雪が降る。ホワイトクリスマスだ。
暗い空を、ぽつぽつと雪が飾っていく。
それらが商店街の化粧と合っていて、今日の日付をふいに思わせた。
目的地なんて、ない。
原因は私の軽口だった。
ブルースは今頃、女の子に囲まれて楽しく騒いでいるんだろうね。それをリンの隣で言ったことがいけなかった。
リンは顔を真っ赤にして、出てって! チキンを投げつけてきた。
商店街は華やかだ。綺麗に儚く華やかだ。
本来、そこに曇りは見つからない。
雪は白い。暗い空から、灯りに降りて、馴染んで消える。
見えなくなった雪も白い。
雪ににおいがあるのなら、それもきっと白いんだろう。
今日はホワイトクリスマス。
そんな白い景色の中で、なぜこの店だけ、こんなにも暗いのだろう。
商店街を分断するみたいに、店はあった。
装飾は皆無。
そもそも開店していない。締め切ったシャッターには落書きが巡っている。
赤と黄色の文字。かすれた文字。絵と混ざってる。暗い。光を浴びない芸術。
私は嫌いだ。
カップルが一組、すれ違った。
女は誰だか分からないが、男のほうは、明らかにブルースだった。
髪を現代風に染めている。でも奇抜で目を引いて、センス悪い。
ブルースも私に気付いたようだった。お、そう短い発言をして、それだけで通り過ぎていく。
ねー今のだれー。女がブルースに訊いていた。ブルースが答えるよりも早く、私は二人から目を逸らした。
落書きも無視した。ジュースを買おうと思った。喉は渇いていない。
自動販売機はさほど華麗ではなかった。飾り気がない。
炭酸は控えている。オレンジジュースを買おうと思った。これは甘くて好きだ。
財布を置いてきたことに気付いた。
喉が渇いた。
商店街を歩く人はまばらだ。ほとんどが一人きりで歩いている。
クリスマス。この五文字が彼らを一人にしているんだ。
私を一人にしているんだ。
ブルースはあの女とどこへ行くのだろう。どこへ歩いていくのだろう。
つまらない。財布だけでなく携帯電話も、リンの部屋にある。
そして残念なことに、私はリンの家と反対のほうを向いている。
そのまま真っ直ぐ進んでいる。
振り返ろうとしない。
つまらない。
今日はホワイトクリスマス。
だけれど雪は弱まってきた。だんだん暗くなっていく。
次第に肌寒くなってきた。
雪は弱くなっているのに。
ずっと外に出ているからか。
商店街の端にやってきた。
目の前に広がる道路は、なんだか寂しい。どうして。
どうして、こんなにもぼやけて白いのだろう。
雪はやんでいた。
だけれどホワイトクリスマス。
視界の白とともに、寒さが胸に込みあがってきた。
私は走りたかった。いつかの記憶みたいに、鬱憤もなにも発散してくれるあの走りに。
走らなかった。
そのまま真っ直ぐ歩くことにした。
車は一台も走っていなかった。だって今日はクリスマス。
みんな忙しい。幸せに忙しいクリスマス。
私はそんなに、罪深い言葉を使っただろうか。
ブルースは今頃、女の子に囲まれて楽しく騒いでいるんだろうね。
これは間違いだった。実際は、たった一人の女子と、二人きりだった。
リンがこれを知ったら、どう思うだろう。
またチキンを投げてくるだろうか。
それともわっと泣き出して、耳たぶまで真っ赤にするだろうか。
どっちもありそう。面白そう。
リンの部屋に戻ろう。
私は後悔した。
分断された境界線より先に、どうしても行けなくなっていたからだ。
あの店。
暗い店。
そこまで来て、そこから先には行けなかった。
ぽっかりと空いた穴のように。
窪んだ口が闇を飲み込んだみたいに。
私はこの店を恨んだ。
なに、この店。こんなの、店じゃないよ。
機能しない店。
暗い。
闇。
通行人が私を追い抜かした。
つまらない。
渡りたくなかった。
恐怖はまったく感じない。
ただ、渡りなくない。
今日はホワイトクリスマス。
だけれどここは、真っ暗の。
ここだけブラッククリスマス。
しけた境界線。
この店を通り過ぎれば、リンの部屋までもうすぐだ。
チキンを投げてくる。
それを今度もかわしてみせる。
でも渡りたくなった。
越えたくなかった。
断絶。
ここから先、私の国じゃありませーん。
クリスマス。
つまらなス。
なんなの。
出てって! そういうことなの?
今日はホワイトクリスマス。
今日はブラッククリスマス?
十二時を過ぎても装飾が解除されることはない。
ひんやりとした夜は、溶かさずに飲み込むと凍え死ぬ。
意味不明な散文。
知らないまま変わっていった認識。
私はリンが現れないかと期待した。
ブルースでもいい。
誰かここに来てはくれないかと思った。
それと同時に、本当に来たら拒む自分が想像できた。
このまま行方不明になってしまおうかと思った。
方法は分からない。けれど今ならできると思った。
なぜなら今日は、クリスマスなのだから。
サンタさん、私にプレゼントをください。
なにが欲しいのかい?
オレンジジュースを。ひんやり冷えた、美味しいオレンジジュースを。
財布を忘れてしまったね。
ええ、忘れてしまったの。
ならば取りに行けばいいだろう?
でもどうやって。
黒い線は、次第に光を取り戻しつつあった。
シャッターの中から声が聞こえたのだ。
でもそれは幻覚だった。
そう思い込むことにした。
暗い店。閉じた店。
そこに人がいては、興醒めだ。
つまらない。
それはイヤだ。
喉が渇いた。
寒い。
私は自分の言葉を思い出そうとした。
なぜリンを怒らせたのか思い出そうとした。
思い出した。
思い出せないことにした。
つまらない。
渡りたくない。
リンとブルースと私、マゼンダ。
三人だけで一緒に遊ぶこともあったけれど、大抵はそれ以上の人数だった。
あるいは、リンと私の二人きりだったほうが多かったんだと思う。
はぐれもの。
自覚はあった。リンはどうだったか分からないけれど、私たちは確かに、教室の中で浮いていた。
歪んだ時計の絵みたいに、はぐれていた。
ブルースは莫迦。
莫迦な人。
あたまがわるい。せいせきはいいけど。
ブルースはクラスの状況というものを知らない。
知っても気にしない。
おばかさん。
つまらない?
つまる。
誰とでも仲が良い。
リンとだって。
だから。
暗い。暗い。断絶。分断。どう言えばいい? 渡れない。
この先は本当に続いてる? 幻想ではない?
どうして言い切れるの。
怖い怖い怖い。すぐ先に装飾。
今日はホワイトクリスマス。
忘れちゃいけない。
今日はホワイトクリスマス。
渡りたい渡りたい渡りたい。
怖い怖い怖い。
どうして。
怒鳴り声。
ばいばい。
つまらない。
どうして言い切れるの。
どうして笑っていられるの。
今日はホワイトクリスマス。
だけど私は。
今日はブラッククリスマス。
私は一旦、その店を離れることにした。
ここにいても進展はない。
本当に、店には誰もいないようだった。
あの気配は、本当に勘違いだったようだ。
喉が渇いた。
どこか無料で飲むところはないだろうか。
ないだろうね。
あるわけがない。
今日はクリスマス。
奮発しちゃおう!
財布がない。
商店街を抜けて、人の多いところへ。
人の多いところ。
ああ。あああ。
つまらない。つまらない。つまらない。
ここにいてはだめだ。だめだ。ここにいてはだめだ。
喉が渇いた。
雪がまたぽつぽつ。白くない。
それでもホワイトクリスマス。
雪が降ったらホワイトなんだよ。
へぇそうなんだぁ。
ひとりごと。
口には出してない。
空は暗い。
星もどっかにいっちゃった。
ここは明るくて。
商店街よりずっと明るくて。
なにこれ。
ぽつぽつ。
だんだん大きくなっていく。
アスファルトに溶ける。
みえなくなる。
つまらない。
ブルースがいた。
よっ。マゼンダ、また会ったな。
なにしてんの。さっきの子は?
ああ、あいつ? あれは妹だよ。プレゼント選ばされてたんだ。
へえ、そうなんだ。
なんだ、つれないな。
カノジョだと思ってた。
まじ? あれがぁ?
ここでなにしてんの。
なにって……、まあ、ぶらぶらとな。
妹さんは?
帰ったよ。もう十二時過ぎてるじゃん?
ブルースはまだいいんだ。
おうよ。クリスマスだからな。そういうマゼンダは……ひとりでなにしてんだ?
ねえ、ブルース。
うん?
ジュースおごってよ。
喉奥に染み渡る味は、じんわり、じんわり。
ふいに消えることはない。じんわり、じわりと去っていく。
別れを惜しむ仔犬のように。
私は生き返った。
今まさに、私は生気というものを得た。
うるおい。
確かな。
この、うるおい。
あはは、笑顔だね。
ブルースが言う。
私は笑顔だった。オレンジジュース。
オレンジジュースの台頭。時代を揺るがすオレンジジュース。
すべてが明瞭に判断できるようになった。
ブルース。
ん? なんだい?
私、分かったんだよ。
なにをだい?
私は息を吐いた。
――きみがすきなんだ。
あるいはそれは、甘くて白くて黒い嘘。
空気が引きつっていた。なぜだかは分からない。
どくんどくんどくん。心音は一定で、緊張というものを知らないらしい。あるいは、適応という二字熟語が分からないのかもしれない。心臓は弱い。どくんどくんどくん。どくんどくんどくん。
雪はいつの間にかやんでいた。まただ。今日はホワイトクリスマス。それともブラッククリスマス? 分からない。分からない。
潔癖に還る思考。赤ん坊の笑顔。つまらないわけがない。だけど分からない。判断。明瞭な判断。オレンジジュース。分からない。クリスマス。知らない誰かの祝い事。知ってる私の日常。断片の体験。なに。
綿菓子のにおい。降りやんだ雪が醸す、どこか懐かしいにおい。視覚が嗅覚となって私に突きつけられる。でも私は共感覚というものを知らない。無知の知。知覚動詞。感じる。第六感。神経細胞。私は今、確かに〈ここ〉にいる。
聖歌は歌わない。歌ったことがない。私は教会に通わない。なのに、今日はクリスマス。
知らないまま終わる? 空気はまだ引きつっている。
ブルースが吹き出した。ぷはっ。はは。あははは。
私も笑った。退行化した。私の赤い髪は地毛だ。染めてなんかいない。たまに疑われる。面倒。だけど今は――今、ブルースの髪が青い今なら。
赤はとまれ。青は行ってもいいよ。
私は君が好きだ。
とめどなく溢れてくるオモイ。口から吐き出した嘘が真実に変わる。あるいは真実が――嘘だと思っていた真実が事実と化したのか?
退行化。
(シュルレアリスム)
なにそれ。
現実と夢が交じり合った。意図が無意識と結合した。くっついてくっついて。お手々をつなぎましょう。
なにもかも〈私〉から逸脱した私だった。深層の表出される瞬間だった。
「リンの家に行こう」
鍵も置き忘れていた。
友情の崩壊。未来そうなるのだろうか。分からない。なんだろう。ふつふつふつふつ。きみがすき。君が好き。きみがすき。君が――。
散々を箪笥に押しやって、そんな軽い癖を治して、つまらないわけがない。
今日はブラッククリスマス。ブルースは渋い顔をしていた。告白の返事を言うより先に、私が変なことを口走ったからだろう。逃さない。
どうなるだろう。わくわくわくわく。どくんどくん。クリスマス。
あの店の前。暗い闇。歩いてゆく。境界線。分断の痕。
簡単に渡れた。