幼いこどもが, 私を見て震えている. 頬を濡らす涙をぬぐうこともできずに, 生まれたばかりの子鹿のように, ろくに立ち上がることもできずに, 怯えたように私を見ている.
「どうされました? 魔王様. その子がなにか」
ガーグの翼が, 空気を叩いた. 宵闇のなかを一筋の破調が走る. その音を聞き, 子は一層体の震えを激しくする.
「これは親なしだ」
「そのようでございます」
数日前に私の部下たちが襲い, 廃墟と化した街. くすぶったままの車や, 身をえぐられた建物が, スモッグのこもった闇に包まれている.
「いかがいたしましょうか. このまま放っておいても, 生きてはいけぬでしょう. いっそわたくしめが」
慎ましく, ガーグが私に提案する. わざわざ私に許可を求める. ガーグの言葉がわかるのか, 子はまるで川に溺れたかのように, 苦しそうに顔を青ざめた.
「必要ない」
息は乱さず吐き捨てる. 殺すことも, 生かすこともこの孤児には必要がないだろう. 私だって必要なかったのだから.
……私は生まれながらに孤独だった. 凍えるように冷たい光を放つ星が, ひゅん, と空を切る. 空は切り裂かれ, その境から私は産み落とされた.
親などいない. 強いていえばあの空が私の母だ.
私は魔王としてこの世に生まれてきた. 魔王に親は必要ない. 魔王に家族は必要ない. 私が必要とするのは人類の絶望と, その手足となる魔物たちだけ.
目の前の孤児を見やる. 彼はきっと死ぬだろう. 誰の助けを得ることもなく, 孤独の寒さにやられて死ぬであろう.
「行くぞ, ガーグ. 部下たちはよくやってくれた」
「はい」
ガーグの背中に乗る. ばさりと闇を切る音が響き, 私たちは襲撃の完了した街を後にする.
私を邪魔する者はいない. 人はみな魔王の力によって絶望を迎える.
その後のあの子のことは知らなくていい. ゆっくりと苦しみをもって死ぬがいい.
しかし私は浅はかだった. 私に対抗する力が, 現れていたのだ.
彼らは魔王討伐隊といった. 人間ごときが, 私を討伐しようというのだ. 最初は一笑に付したが, ガーグが彼らにやられてしまってからは, 考えを改めた.
彼らは強かった. 街を襲撃するとそこに待ち伏せしていることも多かった. そして部下たちを撃退し, 死にいたらしめ去っていくのだ.
それからは私も襲撃に参加するようになった. 魔王討伐隊のやつらとも, よくまみえるようになった. 彼らは強かった.
私の魔法を彼らは跳ね返し, 剣の切っ先をこちらに向けてくる. それをこちらも防ぎ, また魔法を仕掛ける応酬.
それはともすれば, 楽しい時間, だったのだ. 毎日毎日, 彼らは私を討伐しに来た. いつしか私たちは打ち解け合うようになっていた. 携帯電話の番号まで交換する仲になっていた.
だというのに.
『もしもし魔王? ごめーん今日の討伐はキャンセルで』
「えっ」
『いやぁごめんね魔王. 急用入っちゃってさー, あ, 信号青になったわ. じゃなー』
ゆっくりと, 悲しみが私を支配した.
あの孤児が, 私の夢のなかに出てきては死んでいく.
あのとき, あの子の命を助けていれば, こんなことにはならなかったのだろうか.
私の孤独の魔法は, 魔王討伐隊たちに吸い取られてしまった. 苦しみが, 悲しみが私を貪り食う. 私に従順であったはずの魔法たちが, 私を殺していく.
さみしい.
ゆっくりと厳粛に, 私は腐敗し子鹿のように. 立ち上がることができない.