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四.
 そして命を狙われた。
 いやはや、俺もあの赤毛の女とさほど変わらない。こんなことを誰かに言っても、どうせ信じてもらえはしないだろう。
「悪いが、お前には死んでもらうぜ」
 男は、大きな剣を持っていた。刃が異様に大きい。こんなもので切られたらひとたまりもないだろうなぁと、俺は少々現実味に欠けた様子を眺めていた。男はというと、剣に比例して巨漢である。ものすごく大きい。広いという形容が使えそうな胴体だ。
 近道を通ろうと思って、路地裏に差し掛かったときだ。男がふいに、自転車に乗った俺の前に現れたのは。
 男は剣を自分の肩に任せ、もう片方の手をこちらに向けている。手をパーに広げて、まるで力士がとりそうなポーズだ。
「あの……ドッキリ番組でしょうか」
 俺は、もしこれが本当にドッキリ番組だった場合おそらく最低の一言を放った。
 なんてノリの悪い出演者なんだ……とそんなことになる。いや、街頭で標的になった人は、出演者とは呼ばないだろう。演じていないのだから。
 それにしてもこの男、見たことのない人だ。芸能人だと分からないように、変装を施しているのだろうか。いやそもそも、これはドッキリ番組で合っているのだろうな。
「あぁ!? おめぇ、今の状況が分かってんのか!?」
 しかし男は、驚きの声を上げた。うわーやはりドッキリ番組で「これ、ドッキリですか?」などと発言するのはご法度だったか。……というわけでもなく。
「今の状況……あの、どうなってるんでしょうか」
「ちっ。おめぇ、赤点とか取りまくりだろう。まあ、いいだろう。今回だけ初回限定版つーことで、この二宮寛治にのみやかんじ様が、手取り足取り教えてやろう。まあ、初回っつーても最初で最後で、手取り足取りっつーのはまた、そのままの意味なんだがな」
 男が深く息を吸う。そして、一気に吐き出すようにしてがっはっはと笑い始めた。なにがおかしいのか。
「俺様たちはなぁ、人間面したやつらが大っ嫌いなんだ」
 どうやら本当に教えてくれるようだ。この番組がどこの会社のものなのか。
「人間でもねぇくせして、そのこと分かっているくせして、それでも普通の人間生活を送ろうとしやがる。罪のない人々を騙し、愛し愛しさせ、なんとも人間らしいことをする。そして、いつの間にか消えやがる」
 ……うーむ。分からない。なにを言っているのかさっぱりだ。人間を装った人間、という話だろうか。なかなか哲学的な話だ。
 男が深く溜息をついた。いや、体育会系の人間が運動中につく呼吸操作のようなものにも見える。
「おめぇはどうなんだ? あ? おめぇは人間なのか?」
 全く……近道をするとこんな人に絡まれるとは。せっかちにならずに、いつも通りの道を通ればよかった。それもこれも、あの赤毛の女のせいだ。確かオウギという名前だったか。あの女に時間をとられたせいで、つい早く帰ろうと焦ってしまったのだ。帰っても特にすることはないというのに、全く、短気は損気か。
「……人間ですよ」
「ぐがああああ!」
 巨漢の男が、肩に載せていた剣を一気に振り上げた。踏み切りの遮断棒のように、通過を許して跳ね起きる――いや、殺人を許して跳ね起きる――? だが遮断棒のように、地面と垂直になる位置で止まってくれはしない。それはそのまま前に倒れてくる。その先には俺の頭が。
 凄まじい衝撃音が轟く。
 あまりの威力に尻餅をつく……こともできない。ただ俺は立ち尽くす。
 気付けば、巨漢の男は瓦礫に埋もれていた。
「う、うぅ」
 先ほどまでの威勢が嘘だったかのように、男が小さく唸る。瓦礫が布団のように男を覆っている。布団のように、そう、あまり負担にはなっていないようだ。
 男はすぐに起き上がる。
 しかし、なぜ急に……。
 俺は振り向いた。なにかがいると感じたからだ。
 彼女は、「ふん」と高貴に言った。
 赤い髪をしていた。ストレートヘアーだ。そして肌が、冷たい雪のように白かった。
「またお会いしましたわね。アキさん」
 ついさっき、大学で会ったあの女だった。
「でも少し、右か左へ数歩だけ避けてくださると、嬉しいのですけど」
 女が言う。俺は、自分でも驚いてしまうほどすんなりと言うことを聞いて、右に三歩分歩いた。
 すると、ちょうどオウギの正面に男がいることになる。
 オウギは両手の指を絡ませて、伸びをするように手の平を男に向けた。
「壊れろ」
 先の口調とは全く違った言い方で、オウギが言う。すると両手の平から炎が噴き出てきた。業火のような熱気が、豪華に彩られた客船のように進む。
「おおっと!」
 巨漢の男――二宮寛次は、咄嗟に剣を盾にした。剣が炎を受け止めて、炎の縄が、まるで蛇の舌のように二手に分かれる。
「ちっ」
 いつの間にか流れ出ていた汗を垂らしながら、二宮は歯軋りをする。剣が溶け出しているのだ。
 二宮はそばの瓦礫を掴んで、オウギのほうへと投げた。だが、女の方向とはつまり、イコールで炎が向かってくる方向なのであり、瓦礫はあっという間に燃え尽きてしまう。
 炎は次第に強くなる。
 オウギがまた「壊れろ」と呟いた。表情は依然として、なにかに酔っているようだ。
 ついに剣は使い物にならなくなっていた。二宮はどうにか炎の波を飛び越える。巨漢が高く跳ぶ。
 だが炎はまるで蛇のように、跳び避けた二宮を追いかけた。
「ちくしょおおおお!」
 二宮は両腕を地に着ける。跳んだ反動でそれをばね代わりに曲げ、また高くジャンプする。
「だああっ!」
 ジャンプした先はオウギだった。手刀を作りオウギの首めがける。
 だが、あっけなくオウギは彼の手刀を受け止めた。受け止めた手の平からは、絶えず炎が噴き出ている。二宮の手は灰になった。
 鼻を切り落としてしまいたいほど不快なにおいが漂う。
 二宮は辛うじてオウギから距離をとる。炎が追いかけるが、二宮は避け続ける。
 止まれば焼け死ぬ。そんな状況で。
 オウギがまた「壊れろ」と言った。炎が一層強くなる。そして、速くなる。
 二宮は高くジャンプした。体躯に反して軽やかな動き。そのままオウギの背中にまわった。オウギの後頭部へと拳に体重をかける。
 だが、炎は、手の平からしか出ないというわけではなかった。
 男が炎に包まれる。
 あっけなく二宮は、丸焼けになっていた。だがそれは、全く香ばしくない。真っ黒の煤焼け。俺は今頃になって、目を逸らした。
 オウギが、黒い死体を持ち上げる。細い腕のどこにそんな力があるのか。遺体が完全に地から離れる。
 オウギはそれを数秒間見つめたかと思うと、またその辺に放り投げた。完全に死んだのを確認したのだろうか。
 鼻が狂ったのか、もうにおいはしなかった。
 ……そして、やっと俺はこれがなんなのか理解する。
「さ、殺人」
 思わず口に出してしまう。だがその直後に、後悔が体中を支配していくのを感じた。それを聞き取って、オウギがこちらを向いたのだ。
 ――逃げないと。
 そうだ、逃げないと。
 だがどうしてだか、足が全く動かない。動き方を忘れてしまったようだ。授業後のときに感じたものと同じもの――まるで地面に縫い付けられたように動けない。ただ心臓だけが激しく動き、鼓動音が高鳴っていく。
 オウギがこちらへ、一歩、また一歩と近づいてきた。のんびりとした歩調。俺が動けないのを知っているような歩き方――。
 オウギが目と鼻の先で俺を見つめる。
「ふふふ。なにをそんなに怖がっていらっしゃるの?」
 妙に優しそうな口調だった。やわらかすぎて、むしろ恐ろしい。
 だが先ほどまでの状態が嘘のように、足の束縛が解けた気がした。
 なるべく小さなアクションで、俺は彼女の手を盗み見る。火炎放射器のような仕掛けは見当たらない。一体どうやって、二宮を燃やしたのだろうか。
 オウギが手をこちらにのばす。俺は反射的にそれを叩いてしまった。直後に恐怖がやってくる。
「大丈夫ですわ。あなたを殺したりはしません。私はあなたの味方です」
 オウギの手が、俺の肩に載った。もう炎は出ていない。それは有機的な、人間的な手だ。ほんの少しだけ安心を誘発させ、それでいて恐怖を助長させていた。
「もう一度言いますわ。家菜美鬨が、死にました」
「それは……本当なのか」
 オウギの赤毛が、左右に揺れる。彼女が首を振ったのだ。否定の意味なのだろう。
「これは『真実』ですわ。……けれど、まだ『事実』ではありません」
 よく分からないことを、オウギは言う。
「『真実』と『事実』……。『真実』は本来起こるべきことで、『事実』は実際に起こったこと。『真実』は本来あるべき姿で、『事実』は実際の姿」
 ……噛み砕いているようで、いまいち分かりにくい。
「それを防ぐために、私はこうして、人形を壊しているのです」
「――?」
 今度は一体どういった話だ。なにを言っているんだ。
「すぐに信じてくれとは申しません。ただ私は、あなたの恋人を救うため、このように魔法を使っているのです。……魔法、そう。私は魔法使いですわ」
 いや、その、なにを?
 ――そうだ。なにをのんびりと突っ立っているんだ、俺は。
 目の前にいるのは、殺人鬼だ。俺の目の前で、変質者とは言えども男を殺した。
 なにをそう、悠長にしている?
 俺も殺されるじゃないか――。
「ち、近づくなっ」
 我ながらにして、判断が遅すぎる。
 オウギはそんな俺を、表情を変えることなく見つめる。
「まあ、仕方のないことでしょう。私も、親を殺されて魔法使いになってすぐは、なにがなんだか分かりませんでした。……そうですわね。一週間。一週間の後に、また伺います。それまでに、頭の整理をしておいてください。詳しい説明は、そのときにいたしますから」
 それだけ言って、オウギは高く飛んだ。跳んだのではなく飛んだ。
 黒い死体は、まだ横たわったままだ。
 とにかく、ひとまず命は助かった……。
 崩れるように、俺はその場に座り込んでしまった。
 鼻をひん曲げるようなにおいが、またなだれ込んできた。



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