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孤独の魔法

第一番:ゆっくりと苦しみをもって

 幼いこどもが, 私を見て震えている. 頬を濡らす涙をぬぐうこともできずに, 生まれたばかりの子鹿のように, ろくに立ち上がることもできずに, 怯えたように私を見ている.
「どうされました? 魔王様. その子がなにか」
 ガーグの翼が, 空気を叩いた. 宵闇のなかを一筋の破調が走る. その音を聞き, 子は一層体の震えを激しくする.
「これは親なしだ」
「そのようでございます」
 数日前に私の部下たちが襲い, 廃墟と化した街. くすぶったままの車や, 身をえぐられた建物が, スモッグのこもった闇に包まれている.
「いかがいたしましょうか. このまま放っておいても, 生きてはいけぬでしょう. いっそわたくしめが」
 慎ましく, ガーグが私に提案する. わざわざ私に許可を求める. ガーグの言葉がわかるのか, 子はまるで川に溺れたかのように, 苦しそうに顔を青ざめた.
「必要ない」
 息は乱さず吐き捨てる. 殺すことも, 生かすこともこの孤児には必要がないだろう. 私だって必要なかったのだから.
 ……私は生まれながらに孤独だった. 凍えるように冷たい光を放つ星が, ひゅん, と空を切る. 空は切り裂かれ, その境から私は産み落とされた.
 親などいない. 強いていえばあの空が私の母だ.
 私は魔王としてこの世に生まれてきた. 魔王に親は必要ない. 魔王に家族は必要ない. 私が必要とするのは人類の絶望と, その手足となる魔物たちだけ.
 目の前の孤児を見やる. 彼はきっと死ぬだろう. 誰の助けを得ることもなく, 孤独の寒さにやられて死ぬであろう.
「行くぞ, ガーグ. 部下たちはよくやってくれた」
「はい」
 ガーグの背中に乗る. ばさりと闇を切る音が響き, 私たちは襲撃の完了した街を後にする.
 私を邪魔する者はいない. 人はみな魔王の力によって絶望を迎える.
 その後のあの子のことは知らなくていい. ゆっくりと苦しみをもって死ぬがいい.

第二番:ゆっくりと悲しみをこめて

 しかし私は浅はかだった. 私に対抗する力が, 現れていたのだ.
 彼らは魔王討伐隊といった. 人間ごときが, 私を討伐しようというのだ. 最初は一笑に付したが, ガーグが彼らにやられてしまってからは, 考えを改めた.
 彼らは強かった. 街を襲撃するとそこに待ち伏せしていることも多かった. そして部下たちを撃退し, 死にいたらしめ去っていくのだ.
 それからは私も襲撃に参加するようになった. 魔王討伐隊のやつらとも, よくまみえるようになった. 彼らは強かった.
 私の魔法を彼らは跳ね返し, 剣の切っ先をこちらに向けてくる. それをこちらも防ぎ, また魔法を仕掛ける応酬.
 それはともすれば, 楽しい時間, だったのだ. 毎日毎日, 彼らは私を討伐しに来た. いつしか私たちは打ち解け合うようになっていた. 携帯電話の番号まで交換する仲になっていた.
 だというのに.
『もしもし魔王? ごめーん今日の討伐はキャンセルで』
「えっ」
『いやぁごめんね魔王. 急用入っちゃってさー, あ, 信号青になったわ. じゃなー』
 ゆっくりと, 悲しみが私を支配した.

第三番:ゆっくりと厳粛に

 あの孤児が, 私の夢のなかに出てきては死んでいく.
 あのとき, あの子の命を助けていれば, こんなことにはならなかったのだろうか.
 私の孤独の魔法は, 魔王討伐隊たちに吸い取られてしまった. 苦しみが, 悲しみが私を貪り食う. 私に従順であったはずの魔法たちが, 私を殺していく.
 さみしい.
 ゆっくりと厳粛に, 私は腐敗し子鹿のように. 立ち上がることができない.


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