第二章 [目次]


  五
 しんねりとした木々は、暗闇になると一層生い茂ったように見える。特に今日は尚更だ。暗闇がそう見せているのではなくて、つまり、闇によって浮き彫りにされた光が、木々を陰湿に置き換えてしまっているんだ。
 限りなく花火は華やかだけれど、ぼくはそれより木々の姿を眺めていた。花火と、ちょうど反対方向に並んでいる、少しだらしのない木たち。たまに上がる花火の光で、ほんのりと枝葉が照りつく。その一瞬の間だけ、より一層、木々は暗く見えた。
 もちろん、花火も綺麗だ。肌をつく静けさを、花火がふっと払ってくれる。熱くはない。むしろ涼しくも感じられていた。
 丘の上のあの、人工的に均された土地。そこから見上げる花火たちは、咲いては枯れて、消えてしまう。
 花火が咲き乱れるその瞬間も好きだけれど、なにもない、ほの明るく真っ暗な空を見るのも好きだ。白い粉を零したみたいにまばらで、星ともいえない薄明かりが散らばっている。それがなにからくるのかはだいたい想像がついた。
 蚊が羽ばたくような音がして、そして一気に花開く。今度は三輪一緒にだ。
 ぼくは団扇を片手に、木々に囲まれて突っ立っていた。みんなは虫が嫌だと言って、自然味のない平地でもてあそんでいる。ぼくはちょうど、花火とともに、そこにいる他の人たちの様子も眺めることができた。……関澤さんを除いて。
 関澤さんが、ぼくには特別に浴衣を用意してくれた。思えばこの宿泊期間中、関澤さんとともに行動することが多かった。一番好感が持てるのは依然として坂松さんなのだけれど、仲良く遊んだ子というのは、案外、関澤さんなんだろう。ぼくは関澤さんとともに、変な関澤さんとともに、おかしな兄貴と社先輩を、これでもかと観察ばかりしてきたのだから。
 その関澤さんと、今は空を眺めている。たまに空は鮮やかに彩られて、それでもすぐについえてしまう。……だというのに、余韻は執拗に纏ってきている。心にぽっかりと開いた穴のように、花が埋め尽くしては消失していく。ぼくはその感覚が好きになって、それで、いつまでも空を眺めていた。
 ずっとここにいたい気持ちは、だけど居座ることもできなくて、花火は数十分もすれば終わる。そんなこと、いわれなくても知っていた。
「ねえ、関澤さん」
 ぼくは空を眺めたまま。関澤さんもそうだ。お互い顔を見合わせることもせずに、ぼくたちは会話を始めることにした。
「なに、寺本さん」
 空に見惚れていたからなのか、関澤さんはぼくのことを「由美」とは呼ばなかった。「寺本さん」と呼んだ。でも考えてみれば、ぼくも彼女のことは「関澤さん」と、上の名前でしか呼んでいないのだった。だけれどそれが妙に心地よくて、ぼくは言葉をしばし失って、言葉をふと取り戻したときには既に、空は静かになっていた。
「もうみんな、帰ったよ」
 関澤さんがそう話しかけてくる。あれからどれほどの時間が過ぎたのだろう。
 今日で宿泊が終わる。

 関澤さんと一緒にいると、なんだか、なにか懐かしい感覚に襲われる。昔どこかで会った、とか、そう質問できるほどの確信ではない。それにたぶん、彼女と会ったのは高校になってからが最初のはずだ。そういう意味ではなくて、なんだろう、彼女は誰かに似ているのかもしれない。誰か、というか、ぼくに? 
 関澤さんは、ぼくと同じにおいがするんだ。
 それにたった今、気付いた。
 関澤さんに会ったことはない。それは確かだ。ぼくはそう思う。だってこんな変わった子なら、きっと会っていたなら記憶していたはずだ。

「あ、ここにいたのか」
 社先輩が、木の葉を鬱陶しそうに払いながら、ぼくたちの領域、もとい林に入ってきた。
「うわ、なんだここ。虫多いな」
「多くないよ。ほら、どこも噛まれてない」
 ぼくは反論するけれど、腕にひとつ、小さな赤い点ができていた。おかしい。虫除けはたっぷり塗って、たっぷりばらまいたのに。……それを凌駕するくらい、ここは虫が多かったんだろうか。
「ほら、戻るぞ」
 社先輩が、ぼくの腕にできたものに構わず、ぼくの腕を取った。強引な人だ。宿泊の間に、だいたいこの人の性格が分かってきた。坂松さんとかが言うには、以前とはまったく異なるらしいのだけど。とりあえず、頭を打った後の社先輩は、強く、勇敢で、たくましい。
 昔の兄貴のようでもあった。
 似てる? ぼくは先ほど自分が思考した中に含まれていた単語を思い起こす。関澤さんと、ぼくが似てる? そうだろうか。ぼくはまだ、あまり関澤さんのことを知らない。ただ、変な子であるということしか分かっていない。なぜか兄貴たちに興味を異常に示しているようだけど、それだけだ。普通に可愛いし。
 共通点は、どこにある? ぼくと関澤さんの共通点。
 それが分からないのに、ぼくは似ていると判断した。においがどうのこうの言って。だけれど、それはただの錯覚かもしれない。
 社先輩に手を引かれながら、ぼくはそう考える。
 あれ? そういえばぼくは、なぜ社先輩に手を引かれているのだろう。ぼくと社先輩は、隣り合っていたとしても部屋は違うというのに。
 ……?
 それにそもそも、社先輩の足は宿のほうへ向かっていない。そんなことにいままで気付かなかったなんて……。
「おう、待たせた」
 兄貴がいた。社先輩の声に反応してぼくのほうを見て、そして目を逸らす。
「寺……由美。おまえに話しておくことがあって」
 兄貴が、改まったようにそう切り出した。
 その瞬間、ぼくは兄貴がなにを言おうとするのか分かった。二人のことだ。
 二人はもう唇を合わせるくらいの仲になっている。それを、ぼくにやっと打ち明けようというのだろう。
「わた、俺は階段で転んで、そこの……社と一緒に転がった」
 なるほど。それがきっかけだったんだ。
「そのときに……俺たちは……」
「やっぱり、だめだ」
 社先輩が口を挟んだ。
「だめだ。まだ……」
「まだ……」
 二人がぼくを置いて、少し離れたところに行って相談を始めた。もうとっくに気付いているのに、なにをそう隠し通そうとするのだろう。二人が付き合っていることを、隠す意味。それはなんなのだろう。
 ……あれ? ぼく、なにか間違えてる? ふと不安になる。
 兄貴たちが、ぼくを真剣な顔持ちで眺めた。とても悩んでいるらしかった。
「ねえ、兄貴……?」
「やっぱり、まだ言わない方がいい」
 そういう結論に至ったらしい。ぼくは気分を害したふうを装って、宿に戻っていった。夜ももう深いけれど、まだ明日宿を出る準備を終えていない。明日やっても別にいいのだけど。
 ぼくは関澤さんと似ている。ふと、そう思った。根拠はない。だけど思った。花火を一緒に見られてるのだから似ている。同じ人間じゃないか。わけわからないけれど、ぼくはそう思いながら、自分の部屋に戻るのだった。
 ぼくは……。

第三章