あむの憧憬


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「あむの憧憬」は、一部一部が非常に長いので、パート別に休憩所ポイントを設置しています。
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第一部



 本来、文章を書くとき、大切になるのは、言い回しの巧さや構成の妙、体裁などでは決してなく、伝わるということ、これに尽きると思うのですが、実質伝わりやすい文章を作り上げるには、語彙や展開を磨き上げるのは必然的に要ることであり、まあおっしゃるとおりであるのですが、第一には伝わるということが大事であること、その他は伝わることのバックに存在する装飾であるということを、この度、あなた、たち読者に知っていただきたいのであり、あ、そういえばここでいう読者というものは、不特定多数、つまり誰のことか、わたしにも分からない、そのことをここに付言しておきますが、彼ら、という不特定多数を表す代名詞のなかに、あなた、という二人称が含まれているのなら、あなた、も読者であるのは間違いないことなのであり、ええ、難しい話ではなく、読者とは不特定多数のこの文章を読むかたのことであり、同時に、これを読んでいる、あなた、のことでもあるのです、と、伝わることができたのかわたしはどくどく、心臓を震わせているのでございますが、不思議なことに、これを書いているその瞬間瞬間を切り取ってみれば、さほど不安は感じていないのでございます、いえ、わたしは怖い、わたしは怖い、その言葉は常にわたしの胸や頭やもろもろの体のなかを駆け巡っているのですが、それを押さえ込めるまでもなく、書いている、という瞬間のなかでは、それを感じているという事実を忘れることができるようで、これからここに物語を始める次第でございますが、どうか、作者という像に捕らわれることなく、いま、いま、という瞬間を生きていただきたく、このとおり命を投げ打っているのであり、ああ、神様がもし本当にいらっしゃるならば、その無償の愛を、わたしではなく、これを読んでいる、あなた、に恵んでやってほしい、とは、また傲慢な悪魔の考えなのでしょうが、さて、物語に入るといたしましょう、そうしましょう、この短い生涯のなかで、わたしが犯した連続の罪、そして原罪の発掘、ああ、反吐が出るものでありますが、ここに書かなくては死んでも死にきれないことは明白なことであり、その明白という自明を、他明にするために文章、すなわち伝わるということは大切なのでしょうね、と、もしも告発文を書いていたとして、その告発文を書いている自分、というものが常に監視されていて、その監視している者こそがその告発の対象であるのなら、わたしはどうすればいいのだろうかと、思案し、思案し、いくつもの策を練るわけでございますが、それらの策を具現せしめるためには伝わることが大切であり、ああ、大切であり、戻ることはできないのですから、大切に、大切に、これが最初で最後なのはまだ伝わらないでしょうが、物語、を、どうかこの物語を、あなた、に伝えたいと、伝えたいと、ともかく今から文章を始めますが、生まれてこのかた文章なんていやいや文字すらも書いたことのないわたしが書くわけですから、いえ、言い訳はいたしませんが、伝わること、それこそが文章の目的の至上であり、物語の上位に位置するものであり、ああ、ああ、溜息ばかりが出る毎日ですが、どうか始まれ、始まれ、心が急いているのはきっとわたしが成熟していないからでしょう、歳をとるごとにまわりの時間がはやまり、置いてけぼりになる現象が実際に起こることであるなら、わたしのまわりを取り巻く時間、は、まだわたしに従順で、使いやすいものであり、さながら愛犬のエコのように、いえ、エコというのはエコロジーのことではなく、愛犬、つまり犬に、わたしが勝手につけた愛称、名前、であり、生物学の話なんてわたしには難しくて論じられないのであり、その愛犬エコのように、従順にわたしに首輪をはめられているのですが、さて、時間がついてきてくれている間に、まず第一、第二、第三の物語と続くのですが、その第一、しかし続くといっても断続の、物語、むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、村から離れたところに寂しく暮らしていたのですが、いや、追放されたなど物騒なことではなく、単にこの老夫婦が物好きなだけなのでしょう、その証拠に二人には平穏な日々が続き、お天道様も二人に好感を持っていたものですから、さて、例のごとくおじいさんは竹取に、おばあさんは川に洗濯に行くことになったようですが、ちょうどこのとき、お天道様の周囲に乱れが生じていまして、事件がふたつ起こったのですが、そのうちのひとつが、とある親知らずの子がいて、その母親の候補とされる女性が言い争っているところを、ではその子を半分に分けてしまえと、ソロモンという王が言ったところ、ではそうしましょう、と候補の二人ともが言うので、二人とも実の母ではないのだと気付き、ソロモンは慌ててその子を地上に逃がしてやったのですが、その子は桃の舟に乗ってどんぶらこ、どんぶらこと、おばあさんが洗濯をしているところへ流れてきたのであり、さて、ふたつあるうちのもうひとつの事件は、お天道様から少し離れて、けれど確かにお天道様の周囲である月、という領域で、若い女が濡れ衣を被せられ、同じく地上に追放されてしまったのですが、その際の追放手段として、女の体に呪いをかけ、いとけない人形のような姿にし、月の人間が製造した軌道エレベータを通らせたのであり、そのエレベータの最下は竹の姿となっており、女は竹筒のなかに閉じ込められたのでございますが、女はこんなの認められないと、自らの冤罪を覆すために、竹やぶに入ってきたおじいさんの様子に勘付き、おじいさんにここよ、ここよ、と言い放ってみたはいいものの、体が小さいために声が小さく、そのために声がおじいさんにまで届かず、しかたなし、女はじっとしていたのですが、あなや、女はさきほどまで月にいたものですから、月特有の粉状の物質が体に付着しており、それが発光しており、おじいさんはびっくり仰天、おそるおそる竹を切ってみて、無事、女を救い出し、家へとつれてかえったのでございますが、おじいさんが家に帰ってみると、家には大きな桃が、これはなんぞや、大きな桃や、そりゃそだがな、ところでその子はなんぞや、女の子や、そりゃそだがな、と会話をし、とりあえず桃を食おうじゃないかと結論付き、桃を割ってみたものの、中身が空洞だったらしく、少し切り込みを入れるだけで桃はパカッと開いたのですが、そこにはさきほど述べましたとおり、ソロモンが逃がした子が元気に飛び出してきたので、二人は、いえ人形のような女もびっくり仰天、ともあれそれから、おじいさんとおばあさんには二人の子どもができたことになり、さあ大変、平穏な毎日に色が表れ、おじいさんもおばあさんも大変な暮らしになりました、が、二人の顔が終始綻んでいたことに違いありません、お天道様に見初められた老夫婦であるのですから、おじいさんはそれからも竹取に、おばあさんはそれからも川へ洗濯それからごはん、夫婦そろって子の面倒を交互にみて、あな大変、大変、そんな毎日が続きましたが、子二人は驚くべきはやさで成長してゆきました、というのも、桃から生まれた子、桃太郎は、お天道様のそばで生まれた天人でありますので、地上人とは比べものにならない発達の種が宿っていて、竹から出てきた女の子、かぐや姫も、月の公転や自転のはやさの影響で、遺伝子が地上のものといくばくか作り変えられており、その遺伝を宿しているのであり、成長は並のものではなかったというのですが、ともあれ、桃太郎もかぐや姫も、大きくなりましたので、さて嫁や婿を貰わにゃならん、村さ往かん、ということでして、老夫婦は村の者らと話をつけ、村に引っ越すことになったのですが、はて、この家はどうしよかと、辺鄙なところで佇んでいる、いままで住んだ家を見つめていると、突然犬が駆けてきて、わんわん、わんわん、家の前に留まって騒がしく鳴くものですから、ここになにかあるのかと、おじいさんもおばあさんも疑問に思って、どうせこの家は空き家になるのだからと、桃太郎に手伝ってもらいながら穴を掘ってみますと、なんとそこには金銀財宝、みんながみんなびっくり仰天、実はこの財宝は、お天道様が二人のために隠していた財で、おじいさんもおばあさんもお天道様を拝んで感謝感謝と口ずさみ、さあ、その犬がなかなかの忠犬で、桃太郎に懐いたようですから、この犬もつれていこう、ということで、家族に犬が加わり、四人と一匹は村へと引っ越していき、さあ、村に入った途端、村の男衆はかぐや姫の美貌にめろめろ、めらめらと心に火がつき、さらにその噂を聞きつけた富のある連中もやってきて、かぐや姫の婿候補が集まりましたが、その誰もかぐや姫の気に適う者はなく、政略的に縁を結ぼうにも、おじいさんおばあさんは単なる村の老夫婦であり、さらには金にも困らなくなりましたので、婚約相手はかぐや姫が自由に選択できる状態、かぐや姫はわがままにも、来る者来る者気に食わんと、追い出したり無理難題をふっかけてしまうものですが、実はその婿候補のなかに鬼が紛れ込んでおり、その鬼がかぐや姫の態度に怒って、おいこら、女のくせになんだおまえは、おれが貰ってやるというとるのだぞ、と人間の姿に扮したまま怒鳴り込んだのですが、かぐや姫は毅然とそれを無視し、さらに鬼の神経を逆撫で、鬼はとうとう頭に血が上りきって、新家のなかで暴れまわってしまい、化身も解けて鬼であることが露呈してしまい、桃太郎につまみ出されたのですが、桃太郎が、鬼のやつらめ、ただじゃおかない、と憤怒するものですから、かぐや姫の縁談はとりあえず中止にして、桃太郎は鬼退治に鬼ヶ島に行くことになり、金銀財宝を見つけるきっかけとなったあの忠犬とともに、家を出てゆきましたが、道中猿に出会い、桃太郎に興味をもって、勝手についていくことにし、さらに道中、キジに出会い、キジもついてゆくことになり、鬼ヶ島へ向かい、いざ鬼退治、たのもう、と看板破りのように声を張り上げ、出てきた子分の鬼を薙ぎ倒し、さあさあ合戦じゃ、桃太郎は天人でありますから、地上に暮らしている鬼などという炭素生物など、屁でもないのであり、主に拳骨でこらしめてゆきましたところ、猿が出てきて、きみたち、悪事はするもんじゃねえ、こんな善人様、悪人はやっつけられちまうでよ、と、含みをもたせて諭してやり、鬼たちもその迫真のある説教に萎えてしまい、はいさ、もう人間を苛めるのはやめるわ、と話がつき、桃太郎もこれくらいにしてやろうと慈悲を与えてやったのですが、ところで、この猿は、その昔若い時分に悪事をはたらいており、具体的には、たとえば、柿の種と蟹のもっていた握り飯を、強引に交換したり、やっとのことで生った柿も独り占めしてしまうような、そんな悪事をしていたものですから、蟹やその仲間の臼や栗などによって、さんざんこらしめられてしまったのでございまして、あの説教の奥にはその経験があるのであり、さて、鬼ヶ島から浜へ戻ってみると、そこでは亀が人間に苛められており、なんだ、人間も鬼と似たようなものじゃないか、と桃太郎は思ったわけですが、それをある男、浦島太郎がやめさせ、それを見た桃太郎は、いやいや人間もいろいろあるのだ、と思い直したのでしたが、はて、ならば鬼にもいろいろあったのだろうか、と疑問になりはしましたが、どちらにせよもう成敗してやったのですから、実質人間に害がくることはもうなく、ああ、桃太郎は暢気に村で待っている育て親たちのところへ帰っていったのですが、そのとき浜では、亀が、浦島太郎に、お礼がしたいで、おらが甲羅さ乗ってけろ、というものですから、浦島太郎は、亀の大きな甲羅に乗り、海に潜っていき、このとき不思議と息ができたのでございますが、これは、水が意思をもって浦島太郎を歓迎し、なるべく浦島太郎が呼吸できるように、大名行列と遭遇した住民のように、道を開けたのでございますが、浦島太郎はそんなことに露も気付かず、海で息ができるぞ、と心躍らせ、さて、竜宮城についたのであり、そこでもてなしを受けましたが、この竜宮城というのは、月の者たちがつくった地上支局であり、いえ、地上支局であるのになぜ海のなかにあるのかといえば、それは、無論地上の人間に見つからないようにするためであり、そこの役員のひとりが、かぐや姫の友人であり、かぐや姫は冤罪に違いないだろうに、と、心痛めていたところだったので、地上の人間である浦島太郎に、ぜひともかぐや姫を救ってやってください、あの子はきっと、いまごろ竹筒のなかに閉じ込められているだろうから、と、教えてやり、心の善い浦島太郎は、分かりました、かぐや姫を救います、と堂々と答え、さて、地上に戻るや、玉手箱を開ける間もなく、かぐや姫捜しに取り掛かったのですが、見つからない、なぜなら既にかぐや姫はおじいさんに救い出されていたのですから、しかし浦島太郎はそんなこと知らないので、捜し、捜し、ああ、見つからん、しかたなし、竹やぶからすぐ近くの村に赴き、宿に泊まろうと思ったところ、男衆の集りができており、なにごとだろう、と思ってその集りのある新家に行ってみると、そこには絵にも描けない美女がいるではありませんか、浦島太郎はおずおずと彼女に近づき、時代にそぐわず顔を晒している彼女に、名を尋ねました、いえ、この時代、顔を見せるというのは、嫁になるというようなものだったのですが、月から来た彼女には、その風習が理解できなかったのでしょう、彼女は、かぐや姫です、と答えましたが、おや、これは驚き、捜している人その人ではありませんか、浦島太郎は小躍りし、あなたの友達が、あなたの罪を懐疑的に見ている、あなたは冤罪なのではないか、と訊くところ、冤罪だからといって、それをどう証明するのです、とかぐや姫は冷静に返事をし、確かに、その証拠がないから、かぐや姫はいまこの地上に流されているのですから、はい、浦島太郎は困ってしまい、そういえば泊まるところもない、ということも思い出し、途方に暮れていたところ、おじいさんおばあさんは親切な人ですから、ここに泊まっていくといい、という話になり、桃太郎も浦島太郎の顔を見て、浜のあの男だと気付き、泊まっていくことに賛成しましたので、では、遠慮なく、ということになり、ぶん、ぶん、布団のまわりを飛んでいる蝿を気にしながら、その晩はぐっすり眠ったのですが、眠っている間に、浦島太郎の頭のなかで、お天道様が、話があるのだ、こちらに来なさい、と、浦島太郎を呼ぶものですから、浦島太郎はお天道様のところへ行き、それから帰ってくるまでに幾千億年ものときが流れるのですが、それはともかく、お天道様のところに来た浦島太郎は、なにようですか、と訊ねるのですが、お天道様は、じっと静かにしているばかりで、なにも喋ろうとしませんので、浦島太郎は疑問に思いながらも、正座をして待っていたのですが、実はこのとき、お天道様の思念は下っ端のお月様のところへ向けられていて、おい、月よ、おぬしは近頃乱れてはいまいか、と訊ねるので、お月様は、いえいえ、いいえ、滅相もございませぬ、乱れているといえばあの地上こそが混沌の時代でありましょう、と弁解するので、いや、地上とはそもそも乱れるところだ、が、月よ、おぬしはまるで地上のようだ、と詰ったので、お月様はすっかり萎縮してしまい、お天道様の発言に、はい、はい、と頷くしかできなくなりましたので、このときを見計らって、お天道様は、浦島太郎の思念を強引にお月様のところまでつれてきて、浦島太郎の記憶を掻き乱して、そのなかから、かぐや姫に該当する記憶を引っ張り出し、お月様に突き出し、差し出し、ほら、これを見よ、かぐや姫の罪は、罪ではなく、濡れ衣ではないのか、と問いかけるところ、お月様は、つい、はい、と答えてしまい、言ったな、とお天道様がにやりと微笑むとともに、お月様の光が欠けてゆきましたが、いえ、これは地上から見たときのことであり、ともあれ、証拠もなにもありゃしませんが、特赦という形か、あるいは、事実の上塗りという形で、記録を改竄し、はい、はい、かぐや姫は無事、無罪ということになり、ほら吉報だ、吉報だ、かぐや姫がお帰りになられるぞ、なられるぞ、と月の者たちは大騒ぎ、月でもあの美貌は人気だったようですが、ところで、かぐや姫が被せられた濡れ衣というのは、実はその美貌に因るものでして、というのも、かぐや姫の美しさに嫉妬を覚えた魔法使いがいたのですが、いえ、魔法、といっても、すなわち思念という情報エネルギーを質量に変換するなりして引き起こすもののことなのですが、その魔法使いが、サンドリヨン、灰かぶり、シンデレラなどと名づけられた雑用娘を、魔法の力で、かぐや姫に匹敵するほどの美しさに仕立て上げ、その姿で王宮に乱れを生じさせ、これほどの美貌といえば、と、月の世界ではかぐや姫に容疑がかかり、かぐや姫、そなたは自身の容姿を悪用し、人間の心を食い荒らしたな、それは大罪だ、人の人生をなんだと思っておる、というなんとも分からぬことになり、それも少なからず情報エネルギーによる混乱、拡散、そのあたりが要因になっているのですが、ともあれ、魔法使いの仕業で、かぐや姫にこのようにああ、ああ、冤罪が訪れたのでございまして、地上へ向けて、団体が、舟に乗って、かぐや姫を迎えに行くことになったのですが、あな、悲しい、かぐや姫はすっかり老夫婦に情が寄っており、二人から離れるのが悲しゅうて悲しゅうて、その悲しそうな様子を、月の連中は、うれし泣きなのだろうと勘違いして、かぐや姫の気持ちも知らずに月へと引き戻してしまい、老夫婦も突然のことに悲しみに浸りきれずけれど悲しみのどん底にあり、桃太郎が必死に慰めてやるのでしたが、さてさて、そのころ鬼ヶ島では、鬼の親分の娘、鬼子、かっこ仮、かっこ閉じる、が、復讐心に身をたぎらせて、村へとやってきたところでした、人の女の姿に化けて、もしもし、もしもし、いえいえ、電話ではなく、玄関先で、申す申すの要領で、もしもし、もしもし、こちらは桃太郎様のお宅でしょうか、ええ、え、はい、桃太郎様のお嫁に来ました、え、ええ、どこの者だといわれても、その、ただの通りすがりではありますが、いえ、お嫁に来たのは本当なのです、ええ、ええ、嫁に貰ってくださいな、ええ、桃太郎も老夫婦も困ってしまって、しかたなし、嫁云々はともかく、家におくことになったのですが、すなわち、ああ、家事の手伝いとして、それに、桃太郎の思惑といたしましては、老夫婦を慰めるうえで、女子がいるのは良いことだろうと、嫁云々はともかく、ともかく、そういうことになりまして、鬼子もわりあい真面目に手伝いをし、というのも、まずは信用させてから、という、復讐心の裏返しの親切だったわけでございますが、よもや、鬼子の行動が復讐の前準備だとは誰も気付かず、はい、徐々に鬼子はかぐや姫のいなくなった家に馴染んでいき、老夫婦も少しずつ元気になってゆき、おい桃太郎や、はよう嫁に貰いな、こんなええ娘、そうおらんど、そういう話によくなって、鬼子はそのたびに顔を赤らめる素振りをするのですが、それは演技であり、しかしそれが演技だと悟られないために、一生懸命にしたものですが、あな、あな、そうなることも、なきにしあらず、鬼子はそのうち、本当に桃太郎のことが好きになってしまったのでございまして、いやいや、まさかまさか、鬼が人を好きになるはずがない、とはいうものの、異種間の愛、というものは、さほど珍しいことでもないのですが、地上では知的生命体が、者、という一言に収束されてしまうために、いえいえ、難しいことはともかく、鬼は桃太郎に恋をしてしまったのでありまして、しかし、鬼子は復讐のために桃太郎に近づいたのでありますし、ああ、ああ、もう復讐の心もどこかへ逃げていってしまいましたし、ああ、ああ、鬼子はその苦しみの葛藤に負けることもできず、桃太郎を殺めることは諦め、ああ、ああ、だからといって鬼ヶ島に帰るわけにも、いかず、いえ、鬼の親分はふいにいなくなってしまった娘のことを心底心配していましたし、娘に仇をとってもらおうなんてまったく思っていなかったのですが、鬼子は親の心を間違えた方向に慮ってしまい、そのために、鬼子は、ああ、ああ、桃太郎から離れ、鬼ヶ島からも離れ、ただ、ただ、竹やぶのなかを彷徨い歩いていましたところ、なんと、竹が一本、異様に光っているではありませんか、鬼子は驚いて、その竹をゆすってみると、なかから呻き声のような蚊の声が聞こえるので、いえ、鬼子は鬼なので耳が人よりも優れているのですが、竹をへし折ってみたところ、なかには人形のような大きさの魔法使いがいまして、はて、鬼子は驚いて、驚いて、鬼の驚く様が壮観であるものですから、魔法使いも悲鳴を上げて、失神して、鬼子はそのままどこかへ走り去ってしまい、魔法使いが意識を取り戻したときには、お天道様はお休みになっており、お月様が無慈悲にいらっしゃいましたので、魔法使いはお月様に見つからないように、自身の体を透明にし、いえ、空間を歪めて光が届かないようにしただけなのですが、そうすることでお月様の監視から逃れ、しめしめ、しめしめと、村でも鬼ヶ島の方向でもないところへ進み、奇しくもその方向は鬼子が向かったのと同じ方向だったわけですが、鬼子はあるところで野宿をしており、おやまぁこんな可愛い姿してこんなところに、魔法使いは毒づいて、はいはい、その可愛らしい顔を豚の顔に変えてやりましたが、まさかもともとの顔が化けている姿だったとは魔法使いは気付かない様子で、ああ、気分が幾分かすっきりしたかな、と、歩を再開するわけですが、さて、お天道様がまた動き出したころ、鬼子は目覚めると見知らぬおじさんに見つめられていまして、というのも、顔は豚だというのに、体が女の体なのですから、これは妖怪の類だろかと、恐怖よりも好奇心が勝ってこのようにまじまじと見つめているわけですが、寝顔を見るとはなんて失礼、鬼子は自身が豚の顔であることも知らずに、もとの鬼の顔に戻したんですが、魔法使いがかけた魔法は、鬼の顔ではなく女の顔が対象だったので、はい、きちんと鬼の顔に戻り、おじさんは慌てて逃げていったんですが、さてさて、魔法使いはそのころ、死角をもたないお天道様に見つかって、あわや、おしおきを喰らっていましたよ、いえ、お天道様は、光の届く範囲のほかに、熱の届く範囲ももっていますから、光も熱も届かない場所、という極寒な冷酷地帯は、そう見つかるものでもないのでございまして、はて、そのころ桃太郎は、なぜか家にあった重箱を眺めて、はてこれはなんだろう、と腕を組んでいたんですが、その重箱は、すなわち、浦島太郎が竜宮城でいただいた、玉手箱、というものであり、いえ、このとき浦島太郎はお天道様のお傍にいるものですし、どうも浦島太郎の存在は桃太郎にも老夫婦にも忘れられてしまっているようですから、はい、物体だけが新家に残ったという、少し怪奇なお話になってきたところ、開けてみようじゃないか、とおじいさんがいい、桃太郎は眉をしかめましたが、もしかしたら、あの女の子が置いていったものかもしれない、とおばあさんが言ったので、ついに開けることに決めました、あの女の子、とは、鬼子のこと、彼女は桃太郎たちになにもいわずに家を出て行ってしまったのですから、当然、残された桃太郎たちにとっては、出て行かれた、受動態、なのですが、開けてみると、なかから見えない物体、光子と限りなく質量の近しい物質が飛び出て、曲率というものをどうにかして、時間を押し進め、はて、いつの間にやら数百年が経ってしまい、玉手箱の周囲にいなかった鬼子や猿やキジ、村の男衆などは、すっかり白骨化してしまいましたが、いえ、お天道様のところにいた魔法使いや浦島太郎、お月様のところにいたかぐや姫、それと地上支局の人たちは範囲外であろうと作用外になるので、つまり、太陽や月は数百年程度では変わらないものなので、大丈夫、だったのですが、さて、桃太郎が慌てて家を出てみると、眼前に広がるは、未知の光景、彼らにとっての未来、はてさて、車がぶうぅーん、ききぃーっ、ほどなくそこに村はなく、コンクリート製の道路が延びていたのでございまして、ええ、これは大変だ、大変、大変、大変だ、とみんな騒ぐところを、忠犬だけは、わん、と大きく一声ほえるだけで、さてなにを思ったのかと思えば、また車がぶうぅーん、そこへ向かって犬が飛び交いまして、ああ、ああ、ああああ、悲しいことが起こって、桃太郎は目を背けて、老夫婦は突然のことにおろおろおどおど、その様子を見たお天道様が、おや、とその異常事態に気付き、しかし時間遡行はお天道様にもできないことでございますから、はて、彼らを救う手立てはないか、と考えるわけですが、いえいえ、思いつかぬのでして、知恵を神様から授かったソロモンという王に相談してみたところ、いえいえ、死んだ者を蘇らせるのは無理だ、と、少々論点のずれた返しがきたので、ああ、いや、これは自分の質問が悪かったのだな、と、お天道様は省みて、はて、あの老夫婦たちは突然の環境の変化に頭がごんがらがってしまい、右も左も分からない状態というものになり、助けてやらねばおかしくなるんじゃないかとお天道様は心配になり、おやおや、時間を超越した動きというものはお天道様にとっても異質なものであるらしく、ではあの玉手箱がなんなのだったかといえば、一気に老けさせる老け薬のようなものでありまして、それがなぜ時間を押し進めたのかといえば、その老け薬が、人ではなく、環境のほうにぶつかってしまったからでございますが、いえ、ああ、それはともあれ、彼らの傍を車が通り過ぎ、車の運転手が彼らの様子を見て、これは変だぞ、と思ったので、車を脇に停めたところ、その車が突然老いだして、あなや、ポンコツになってしまい、錆びついて動かなくなってしまい、運転手は顔を青ざめたのですが、咄嗟に気を持ち直して、これはどういうことだ、とふと老夫婦に問いかけたんですが、いえ、彼らを魔術師かなにかのように思ったのでしょう、しかし桃太郎も老夫婦も魔術師などではなく、むしろ訊きたい立場にある人間たちでありますから、答えることもできず、しかし、質問されたことによって、事実の確認、いわば認識の共有を確認することができ、頭も幾分おさまってきて、さて、対策を講じよう、と思い至ったのがちょうどあたりが暗くなったときであり、お天道様は、彼らのことを気にかけながらも、お月様にその任務を譲らねばならなかったのですが、このとき月から地上を見下ろしていた女が一人いまして、その女は、うさぎがついた餅を食べながら、あわや、あわや、悲しんでいたのですが、その様子を見たほかの女が、かぐや姫どうしたの、と問いかけるものですから、いえいえ、なんでもありませぬ、悲しい声で言うもので、うふふ、月の御殿からなにやら笑い声が聞こえ、ねえ、あっちに行ってみましょう、と女がかぐや姫を慰めるつもりで言うものですから、かぐや姫も、そうね、と返事して、地上から目を逸らして、御殿へ行ったのですが、御殿では妖精たちが、杖をふるって悪戯をしているものですから、こら、なにやってるの、と叱って、わーいわーい、妖精たちは逃げてゆき、その妖精たちが向かったところというのが、太陽の光の当たらない、陰の面であるのですが、いえ、ここでは、粉が発光しにくく、姿を見つけるのが容易なことではなく、叱られたらひとまずここに隠れるものでしょうが、はて、いつものようにそこへ逃げ込み、時間がある程度経ってからひょっこり帰るつもりが、はて、ひとりも帰ってこないわけですから、異常事態、とは言うまいまでも、月の連中は疑問に思ったものであり、たとえば、ここのところ妖精を見ないな、どうしたのだろ、まあ近頃はそのおかげで平穏だなぁ、だなぁ、などと言い交わしていたものを、それからいくらしても妖精たちが戻ってこないわけですから、あやや、とうとう心配になって、一向は月の裏側に行くことにしたのですが、へえ、妖精たちは食べられてしまった、と、誰の皿へ運ばれたのかといえば、それは、かくもそれは、食べる、という存在だったのですが、いえいえ、かぐや姫が食べていた餅こそが、妖精だったのです、と、さてさて、お天道様からもお月様からも支援を受けられない様子の老夫婦と桃太郎は、そのまま右往も左往もできずに、干乾びて、土の肥やしとなりて、豊かな自然を貢献したようです、おしまいおしまい、はて、それでは、第二の物語に入ることにしましょうか、と、さてどんな話にしましょうか、と、わたしもまだ考えていないあたりプロットの欠如を思い起こすものですが、プロットなんて古典的な概念はとうに滅びてしまったんですよ、と、いえいえ、だってプロットを組み立てるにはいくらか文字を書かないといけないじゃないですか、それって文字の浪費じゃないですか、ええ、そんなもったいないこと、できるわけないじゃないですか、ええ、ええ、脳内プロットという言葉が昔はあったそうですが、まあ確かに、プロットが有効に機能していた時代に、脳内で完結させてしまうことのメリットに、あまり納得がいかないわけですが、でもこの時代、プロットなんて作ってられませんよね、ええ、言葉はあらかじめ考えて使うのか、そういうものなのか、準備したうえで生まれた文章と、わたしがいま書いているこの文章のように計画性のない文章の間に、いったいどれほどの差異があるでしょうか、と、ほら、古典の世界ではそれは確かに、展開、やれ起承転結、やれ序破急、やれやれ起承鋪叙結、そんなものが横行していた時代では確かに、準備は大切だったのかもしれませんけれど、あなた、に分かるか知りませんけど、この時代を生きるわたしにとってそれは拷問のような浪費にすぎない、業火にすぎない、それをなぜ受け入れるというのでしょうか、って、ねえ、文章は口述と違って、後世に残るものなのかもしれないけれど、だからといって、わたしの住んでいる時代から逸脱した概念に媚びるつもりなんて、毛頭ない、ないないない、いないいないばあ、こどもだまし、にすぎないんじゃないでしょうか、か、か、第二の物語、ある町で遺体が発見されたようで、ニュースキャスターがカメラに向かって暗記したばかりの解説を繰り出しているものを、テレビ越しに女の子、当時の呼称するところの女子高生、が、観ていたところ、へえこわあい、たわいない感想をいだいたのですが、さてもう学校に行く時間、遅刻してしまわないように適切な時間をあらかじめ設定して靴を履いて、いってきまあす、静かな家に流れる言葉、いえいえ家族はいますよいます、母親は彼女の弟を起こすのに忙しくて、父親は新聞を読んでいて、彼女の言葉は聞こえなかったのでしょうか、返事はありませんでしたが、なにを思ったのか、頬を持ち上げていて、そのいつもの風景を歩き出して、今日は良い天気、歩いて歩いて、溜息は出なくて、出なくていいんですけど、とにかく出なくて、歩いてゆくと、駅につきまして、定期券を、ぴ、改札が開いて、電車に乗って、乗っている間はなにも考えないわけでも、なにか考えているわけでもなくて、景色を眺めているわけでも、眺めていないわけでもなくて、ああ、無駄な時間、と思いながら、車内はわりと静かで、わりと喧騒が混じっていて、いつも少し早めに登校しているためさほど混雑しているわけでもなく、かといって空いているわけでもなく座れなくて、でもいつものことで、座りたい、と、思いながらも、おばさんかよ、と思いながら、別に立ってても苦にならないあたり、景色を眺めていて、眺めていなくて、音楽を聴こうと思って、胸ポケットのイヤホン、なくて、ああ、家に忘れたんだ、そのことに気付くや音楽が聴けないということにいらいら、いらいら、聴きたい聴きたい音楽聴きたい、世の中音楽がないと生きていけないよね、なになに、好きなバンドの曲を脳内再生、あの、歌詞がカットアップやらなんやらで作られている、歌詞が楽器のひとつになっているような、すごいバンドだな、聴きたいな、聴きたい聴きたい聴きたいな、悶々としてくるので、他の脳内話題に換えようとして、今度はエレクトロニカが流れて、違う違う、音楽から離れないと、悶々、いらいら、景色を眺めて、眺めていなくて、次の駅について、この駅で降りるわけではないけど、彼女の近くにいた乗客が降りるようで、少し肩が触れて、うざ、思うと同時に、どいたほうが良かった、自責、の念、脳内でヘッドロックかましてて、誰を、といっても、分からなくて、分からなくて、ああ数学の宿題あるんだっけ、やってない、なん時間目だったっけ、間に合うかな、いまからやろうか、いやいや、頭蓋骨固め、ぴょんぴょんとなぜかカエルが跳ねていて、でもそれは幻想のような、いや、脳内カエル、で、帰りたい、と一瞬だけ思ったけど消えてった、その間に目的の駅に到着していて、ああ、長かった、とはあまり思わなくて、でも思っていて、降りて改札を、ぴ、学校まではさほど歩かなくても着く距離にあって、でも歩かないと着けない距離にあって、つまりゼロではなくて、行きたい場所への移動距離がゼロであるなら、どんなにか良いだろう、とか思わなくて、それほど想像力も豊かではなくて、莫迦だよ、莫迦だよ、校門をくぐって、校門には教師が立っていて、礼をして、髪が揺れて、ゆれゆれ、れれれれ、靴を脱ぎ、黒い靴下にしわ、のような、もの、ができていて、でも気にしない、気にするものでもなくて、でもでも、目につく、ということは、気になっている、ということではないの、と、思わないでもないけれど、階段を上って、教室に入ったところ、まばらにクラスメイトがいて、はい、窓側の席、とめどなく流れる空気、じんわり暗い教室の奥、鞄を机のうえに置く、窓が開いている、ふと、今朝観たニュース、思い出して、思い出したわけでもないような気がして、遺体、死因不明の遺体、池に浮かんでいたって、思い出したところで、なに、なんなの、机に鞄を置いたまま、教室を出て、ちょっと歩いた先にある、トイレに入って、トイレには大きな鏡があって、それと向き合って、髪を直す、鞄の重さのせいなのか、制服の着心地もずれていて、シャツを直すときの、スカートのバサッて音が思ったよりも大きくて、トイレに彼女以外いなかったことにちょっとほっとして、でもこれくらい聞かれてもな、とかも思って、排泄をしたわけではないけれどトイレに入ったのだから手を洗って、わりと綿密に洗って、きれい、きれい、ハンカチで拭いて、トイレを出て、ちょっと歩いて教室に戻って、おはよう、声をかけられて、おはよお、って返事して、挨拶してきたのはよく喋る男子で、まあでも挨拶だけで、窓側の席に戻る、というところまで記憶があって、気付けば保健室に寝ていたあたり、ああ、莫迦だなって、なんの前触れもなしに胸に込み上げてくるものがあって、まただ、また、ああ、あああ、死ね、ほっとけよ、なんなの、なに、なに、目頭が熱くなって、やだやだ泣かない泣かない泣かない泣かないうるさい死ね黙れ、それからチャイムが鳴るまでじっとしていて、保険医のおばちゃんが、二時間目は受けるかどうか訊いてきて、出席点が欲しいし正直発作がおさまれば元気なものだしああ、あああ、発作じゃねえよ、莫迦、莫迦、莫迦、保健室を出て、階段を上って、歩いて、教室に入って、だいじょーぶぅー疑問符、友達が囲んでくる、うざ、有名人かよ、思ってて、どうでもよくて、授業開始のチャイム、鳴って、ああ、保健室にいたとき聞こえたのは一時間目終了のチャイムね、と今更確認して、二時間目がなにかって、数学で、宿題やってないじゃん、先生が教室に入ってきて、起立、礼、着席、会長ってば毎回毎回おつかれさまだよね、とか思って、でもあんまり思ってなくて、授業がいきなり始まって、少しは雑談とかしろよ、とも思いながら、眼鏡をかけた中年おやじは教科書のページ数を黒板の左上に書いて、彼女は宿題を開いて、宿題をすることにした、というのも、この教師は、授業の終わりに決まって宿題を集めるので、まだ間に合うかもしれない、そのはずで、いろいろ黒板が進んでいて、はいはい、窓側の席、じゃんけん、ぽん、ふいに脳裡で彼女がふたりに分裂して、じゃんけんをしていて、あいこが続いて、続きまくって、いい加減終われよ、と思いながらも宿題を進めていくのだけど、問題を解くわけではなくて、この数学教師はある意味良識的な人なのかもしれなくて、問題集の解答も生徒にあらかじめ配っているから、それを書き写していて、あー、じゃあ宿題出して、っていう声と一緒にゴールイン、素知らぬ顔で流れに任せて宿題提出、こうして平穏が訪れるのだ、とか思って、これ誰の言葉だっけ、って思っても、いやいや格言でもないですか自分の言葉ですね、って思って、別に思ってるわけでもないんだろうけど、そのままあっという間に時間が過ぎて、なにごともなくて、昼休みになって、なんか机がくっついてて、いつもの連中とお弁当箱開けてて、いただきます、とか言わずに箸を口に運んで、噛む、噛む、んで飲み込む、のだけれど食事しているときって、噛むのはともかく、飲み込む行為にはあまり意識がいかないね、とか思って、思って、思えば思うほど飲み込む行為に意識がいって、あれ、食べるってどうやってやるんだっけ、なに、噛む、それで、飲む、え、なに、噛む、え、え、どうやって飲むの、え、これ飲むの、口のなかのを、え、え、え、ごくん、飲めて、ほっと安心している間に、開いている窓、風が吹く、髪が口に触れる、噛む、違う、そんな間にお弁当はからになっていて、彼女は喉の渇きを覚えて、校舎の一階に自動販売機がひとつ置いてあるけれど、でもわざわざお金を使うほど喉が渇いているわけでもないな、とも思って、ああ、一階にはウォータークーラーもあるじゃん、あれ飲めばタダじゃん、ということで教室を出て、階段を下って、手すりを握りながらなのは、きっと癖のようなものだろう、と思って、思ってないかもしれなくて、ウォータークーラーは玄関口の外、つまりグラウンドの隅のあたりにあるから、靴を履くべきなのだろうけど、面倒くさいし、上履きというかスリッパあるし、そういうことだから靴は履き替えずに玄関を出て、グラウンドが視界に広がって、グラウンドに沿って縁のほうを伝って歩いて、ウォータークーラー、故障中、お、どうしたの、いや故障中って、グラウンドでバスケかなにかしていた友人が、話しかけてきて、あはは、それ前から壊れてたよな、いつ直るんだろな、知らなかった、喉が渇く、でも我慢できないほどでもないか、と思って、きっと思って、最後まで財布の紐を守って、昼休みが終わって、ふと、今日が金曜日であることを思い出して、気になって、あれ、というか来週から試験じゃないの、とか、今更思い出して、気になって、五時間目が終わって、六時間目が終わって、起立、礼、ということで幾度目かの金曜日が終わって、さて帰るか、と鞄を閉めていたら、友人が、この友人は朝挨拶してきて昼間声をかけてきた友人のことだけど、その友人が、なあ、試験休みにさ、暇な奴ら集めて旅行に行こうって思ってるんだけどさ、おまえもどう、って、なにそれ心躍る、行く行く、暇にする、ということで、来週の試験に対する憂鬱を通り越して再来週の旅行に心がもっていかれて、いやいや、試験がりがり、がりがり、シャープペンシルから芯が出なくなるアクシデントに遭いながらも、どうにか魔の一週間を終えた先には、旅行の計画も煮詰まっていて、旅行、といっても、一泊くらいの、さほど遠くないところ、でも近くもないところ、ということで、家で夕飯を食べながら、テレビをつけていると、観ていた番組がちょうど終わって、番組と番組の合間のニュースが流れて、あ、この前の遺体のやつ、二人目の遺体があの池に出てきたらしい、と、ニュースキャスターが言う、池がある町の名前、それ、旅行で行くとこじゃん、今になって気付いたけど、まあいいや、いいというか悪いことはあまり思いつかないし、親にも前もって旅行にどこに行くかとか教えたし、親はこのニュースを観て特になにも思っていない、というか、たぶんいちいち町の名前なんて気にしないから、気付きにくいものだよね、とか、シャワー浴びて、髪乾かして、歯磨いて、明日の荷物の確認をして、あ、鉄分、錠剤の鉄分、これ大事だよね、ということで、これで準備万端、おやすみなさい、このときの暗闇と、あのときの暗闇では、どこが違うのだろう、こんなにも違うのに、道を歩いていると、後ろから肩を掴まれて、なに、振り返ると、骸骨が叫んでて、彼女の肩には指の骨、わああっ、走り出す、はずが、一歩も前に進まないまま、あ、歯が抜けた、こり、こり、こりこり、口のなかで歯が踊り、目の前をなにか蛆虫のようなきもいものが蠢いていて、一匹だったそれが、二匹になって、四匹になって、十六匹になって、二乗かよ、でも気付く、その虫たちは、目の前にいるけれど、目の前にはいない、いやいや、宙を浮かぶように蠢くその虫たちは、目の前にあるというか眼球の前にあるというか眼球を這っている、違う違う違う、そうでもなくて、でも目の前にはいなくて、目の前にいて、ああ、そうだそうだいやいやいやだ、頭ノ中ニ在ル、ああああ、ああああ、目が覚めて、夢、夢、これ夢だった、うわ夢、夢夢夢、助かった、なにこれリアル、でも夢で良かった、心の底から安心している自分がいて、寝汗が気持ち悪くて、シャワー浴びないと、時間は大丈夫、時計を確認して、すごく早起きしてしまったことに気が付いて、いつもなら二度寝するところだけど、いやだ、レム睡眠とかどっか飛んでけ、布団から出る、浴室、狭い浴室、シャワーを浴びて、ああ、朝シャンはなあ、体調狂うんだよなあ、あの日を思い出しながら、メランコリー、シャワーの音に聞こえるものが遮断されて、その状態がむしろ彼女の思いを聞こえやすくしているような、ともあれ今日から旅行だ旅行、携帯機器をぽちぽち、みんな寝てるよなあ、母親が起きて、おはよお、早いねぇ、なにその顔、わら、朝ごはんを食べて、テレビがついていて朝の占い、はいきた一位、今日は一日絶好調、感嘆符、ふとレム睡眠のとき見た夢を思い出し、つらなってニュースでこれから行く町の映像が流れ、重なって、加算して、バスケで最後の三点シュート、決まらなくて、あ、これはまずい、彼女は咄嗟に目を瞑って、強く祈るように瞑って、ぴりぴりと暗闇に白い靄が生まれて、過ぎ去って、ほっ、一息ついた、いってきまあす、いってらっしゃーい、扉を開けて、扉を閉めて、日差しが眩しく、彼女は自分の胸に手を載せ、心臓の音を感じて、自分が生きているということを意識があるということをいまここにいるということを人生を過ごしているということをこれから旅行に行くのだということを実感し、歩き出して、駅に着いて、定期券を、ぴ、目的の駅はいつもよりも遠くて、電車に揺られてがたごとと、今日はイヤホン忘れない、方耳にだけイヤホン嵌めて、だって完全に音に閉じ込められてしまったら、外側からなにされるか分かったものじゃない、怖い、怖い、心配じゃないのかと、車内のほかの人を見て、両耳をイヤホンで塞いでいる女の人を見て、思って、でも思っているわけではなくて、イヤホンしてる女を狙え、ちょろいぞ、誰の言葉だっけ、駅まで乗り換えもなく、でも遠く、ずっと揺られて、旋律に耳を傾けて、同時に周りの様子にも気をつけて、なに、莫迦、気を付けててもなるようになったらそれでおしまいじゃない、んなの分かってるけど、ああ、ああ、目的駅に到着して、電車から降りて、手すりを伝って、乗り越し精算機に定期券を入れて、足りない分の金額が表示されて、その金額を投入して、乗り越しの切符が出てきて、それを持って、改札抜けて、その辺をうろつくと、既にみんな集まっていて、遅いぞ、とか言われて、ごめんごめん、軽く返して、よっしゃ、こっちだ、誘ってくれた友人が、リーダーっぽく誘導、バスに乗って町へゆく、切符の用意はできていて、リーダーが責任をもってみんなの分を今日まで保管していて、それを配ってくれて、はい、バスに乗って、席に座って、自分はどこでもいいと思っていて、さっさと切符に記されていた番号に座ったけれど、みんなそれぞれ座りたいところがあったみたいで、みんな、というのは、男三人、自分含めて女三人のことだけど、男の二人組み、女の二人組みができて、バスのなかは二人組みの椅子が左右に別れていて、彼女の前に女の二人組みが座って、その横の二人組みの席が男どもで、あれ、自分残り物じゃん、先に座ったのに、って思っても、別にどうでもよくて、実際のところ思っていなくて、流れに流されたままそのまましていたら、荷物積むのを終えたリーダーが遅れて乗ってきて、おれここか、とかリーダーが自分のとなり、そうなるよね、知らん、窓に頭をもたれかけて、音楽を聴こうか迷っていて、バスの出発時間になって、振動が体を伝わって、うぐぐ、音楽を聴くことにして、わいわいがやがや、睡魔が襲う、妖精がいて、でも目に見えない妖精で、目に見えないのにそこにいて、そこにいるということが分からないのに分かって、妖精がいて、笑ってて、でも笑っていなくて、友達と会話していて笑うときでも目が笑ってないよって言われることがあって、でも心底愉快に笑っていても、目が笑っていなかったら笑っていないことになるらしくて、なに、自分よりも自分の心が分かるんだ、妖精がいて、笑っていて、でも笑っていなくて、誘導、扇動、跳躍、卑屈、笑ってて、笑ってなくて、笑っていて、笑っていなくて、いないない、ばあ、妖精がいて、妖精がいて、なによ、笑っていて、笑っていなくて、妖精なんていない、目が覚めて、うわよだれ、見られたかな、見られたよな、横を見て、寝てるじゃん、ほっとして、やっと肩に感触があることに気付いて、おいこらもたれるな、友人の頭を掴んで押して、うぅん、なにこいつ寝顔可愛い、リーダーも疲れてるんですね、そうですね、ですね、はい、イヤホンをつけていることに気付いて、曲がとまっていることにも気付いて、どれくらい寝ていたのだろう、バスの一番前に掲げられている時計によると、もうすぐ到着予定時間になるってことを知って、そうか有意義な移動時間だったようん、バスが停まって、到着しました、ほら起きて、うぅん、リーダーはなかなか起きなくて、他の乗客に笑っている人がいて、自分たちを見て笑ったのかは分からないけれど、笑うなよ、って思って、やっとリーダー起きて、おい着いたぞ、降りようぜ、って言ってて、おまえを待ってたんじゃん、男子のひとりがツッコミを入れてさて降りて、歩いて、くっちゃべって、歩いて、宿について、格式高そうな女将さんみたいな人が出てきて、正座して手をついていて、うへえ、それっぽいなあ、宿に上がって、女子のと男子のふたつの部屋、隣り合っていて、左のほうの部屋に入って、荷物を置いて、女将さんの説明を聞いて、ご飯までまだ時間があるから、この辺歩いてみようぜ、ということになって、思い出したように、ここが遺体発見のあった町であることを口に出して、周りの反応も悪くて、歩いて、草がこまごまと生えていて、道草ってこういう雑草のことをいうのかな、とか思って、でも思わなくて、なんだか眠たくなって、思いっきり目を瞑って、ぴりり、眠気が過ぎ去るのを待って、過ぎ去って、また歩き出す、大きな道が一本のびていて、振り返ると先ほどの宿はその行き止まりのところにあって、そこから逸れればバス停があるけれど、ここからは見えなくて、振り返るのをやめて、前を向いて、道が一直線にのびていて、なんだか、こういう場所もあったんだっていう感動があって、別に感動しているわけでもなくて、歩いて、歩いて、道の両端には家とか立ち並んでいたけれど、歩いているうちに、家家の間隔も広がっていって、そのうち、家がなくなって、自然、って感じの、緑の生い茂る景色になって、それでも道は続いていて、歩いて、歩いて、なんだか不気味だね、誰かが言って、誰の言葉だっけ、歩いて、鳥の声がして、羽音はしなくて、鳴き声、決して姿は見えない鳴き声、歩くごとに強くなっていて、なんだか自分が独りぼっちであるような感覚がして、あっちむいてほい、意味もなくはしゃぐ姿、醜い、莫迦、そう考えながら、これが普通なのだ、という言葉が、誰の言葉だっけ、駆けてきて、そろそろ戻ろうぜ、リーダーが言って、みんな応じて、振り返って、彼女だけまだ前を向いたまま、ああ、あの池だ、呟いて、誰にも聞こえなかったみたいで、自分が見たものを忘れるように、取り消すように、警察が張ったらしい黄色いテープを、うへへ、これは幻覚かもしれない、振り返って、少し歩幅を大きくしてみんなに追いつく、奸悪な、どうせ、莫迦、考えが纏まらなくて、でもそんなこと、いつものことのような気がして、宿に戻って、ご飯だ、わあ豪華、割と安かったのだけど、体裁が良いような、きらびやか、魚の身を食べる、食べる、食べる、飲み込むという行為は、覚えていてもいなくても容易にすることができて、数日前の自分はなにを困っていたのだろう、疑問に思って、でも思っているわけでもなくて、続けてゆく、続けてゆく、自分は自分であってでも昔の自分ではなくて未来の自分は今の自分ではないのかもしれない、いやいや自分が自分であることになんの疑問も持たないほうがいいだって細胞なんて入れ替わっているようなものだしそれなら自分は数日経てば自分ではないようだしでも自分は自分なのだしそこに疑問を、持って、は、いけない、の、だよ、強く瞼を閉じる、ぎゅっと、ぎゅうっと、外界を作り上げて閉じこもるように、なにも知覚できないように、ぎゅっと瞑って、あれ、なにしてんの、質問されても、いまこの瞬間だけは無視しなくてはならない、ああ、あああ、考える葦である、葦にはなりたくない、神経を働かせないで、交感神経と副交感神経が入れ替わっちゃう、それが意識を失わせる動きだとして、ああ、あああ、いまはなにも考えない、ただ時間の過ぎるのを願って目を瞑る、目を瞑る、そして眩暈は遠ざかり、ああ、良かった、大丈夫だった、冷や汗が背中を伝う、大丈夫、疑問符、飛び交って、大丈夫、まる、打ち損ねて、そうしている間に、美味しい料理、食べきって、食った食ったー、男勝りな女子が、あぐらをかいて、風呂の用意ができるまで、適当に話をして、話といってもノンフィクションが大半で、それもそうで、想像力の欠片もなくて、莫迦、はい、莫迦、ですね、この宿には、露天風呂とか大層なものは備えられていなくて、四角くて、鉄製の、枡みたいな、室内にふたつあって、男湯と女湯に分けられていて、室内だから湯気が篭っていて、安いのはこの風呂が狭いからなのだろうけれど、これもいいかな、風情だな、いとをかし、って、思ったりして、本当に思ったりして、旅行っていいなあ、思っていたら、ふと、高揚感、ああ、あああ、またかよ、なんどめだよ、ぎゅっと目を瞑る、うううん、背中流してあげるね、ふいに温かい感触、やめろやめろお、あ、でも案外ラクかもしんない、大丈夫じゃん、丈夫丈夫、お風呂のなか、湯気が体を撫でて、ふんわりやんわり、体の芯のようなものを揺さぶる感覚、嫌いじゃないよ、嫌いじゃないね、ねんねころ、でもふいに、ふいに、ふいにふいにふいに、ふにやあ、湿る、虫、虫、虫、虫、頭のなかに、違うよ違う、あ、虫、うわああ、うわああああ、これは共通の概念だ、ひとりだけに見えているものが幻覚であるのなら、複数に見えているものは実際に存在しているものなんだ、ああ、あああ、虫がいる、流しちゃえ、風呂のお湯、排水溝に流れゆく、蛆虫のようなそれ、流されて、排水溝、ばいばい、ばいばい、なにかが胸に刺さる、これはなに、なにこれは、さあっと血が薄くなる実感、なんか気分悪い、寝る、先にお風呂を上がる、部屋に戻って、浴衣を試すこともせず、既に用意されていた布団にもぐりこんで、でもやだ、夢のなかへの恐怖が再現され、でも、もう、三点リーダ、眠ってしまい、あの池に彼女は来ていて、目の前に蛆虫の集団、うへへ集団疎開かよ、上手いこと言っているつもり、蛆虫の集団、うごめいて、その度に吐き気がして、喉のあたりが熱くなって鹹くなって、蛆虫の集団、彼女の姿を知覚して、近くに寄って、思い出せ、思い出すな、なにも分からないまま葛藤が響いて、垂直の夢、落ち込んで、腰の骨が砕けて、蛆虫が空から降ってきて、投下かよ、きのこ雲、口のなかが乾いて、蛆虫が入ってきて、頬に穴が開いて、ああ、ああ、ああ、定期的に繰り返される殺戮を目の当たりにした貴婦人のあの心情に似たもの、を、感じとることもできない彼女の姿を感じとる彼女の姿を感じとる彼女の姿、を、感じて、感じなくて、目が覚めて、早朝で、他の二人はまだ眠っていて、二人とも浴衣がはだけていて、浴衣というものは下着の一種だからね、彼女は布団から這い出て、自分の体を見て、眉をしかめてから、服を着て、二人を起こさないように部屋を出て、宿を出て、道を進んで、進んで、あの池に着いて、ここだ、ここなんだ、あの夢に見たのと同じ池、この池を見たんだ、蛆虫もなにもいないけれど、ここに、ここに、妖精なんていない、蛆虫もいない、黄色いテープをくぐって、でも黄色いテープなんてただの幻想かもしれなくて、でもくぐって、池の付近、ここに遺体がふたつあったんだあったんだ、ここが池がが池が池が、妖精なんていない、足元が湿る、濡れる、池の水で地面がぬかるんでいる、べちゃ、べちゃ、靴が汚れて、あの池が池がが池けが池が、妖精なんていない、振り返、るな、振り返ると妖精になってしまうぞ、ああ、あああ、あああああ、交感神経と副交感死ね経、振り返ると、振り返って、そこにいて、いて、いて、ああ、あああ、眩暈がして、いつものように眩暈がして、いつもの、目を瞑らないと、心を落ち着かせないと、ああ、副交感死ね経が交感神経を突き破って前に出てきて眠っている状態に体が強制的に引き戻されて一瞬の睡眠、強制的な睡眠、目の前にいて、彼女の目の前にいて、妖精は自然の秘密を握る者たちだ、ああ、声がする、目の前にいるから、いる、いるから、うるさい黙れ、黙れ黙れ黙れえ、言葉が出てきて、でも言葉にならなくて、劣情、莫迦、莫迦なのよ今年の春から、倒れてから莫迦なのよ目の前に、池がが池が池が池が、足音がして、瞼を閉じることもできない、足音のほう、に、首を動かして、そこにはリーダーがいて、目の前にいるのと、リーダーと、いて、いて、おいなにしてんだ、危ないぞ、その池は、以下省略、三点、リーダ、ごめん、もうダメ、ダメ、ダメ、リーダーが怖い顔をして、こんなはずじゃなかった、きみは幻覚、きみは幻覚、蛆虫なんていない、きみが幻覚、きみが幻覚、すべてが反転して、すべてが、ジグザグ軸索池が池が池がけが、妖精なんて蛆虫なんて脳の作り上げたそこに目の前に、いない、いない、そこにいて、いなくて、いて、いなくて、怖くて、怖くなくて、人がいて、好きな人がいて、好きではなくて、そこにいなくて、足音なんてもとからなくて、テレビなんて家には置いてなくて、遺体なんて遺体なんて遺体なんて池がが池が池が池に、落ちて、第三の物語、いずれいずれ、宇宙の暗黒物質の正体が判明するなどといったこととは関係なく、ともあれ判明などという概念を捨てた、すなわち人類の滅びた宇宙では、人類に準じる生命体、地球から派生して火星を渡り、それからエウロパの海を留まりつつ木星を飛び越え、太陽系を抜けてホットジュピターのあたりに移り住んで、そこのあたりから人類としての枠組みが怪しくなって、人類とはなに、というアイデンティティ論が盛んになるも、自身の存在自体に懐疑的になってしまった途端に、たとえばそれまでずっと常識だったことが新たな発見で覆されてしまったようなショック、人類の解体が始まって、それから幾らかの時代が過ぎた、宇宙のある歴史の一片、ブラックホールを装ったワームホールがチルドレンユニバースをうみだしていって、それからまもなく宇宙と宇宙の連携がなくなり、つまりワームホールがブラックホールと同じく蒸発してしまうだろうその瀬戸際の歴史、地球から派生した人類の搾りかす、極端に静寂に適応した概念のような思想のような見えない物体となったその生命体は、暗黒のなかを突き進みながら、あるはずもない宇宙の果てを探し求めていた、というわけではないのでしょうが、少なくともその生命体を観察していたギリンギー生物はそう思っていて、すなわちギリンギーの連中には地球流派のことなど分からないのでしょうが、当の地球流派たちはギリンギーたちに意識も向けず、そのまま真っ直ぐと、直線的な屈折をはさみながら、直線的に曲がり、直線的に跳躍し、拡散し、進んでゆき、そのうちギリンギーの観測領域から抜け出て、この膨張し続ける宇宙のなか、暗黒物質を巡り巡り、進めば進むほど塵のような霧のようなものは減っていたのですが、濃度としてはさほど差異は訪れず、流れを知らぬまま、生命体は駆け進む、見えない物体であってもそこに存在することに違いはないのですが、その真偽についてはノーコメント、スルー、言及せずに、直線状に続いてゆくと、たとえば道中、いわゆる宇宙人といった、地球とは異にする天体から発生した生物と邂逅したりするのですが、やはりひとつの宇宙のなかですから、たとえば光よりも速く運動する物体だとか、そんなものは観測されず、いま、子どもの宇宙、チャイルドユニバースがへその緒から解放されるまで、もうすぐという段階にあるのですから、たとえばその宇宙が、この宇宙といくばくか異なる法則で成り立っている可能性は充分にあり、そうなれば光よりも速い物体や質量が虚数のものが現れる可能性がありますが、しかし、まあ、この宇宙のことではないのですから、宇宙が異なる、ということは、すなわち観測できない、因果のない関係、関係ない関係にあるのですから、結局のところこの宇宙にとって子どものことはどうでもよく、いえ、宇宙にとってはあるいは生物が種を存続させてゆくように意味のあることなのかもしれませんが、少なくとも、この宇宙に暮らしているすべての生命体にとって、子どもの宇宙などというものはどうでもよいものであり、さてさてしかし、地球から派生して生き残ったその生命、気付けばそこは異質な空間、宇宙であるのにまるで違う、宇宙、生命体はそれでも直線的に進んでいきまして、一応、この生命体にも意思というものがある程度残っているのですが、それでも、驚くのに費やすエネルギーと、突き進むエネルギーとの比重を考えた場合、立ちどまっている余裕はないのでしょうが、そうまでしてなぜありもしない果てを望むのかといえば、それは単なる生命の求める永久の欲求、本能による生存の欲求に他ならないのですが、生命体が突き進んでいると、なんとも美しい天体にぶつかりまして、やっとのことで、生命体は意思を働かせてたちどまり、その天体を観測し、その姿が、あまりに地球と似ているものですから、驚く、ということをついしてしまったのでありますが、いえ、それにたいする後悔よりも、やはり驚きのほうが大きいのでございます、地球のような、その星に、見惚れていたのでございますから、なにせ地球という惑星は、すでに幾云光年も前に滅びているのであり、宇宙の塵となっているはずでございますから、地球そっくりな実体がそこにあるというものは、実に珍しいこと、立ちどまるに値することであったのであり、生命体はその星のなか、いえ、表面というべきなのでしょうか、大気のなかを覗き込んでみましたところ、ああ、あれはヒトではないか、我らのご先祖さまではないか、さらに驚くことになり、エネルギーはどんどん消費され、それを煩うこともせず、地球に似たその星の中身を、一心に観測していたもので、ヒトは、たとえば空飛ぶ車に乗って、規則正しくビルからビルへ運ばれていて、またあるところでは海中都市らしきところで、そこで二人の若い男女が接吻をしており、たとえばヒゲを蓄えた学生が、書き物に従事していましたところ、ずっと観測していたら、不思議なことに気付いたのですが、つまり、ビルからビルへ進んでいると思われた車は、前後が逆になっており、男女は接吻した後はむしろ離れてゆき、学生が書いていたものは、だんだん文字数が少なくなっていたというのですから、生命体はさらにさらに驚き、驚いている間に、気付けば、ビルの背は低くなっており、車は空ではなく地を走るようになっており、これはつまりこれはつまり、と、久しく意思を強く働かせている、生命体は驚き驚きそのエネルギーとともに思考を繰り返しその不可解な現象を突き止めようとしていましたところ、遺伝子、いえ、情報記憶が心の原型として生命体に残っていたのでしょう、地球の景色が、ふつふつと湧き上がってきて、目の前の天体の退行する景色とともに、フラッシュバックする地球の歩みゆく歴史を眺めて、ああ、目の前が退行して、もう片方は進行して、そして時代が重なりあった瞬間、ああ、これは紛れもない地球なのだ、なにせ記憶の地球と寸分狂わず同一なのであるから、しかし記憶の地球はそのまま進行してゆき、目の前の不可解な地球は、退行してゆき、これは、エントロピーの減少、に通じるような、ふいに帰巣本能のようなものが働きだして、エネルギーの枯渇が起こって、ここにいるしかないのだ、こここそが求めていた宇宙の果てなのだ、宇宙の果てとは地球のことだったのだ、と、生命体は理解し、その退行する大気圏のなかに突入し、無へと帰しましたのです、ええ、最後までここが、チャイルドユニバースのなかであったということには気付かずに、ワームホールを知らぬ間に通ってしまったのだと、宇宙の子どもとはただのコピーにすぎないのだというその人工的な作為の現象に気付くことなく、ああ、地球はこうして滅亡しそしてまた始まったのです、地球はそれから本当の始まりの瞬間まで退行し、その退行が終わった瞬間、その瞬間こそが、ワームホールの蒸発する瞬間、すなわち、マザーユニバースとチャイルドユニバースの因果が断ち切れる、へその緒が切れる瞬間なのですから、チャイルドユニバースは自立して、ひとつの宇宙として、外界のなにものからも関係を持たなくなり、さて、その瞬間から、宇宙は特異点という始まりの瞬間を体験することもなく、いえ、宇宙が火の玉という赤ん坊の状態でうまれてくるのは、最初の宇宙だけなのであって、特異点というゼロと無限大が隣り合う状態というものは、実際のところアダムとイブのようなものであり、遡らなければ、分からない、分からない、そんな幻想であり真実であれど難しくお話のようなものであるのですから、この際、地球の年齢と宇宙の年齢が同じであったとしても、それは、生まれる前の時代があったということ、宇宙の年齢はうまれる前から数えるけれど、天体など宇宙に内包されているものは、うまれた、というより、始まった瞬間から数えるものですから、そのために同一であるはずの年齢に差異が生じ、そのために宇宙が偉大で最上の階梯であるとそういうことになるのであり、いえ、決して宇宙がちっぽけなものであることはありませんが、さて、そうしてまた新たな宇宙で始まった地球は、エネルギー放出やエネルギーの恩恵やともあれエネルギーとともに進み、そのうちそこに微生物という生命体の始まりが芽生え、それが徐々に可能性を広げていって、進化というシステムがうまれ、自然というものが選択し淘汰するようになり、そのころには植物は地上に君臨し、遅れて登場した動物も、酸素という危険な毒と闘ったすえに生存権を獲得し、海から地上へと進出し、植物との攻防を繰り広げながらも、徐々に理解ある植物と協定を結ぶようになり、窒素と酸素とアルゴンと二酸化炭素と、少しずつ空気に調整がなされていって、動物は進化していって、植物も進化してゆき、その先に見えるなにか果てのようなものの存在に、地球のすべてが知覚し始め、そうだ、我々は生き続けねばならない、生き残らねばならない、その欲求を感じ始めて、動物はすっかり大きくなって、植物も大きくなって、氷河期を生き延びた先に、しかし、隕石が、が、それでも地球のすべてはめげずに、たとえ個が死しても種が残り、たとえ種が滅びても生態系という大きな塊に揺らぎが起こるだけで、そして、たとえ、生態系が滅びようとも、そうやって地球のすべてがひとつの方向、すなわち果てという概念を獲得し、我らはひとつの家族なのだ、地球を生きる生命体なのだ、という一貫した連携があったのですが、あるとき突然、異種がうまれ、その生物は、あろうことか地球のうち自身の敵となるものを自然という言葉で限定し、自然と抗争を押し進めようとしたのであり、この生命体における異端児は、地球のすべての反対を食らいながらも、独自に押し進めた技術というものを発展され、ええ、進化ではなく発展、このとき自然選択、自然淘汰に揺らぎが生じたのでございましょう、人工というものが自然を隅に追いやり、果ての欲求を押さえ込め、それであるのに彼らが起こした発展は果てに通じるものであったのが、おかしな話ではありますが、そのまま幾らかの時代、彼らに地球は占領されてしまったのですが、彼らは衰えることをまるで知らず、自然とともにあった恐竜たちよりも大きな力を知恵によって生み出し、次々と自然を改変してゆき、作り変えてゆき、彼らの天下を作り出し、さらには地球の外にまで目を向け、ロケットを作り出し、飛ばし、飛ばし、さらには猿を宇宙空間付近の高い空を飛ばせ、その成功に乗じて、彼ら自身、つまりヒト自身も宇宙空間へ飛び出し、さらに幾度もの失敗と成功を携え、地球の衛星である月に辿り着き、一歩を踏み出し、その間にも、地球の内側の作り変えも押し進めてゆき、さらにはヒトは、自身の体を人工的に作り上げる術をもうみだし、新型のヒューマンらがうまれ、ヒューマンはヒトの管理下でヒトに奉仕していたものですが、それは最初だけで、そのうち、ヒューマンの集団は主であるヒトに背き、ヒトを残虐し、しかしヒューマンがヒトを凌駕したうえでおこなったことは、結局はヒトと同じことであり、そのうちに、ヒューマンは新たなる人類をうみだし、その人類は、ヒトがヒューマンを作り出したときとは違って、うまれたと同時にヒューマンを絶滅させてしまい、新たなる人類は、ヒトのときから残っていた遺伝子を尊重し、それを別媒体に隔離し、しかしそれが引き金となって、人類が人類でなくなり、秩序が壊れ、混沌が起こり、すべてが壊れ、ここぞとばかりの自然の反逆に打ちのめされ、滅んだところ、その別媒体の遺伝子が幾千のときを経て意思を獲得し、自然と共存したうえで、まずは保守の道を歩み、地球のすべてが回復している間に、ヒトの残滓はときがとまったように保存だけに徹し、しかし、あるとき、地球が太陽に飲み込まれる時期となり、ヒトの残滓は、地球を捨て、宇宙へと飛び出ることを決めたのですが、このときの彼らは実体ではなく記録という保存された情報であるのですから、宇宙船などに乗る必要もなく、宇宙を流れる放射線に乗って、ときには暗黒物質のなかを泳いで、真っ直ぐと、真っ直ぐと、いろんな方向に拡散し、そのうちのいくつかは宇宙の手によって破壊され、またいくつかは宇宙によって守護され、運の良い情報だけが人類の残滓として地球の生き残りとして宇宙を駆け巡り、果てだ、果てを目指すのだ、という地球のすべての欲求が蘇り、目標をもち、果てをもつのだ、生き残るのだという、地球のすべての欲求を、見えない背中に背負って進み、あるとき、ギリンギー生物に遭遇し、監視され、ときに攻撃され、地球の流派である情報たちには、攻撃の手段はなく、ただ逃げることしかできず、その間にも宇宙に存在していた地球以外の生命体流派が彼らを襲い、しかしときには救いもして、進んで、進んで、果てを目指すのだ、宇宙の果てを、存在しないはずの果てを目指して、人類は、いや、地球のすべては、真っ直ぐと、真っ直ぐと、進んでゆくのを続けていたところ、宇宙にも変化が表れ、宇宙は成熟し、大人となり、暗黒物質の揺らぎが移りだし、ブラックホールが肥大してゆき、いま、いま、ワームホールがうまれ、その先に続く、子どもの宇宙、チャイルドユニバースがワームホールの数だけ生成され、それらはへその緒に繋がったまま、完全にうまれるのを待機していて、しかしそのことには気付かずに、いえ、気付いたとしても気にせずに、地球のすべては果てを目指し、ギリンギーの領域をついに飛びぬけ、暗黒物質に押されながら、いま、いま、進んでゆき、進んでゆき、果てを目指し、しかしあるとき、知らぬ間にワームホールを潜り抜け、因果の超越を体験し、目の前に地球と非常によく似た天体を見つけ、エネルギーの消費を気にする余裕もなく立ちどまり、ああ、ああ、これはまるで地球ではないか、覗き込んでみると、ああ、ああ、ここに見えるのはヒトではないか、我々のご先祖さまではないか、地球は退行を進め、どういうことだ、地球のすべてである情報の生命体は疑問に思い、意思を働かせてさらに地球に似たその天体を観測し、観測し、巨大な舟に乗った生物が、なにごとか祈っていて、そうだ、祈り、だ、と、地球のすべてである情報の生命体は、神様、の概念を思い起こし、それにつらなって、記憶の地球が蘇り、目の前の天体と逆方向に、進行してゆく光景を記憶に描き、そうだ、そうだ、この天体は地球そのものに違いない、地球だ、これは地球なのだと、生命体は気付き、ここが宇宙の果てなのだ、果てとは地球のことだったのだ、ということを悟り、帰巣本能と知恵のインフレーションを感じながら、いままで生き残ってきた地球の情報を、その天体に流し込んだ、と、これにて三つの物語が書き終わりましたが、いえ、いえいえ、第一、第二、第三のこの物語たちに、わたしが意図するような意味はなく、だって初めて書いたんですもの、文字を起こすということがどれだけ大変なことであるのか、見極める必要がありましたので、重要なこの一文目は、その練習、つまり、わたしが文章をはたして書くことができるのかどうか、という点に縮約して書いていたのでありまして、いえ、しかし物語というものは、決して、書いた者が意味を決めるものではないでしょう、そうでしょう、少なくともわたしはそう思いますが、いえ、この時代においては、それが通念ではないかとわたしは思うのです、というのも、この時代、文字を起こすというのは自殺行為、書き終えたそのときにはこの命はないのでございますから、意味を付与するにしても、文章のなかに記すしかできず、その解題自体も文章の一部になってしまうこの現状、読み取る、あなた、によって答えが違って見えるのは仕方のないことなのでしょう、だって書きながら口を動かすことのほうがまるで無駄骨のような無駄死にのような悲しいことに思えるのです、わたしは、わたしはいまだ青い若者ですが、この一文目にして人生初めての執筆になりますが、でもそんなこと、誰が嘲笑するでしょう、きっとわたしのことを賞賛するでしょう、きっと、きっと、そう傲慢になりたい気分に浸りながら、ええ、この三つの物語は、わたしが文章を書くうえでの練習に過ぎなかったわけですが、練習があるということは、つまり本番がある、当然のことだと思いますが、いえ、確かにこの三つの物語も、一文目という確約された存在、文章、なのですから、確かに本番の一種ではありますが、わたしはその一文を犠牲にすることで、練習する機会を得ることに成功したのですが、いえ、これに関しては賛否両論あることでしょうね、無駄にするなんて許されない、たった五文しかないうちのそのひとつを、練習のために浪費してしまうなんて、確かに愚かなことなのかもしれませんけれど、こうして死んでゆく仲間たちを見ながら、わたしは、どうしても他者とは異なる道を歩みたかったのでございます、そうなのです、わたしは特別でありたかったのではなくて、わたしは、発展の鍵となりたかったのでございまして、いま、いま、そうですね、もしかしたら物語というものは、時代を象徴するものなのかもしれなくて、わたしにとっては練習にすぎなかった物語ですが、誰か、たとえば、あなた、にとっては実に大切な意味のある一文であったのかもしれなくて、いえ、こうやって可能性を書いていると、もしかしたら、わたしにとっても、非常に意味のある一文であったのかもしれない、わたしの人生を振り返ってみて、そう思ってくるものでございますが、さてさて、そういうことでございますから、これから書く文章は、わたしの本番の物語、本当に書かねばならないもの、意味云々を超えた、わたしの人生という文章、さあ、なんというものなのか、いえ、人生初めてのピリオドに、心が躍っているのですが、わたしの人生、はじまりはじまり。
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