ。私は二人を見てただ溜息をこぼすしかできなかった。
 ああ、ルファ様。あなたならこんな二人、一喝してすぐさま静めてやるのでしょうに。私はエルフが心配です。ルファ様があの緑女と旅に出てから、エルフの秩序は乱れるばかり。ああ、ルファ様。私なんかで良かったのでしょうか。私なんかに、あなたの代わりが務まるはずがないのに。
「あ、エリス」
 エミリが私に気付く。エルが私を一瞥してすぐに目を逸らした。エミリが一瞬間だけきりりと私を睨む。まったく可愛い赤ん坊たち。黙っていればもっと可愛いのに。
「おはよう。朝から元気ね」
 円の形になっている庭を見渡す。きちんと当番の手入れは済ませたようだ。偉い偉い。
「それでたけやぶやけたってなんなのよ」
「あ? あーだから、回文だよ」
「それさっき聞きましたけどー?」
「うん……」
 エルがちらちらとこちらに意識を向けてくる。こいつは私のことが好きだ。エミリもそれを知っていて、急によそよそしい態度になったエルをなじり続けている。
「うん。掃除おつかれ。戻っていいよ」
 でもごめんね、馬鹿な男は嫌いなの。エミリの気持ちに気付いてあげて。そのほうがきみも幸せよ。
 そんな意味を含ませた視線を二人に送る。エミリはどうかわからないが、エルが私の目遣いの意味を察せるとは思えない。真実を口で言えばいいのだ。いっそ向こうのほうが勇気を出してくれたら、本音も言えるというのに。
 二人が庭を出ていく。木々に囲まれた庭には三か所洞穴のような出入口があり、そのうちのひとつが私たちのねぐらに繋がっている。
 二人が洞穴に入っていくのを見届けてから、ぐっと腕を伸ばした。生まれたての陽光が、わたしの無防備な手のひらを照らす。次第に日の光は幅を広げていき、私の眼鏡を反射した。
 ……いいや、私はたとえエルに告白されたとしても、本音を言うことはないのだろう。きっと適当にはぐらかして自然消滅を待つだけだ。
 私は本音を口にできないのだ。
 いつからそんな性格になったのかは分からない。気づけばそんな女に育っていた。人並みに森のなかで遊んで、人並みに女の子のお遊戯にたしなんだ。友達も人並みにいた。でも本音を口にすることだけはできなかった。
 ――ルファ様。私にはとうてい無理です。ルファ様の代理だなんて、私には。なぜ私なのですか。ルファ様。
 あのときだけだったんですよ。私が本音を口にできたのは。
 ルファ様。
 いまどこにいらっしゃるのだろう。

   *

 リーダー代理の朝は早い。日の出よりもずっと早くに起き、身辺を整えたのち、まず先ほどのように、当番の部下が庭の手入れを済ませたかをチェックする。この円形の庭はエルフの森の玄関だ。ここが汚れていてはエルフが汚れる。
 その後も武具の確認、家畜の確認、そして森に異変がないかの確認をする。いずれも単なる掃除ではないため、責任ある立場の者がチェックする決まりだ。
 昼時になって、ようやく一連の日課から解放される。日が傾くまではリーダーではなく、私の時間だ。もちろん、他のエルフが相談事があるのだといえば私はリーダーになり、また有事の際は私が指揮を執る。幸いまだ経験したことはないが、肩の重たくなる一方だ。
 だから肩を軽くしようと思った。ジャングルを流れる清流の川。少したくさん歩いたところに、人の近寄らない川辺があることを、昔ルファ様が教えてくれた。
 水浴びをしよう。エルフの森にある池ではなくて、あの人の来ない川へ。私がガーゴイルに襲われたあの腐った川へ。
 リーダーたるもの、エルフの森から離れるべきではないかもしれない。魔王討伐隊立ち合いのもと開かれた、ルファ様とあの緑女の話し合いによって、ジャングルは三つの領域に区切られた。エルフの森と、アマゾネスの森と。そしてその狭間の、どちらのものでもない森に。
 ルファ様の言いつけだから私はその兼ね合いに従っているが、正直なところこの妥協案には納得がいっていない。他のエルフも、おそらくはアマゾネスも、二人のリーダーが取り付けた仲良し策には不満を持っていることだろう。アマゾネスなんて滅んでしまえばいい。それなのに両種族はいま領土を分け合い、狭い空間のなかでやりくりせねばならなくなった。これでは根本的な領土問題の解決にはならない。分け合うだけで解決するなら、最初から戦争なんて起こらなかった。ジャングルは狭いのだ。
 そんな恨みつらみを脳内で抑え込めている間に、あの川辺にたどり着いた。ここはエルフの森でもアマゾネスの森でもない、中間地域のジャングルだ。
 ルファ様。なぜ私なのですか。ルファ様。
 川の音を聞くと、自然とあのときの情景が蘇った。体が変にがたがた震える。武者震いってやつかもしれない。
 エリス。あなたは分かっているはずです。私はあなたにならこの仕事を任せられる。
 分かりません。なぜですか。なぜ。私は。
 エリス。きみは、私より髪の毛が短いじゃありませんか――。
 ガーゴイルに体をかみ砕かれたとき。ルファ様は私の髪の毛を切らざるを得なかった。腰まで伸ばしていた薄水の髪の毛は、いまは肩にも届かない。視力も格段に落ちた。いまでは人間以下だ。ルファ様がくれる眼鏡をかけるしかできなかった。
 我ながら不思議だった。トラウマになってもおかしくないだろうに、私はここに来ることがそこまで嫌ではないのだ。
 それはここに、本当に人が来ないからなのだろう。静謐で、寂寞で。ひとりは居心地が良かったから。発話の必要ない、ひとりだけの空間が心地よかったのだから。
 と――。
「は」
「あ?」
 そこにアマゾネスがいた。
 頭がじんじんする。緊張している。常備している氷の書を開いた。アマゾネスの目にも緊張が走る。
 まず私が動いた。すばやく唇を動かせる。魔法書が呪文に反応し、冷気を放つ。魔法書は魔力の貯蔵庫だ。氷が川辺の地面を伝って走る。目指すはあのアマゾネス。緑色の髪が背中まで伸びている。
「よっと」彼女は飛び跳ね氷をかわす。着地すると同時に地面を蹴りあげ、冷気に沿って直進してきた。私めがけて走ってくる。彼女は手ぶらだ。武器の槍は川辺に横たえてある。彼女もまさか、ここでエルフとまみえることになるとは思っていなかったのだろう。
 手ぶらでなにができる。私はもう一度呪文を唱えた。氷の壁が眼前を覆う。しかしアマゾネスは突っ込んでくる。厚い氷に彼女は、あろうことか拳を打ち付けた。
 砕ける氷壁。破片が顔を傷つける前に魔法の氷を引っ込めた。無防備な体。拳が、頬に入り視界が激しく振動する。
 体勢を崩す前に、足の裏を凍らせ勢いを止める。落ちないように眼鏡を支える。幸い割れてはいない。遅れて激痛が顔全体を襲った。
「つぅ」はなぢがでている。
 なんて馬鹿力だ。私の氷壁を破ってきた。鼻血を拭い敵を睨むと、彼女は槍を拾い上げたところだった。果たしてあいつに槍は必要なのか? 疑問に思うも、彼女の右手は紅く燃え上がったように血が滲んでいる。無理をしていたらしい。何度もできる芸当じゃない。
「へへ」槍を構え、アマゾネスは笑う。
「ふふ」こちらも自然と笑みがこぼれた。
 槍が突っ込んでくる。もう一度氷の壁を築いた。今度はより一層分厚く、ついでに何本ものトゲをつけて。
 細工でもしていない限り、あの槍ではこの氷は破れないだろう。細さや先端の金属を見て瞬時に判断する。槍よりも拳のほうが強力だなんておかしな話だ。しかし拳をぶつけようにも今度はトゲが待ち受けている。相手は退くしかできないはずだ。
 しかしアマゾネスは澄ました顔をしていた。そのままこちらに突っ込んでくる。槍が壁に刺さった。しかし分厚い氷壁にヒビを走らせることもましてや貫通することなどできない。槍が極限にまでしなった。「おらよっと!」曲がった。槍のその反動に乗って、相手は宙を舞う! ハードルを越えた。空を掻っ切り壁を飛び越える。そのまま私へもう一発――咄嗟に魔法書を盾にする。攻撃は避けることができたが魔法書が引きちぎられる。氷壁が消え槍がからんと音を立てる。魔法書の半身と共に勢いに流れている相手を尻目にして、その槍を拾った。槍の扱い方なら、私だって知っている。
「素人が槍を持たないほうがいい。怪我するよ」
「ふふ、誰が素人だって?」
 私が言い終わらないうちに緑色の長髪が風に乗った。一気に詰め寄ってくる。その体を槍の体ではじいた。彼女は腕で防いだが、動きが鈍る。反動で跳ね返った槍はそのまま私の体を軸に回転し、切っ先が彼女の防いでいないほうの体めがけた。はじかれた衝撃で彼女は避けられない。これで終わりだ。
 しかし彼女は切っ先を受けとめた。手で握ったのだ。血液が棒を伝い滴り落ちる。確かに頭を切られるよりは手のほうがダメージは少ない。
 しかも彼女はそのまま、ぽきりと鉄の先端を折ってしまった。それを瞬間の間隙も入れずにこちらへ放ってくる。もはや棒となった槍で弾くも、そう上手くはいかない。棒をかすめた槍先は、私の頬を冷たく掠った。
 痛みと同時に、川のせせらぎが耳に入ってくる。そういえばここは川辺なのだった。目の前の敵に集中しすぎて、その先にある川を失念していた。
 川があるんだ。
 相手に悟られないよう無表情を保った。無表情は得意だ。
 私は棒の先端を右手の平に据える。左手は棒を掴み。そのまま走る。アマゾネスが腰を落とす。棒をかわして一気に私をやるつもりだ。
 案の定アマゾネスは、先端が相手の胸を突く直前に横に避け、そのまま棒の横を沿うように走ってきた。私が棒を動かし弾いてこないように、手まで添えている。都合がいい。呪文なんていらない。一気に棒を凍らせる。
「なっ!」驚いても遅い。相手の手が棒とともに氷に覆われる。「魔法書は壊したのに、どうして」魔法書は魔力の貯蔵庫だ。けれど決して魔法の動力源ではない。誰でも魔法書を使えるわけではない。魔法書は魔法を扱える者の魔力と技術を、補ってやっているだけなのだ。
 魔法書のサポートを必要としない魔力と技術を持ち合わせていれば、魔法書なくして魔法ができる。
 拳と同じなのよ。
 魔法と拳は同じなの。
 そのまま氷の棒を押し出す。アマゾネスが痛そうに顔を歪めた。棒に引きずられて、体が川へ一直線。そのまま相手の体を川に落とす。
 相手の体すべてを凍らせるのはとてもできる芸当ではない。しかし川の表面に氷を敷くことは、簡単だ。器用な魔法も必要ない、ただ魔力を尽くして氷らせるだけ。そして川を凍らせることができれば、川の中の彼女を縛り上げることもできる。
 体の奥から昂揚感が吸い取られていく感覚。魔力が放出される。川の流れがとまり、静寂よりも静かな空気が現れた。川が凍る。アマゾネスは首から下を氷の川で固定される。生き埋めにした。顔だけを残して。
「チッ」相手が大袈裟に舌打ちを漏らす。どうすることもできないだろう。私の勝ちだ。川の上を歩く。先ほど先端をかすめた頬から、血が流れ川の上に斑を作った。
「私の勝ちね」まるで首輪をはめられたみたいになっている相手は、露骨に顔をしかめてくる。その顔を手の平で叩いた。相手は抵抗できない。
「アンタは強い。強ぇよアンタ」
 アマゾネスは言う。不敵に笑みを漏らして。
「でもアンタはミスを犯した。俺の手と棒をくっつけちまったことだ」
 氷を突き破ってくる、棒。敵と一緒に川に放り込んだままだったそれが、私のこめかみに、食らいつき。
 暗転。

   *

 目が覚めた。どうやら気を失ってしまったらしい。どれくらい眠っていたのだろう。太陽が沈んでいる。
 全身に痛みを感じる。地面が異様に冷たい。そうだ。私が川を凍らせたのだ。
「た、たすけて……」
 か細い声がする。最後の一撃で眼鏡を落としてしまったようで、ぼやけてよく見えないが、どうやらあのアマゾネスはまだ凍った川に生き埋めにされたままらしい。
 あの棒では氷を突き破り私の頭を突くことはできても、穴を広げ抜け出すことはできなかったらしい。
 私は魔法を解除した。どぼんと体が川に落ちていく。川の水は一層冷たく、節々の傷を刺すように舐める。
 たまらずアマゾネスを抱えて川から這い上がった。「うぅ、さむう」アマゾネスが本当に凍えた声で言う。私が気絶している間、ずっとあの川に浸かっていたのだ。無理もないだろう。
「それにしても、私を倒しておいて自分も凍え死ぬ手前になるなんて、まったく無計画な馬鹿ね」
 言葉がついて出た。
「う、うるせえなぁ。倒したら氷も溶けると思ったんだよ」
「私はエリス」
「俺はアリスだ」
「きみ強いね」
「アンタもな」
 一度相手の強さを認め合えば、敵対心はある程度和らぐ。アリスと名乗る彼女は、アマゾネスの長、ミドリの代理をしているのだと言った。私と同じだ。
 夜空の下で、私とアリスは語り合った。それはリーダー代理の日々の忙しさや、自分たちの勝手な長への悪口が大半を占めていた。
「っとにさー、アマデウスがやりゃあいいだろって言ったのによー。あいつ頑なに右腕のポジションを離れないんだよなぁ。なんのための補佐役だよっ」
「ふぅん、そんな頑固な人がいるんだ」
 川辺に座るアリスは、その緑色の髪が地面にまで届いていた。長い髪。エルフのみんなや、ルファ様みたい。
 それからも二人の語らいは続いた。アリスの話はとても共感できる話が多かったし、私の話にも彼女は大きく頷いていた。リーダー代理はつかれる。ルファもミドリも勝手だ。部下はみんな馬鹿だ。まとめるとどれもそんな話に終始していただろう。楽しい時間が、あっという間に過ぎた。
「えっ、だからアンタ髪が短いのか」
 ここで以前、ガーゴイルに襲われたことがあると言うと、アリスは驚く。プライベートな話で、エルフの人たちは誰も触れてこない話だけれど、この場では話す気が起きた。
「ぼろぼろになっちゃったからね。背中から腰のあたりを粉々に噛み砕かれて」
「へええ。よくそれで生きてたな。それで髪はミドリみたいに……」
「ミドリみたいに?」
「ああいや、髪型だけなんだけどさ。アンタの髪はミドリみたいなんだ」
「ふふ、そうなんだ。きみはルファ様みたいだ」
 途端、川がきらきらと煌いた。せせらぎが、黄色い光を反射し流れる。日の出だ。
「いけね! 朝だ!」
「戻らないと!」
 お互い飛び起きる。服はもう乾いていた。お互い反対の方向へ走っていった。彼女とはまた会うだろうと思った。
 エルフの森に戻る。
「布団が吹っ飛んだ! エミリ、布団が吹っ飛んだ!」
「なによ、また回文?」
「ちげーよ諺だよばーかばーかバカエミリ!」
「ことわざって」
 玄関の庭に、二人の姿。反射的に溜息がこぼれた。
「あ、エリス」
「うるさいよ二人とも。まだみんな寝てるんだから静かにしなさい! それに掃除まだ終わってないじゃない。ほんと馬鹿なんだから」
「え?」
 エルとエミリが、きょとんとした顔をする。そして私は、ようやく気付いた。
 脳内にあの川辺の光景が浮かび上がった。あの腐った川は、夜の間、そして日の出の瞬間、とても美しかった。
 私は、本音を口にしていたのだ。

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