閑散とした港。
閑散とした港町の一角に、もはや風景画の一部と化した屋台が佇んでいる。
寂寥とした暗闇の中、暖簾から漏れる光は海を照らす灯台のようだ。
僕は、中の世界に少しだけ期待して、暖簾をくぐる。
「あ、やっぱりここにいたのか」
「む、見つかった」
木製の円椅子に掛けている彼女は、どうやら食事中のようだ。
「らっしゃい」という店主の声と彼女のみそラーメンの匂いが同時に僕を迎え入れる。
「なんにしますかい」
店主が張りのある声をかける。
見た目は六十過ぎのじいさんだが、矍鑠とした声色だ。
「みそラーメン」
僕の声に反応して、なんで私と同じもの注文するのよ、と彼女が目で問いかけてきたような気がするが、それはスルーしておくとして。
「じいさん、隠し味に何使ってる?」
率直に気になったことを訊く。
歓迎の匂いに、何か柑橘系のものが含まれている気がしたのだ。
「ほお、匂いだけで気付いたのか。おまえさん、いい鼻を持ってるじゃねぇか。
んなら、言わずとも食えば分かるよな」
そう言い、微笑み顔で器を僕の目の前に置く。
随分と早くきた気がしないでもないが。
ふむ。やはり柑橘系の匂い。
麺の色に変わったところはない。
となると、スープか。
……いただきます。
「ねえ」
と、彼女は不平を投げかけない表情で僕の箸を止める。
「何でここに来たの」
「何でって……美味しいラーメンを頂くためだよ。それ以外に何があるんだ?」
「な、何って……」
少し視線を泳がせ、彼女は口を開く。
「テンミリオンのことだと……」
「ユーザ登録数が日本一になったことか。その話なら、もう会社で済ませたじゃないか」
「じゃあ何で来たのよ」
「だから、みそラーメンを食べるためだって」
おうよ、と店主が合いの手を打つ。
「あ、でももうそろそろ小説板を再開してもいいんじゃないか? 先月のイラスト板みたいに」
「だめ。まだ膨大な作品数に対応できないわ。
イラストよりも小説のほうが気軽で、登録数が大変なことになるんだから」
いっそのこと、大手小説サイトに帰属しようかしら、そう口を尖らせる。
「まあゲームのほうを随分とハイクオリティにしたからなぁ。人気が出始めたのはそれからだっけ」
「ゲーム自体は登録不要、そういうのも重なって」
懐かしむように彼女は頬杖をつく。
いつのまにか彼女の器は空っぽになっていた。
「ま、仕事の話はまた今度ね。私、もうすぐ出発だから」
「……そうか。いつ戻れる?」
「さあ、今度のは長引くかも」
重ための沈黙が流れる。
波が重なり合う音。
そういえばここは港町だったと頭を過ぎる。
「で、隠し味は何でしょう」
店主が取り繕うように話題を振る。
正直、ありがたい。
「レモンだろ」
「はっはー。ハズレ」
「じゃあ、何なんだ?」
「お譲ちゃんが持ってくるのさ。あっちの世界から」
「おいおい……じゃあそもそも選択肢が無かったわけかよ」
あっちの世界。
「もう時間」
彼女は――赤毛でツインテールで、仏頂面な彼女は――言う。
円椅子から腰を上げて、遠い光を見据える。
「半年以内には戻る。帰ってこなかったら――」
「分かってる。お前の日記は全て燃やすよ」
どこからともなく、眩い光が立ち込める。
テンミリオンへ、彼女は赴く。
「……いってきます」
「いってらっしゃい」
-fin.