●PG12

 この作品は流血などの残酷描写や、倫理に反する表現、意図的な誤謬表現などを含んでいます。


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 三十分間の裁判の結果、舞たち五人は無罪ということになりました。舞とシェパードは遺体を食さなかったという点が、いい決め手になったのです。
 舞とシェパードを除く三人は、どこにでもいる普通の人間です。餓死を目前にした人間の、仕方のない行為だとして、賛否はありましたがそれ自体は罪になりませんでした。ただ、問題なのは舞とシェパードでした。彼らは能力者、いうなれば、さほど餓死の危険性がなかった者たちです。彼らが遺体を口にしていたのなら、それは死体遺棄・死体損壊の罪になるのは当然のことといえます。しかしふたりは否認しました。自分たちは食べていないと。
 それを裏付けるのも、案外難しいことではありませんでした。体を調べればよかったのです。食した遺体は、一般の人間と少々変わった特徴があったらしいのです。食べた三人には、その特徴による変化が見受けられていました。ふたりには見受けられませんでした。
 世論としても無罪が妥当だという者が多く、結果、船員たちは無罪となったのです。
 しかし。しかしです。船員たちは、食人の罪にとらわれなかったとしても、他に確実に背負うべき罪があります。
 密出国です。あのヨットはもともと、国外へ逃亡するために乗ったものでした。船員の誰もが、そうだったはずです。たとえば男は借金から逃げるため。たとえば荻本兄妹は、表面上では殺人の罪から逃げるため、実際は暗殺の不手際から生じる危険を一時的に回避するため。彼らは全員、出国の手続きなしに国を抜けることを企てていたのです。失敗に終わっても、計画して実行に移ったことに違いはありません。罪に値します。
 どれほどの刑罰になるかはまだ決まっていませんが(先の裁判で決まったのは、あくまでも食人に対する罪の有無ですから)、おそらく一年未満の禁錮刑になることが予想されます。密出入国の刑罰は、この国ではだいたいそれくらいです。
 そういうわけですので、舞はショッピングモールに来ていました。いえ、逃げ出したわけではありません。そんなわけありません。
 林檎の味が気に入ったのか、舞は前日訪れた果物店で、また林檎を買いました。紙袋で持ち歩くほどの量ではなく、林檎の数はふたつです。両手にひとつずつ持って、そのうちの片方を齧ります。
 その日は、平日の昼間だからなのか、人通りはめっきり少なくなっていました。舞はなんでもない日だと思っていましたが、もしかしたら前日は、なにか特別な一日だったのかもしれません。それくらい、前日とその日の華やかさには差異がありました。ですがそんなこと、舞はいちいち気にしません。ただ道を歩きます。
 後ろの視線に気を遣りながら。
 人通りが少ないというのに、彼らは以前と変わりなく舞についてきています。彼ら、その言葉が複数を表すとおり、舞をつけまわしているのはふたりでした。舞が感じとった人数と、同じです。
 林檎の芯を、路上のゴミ箱に投げ入れます。今度はちゃんとその中におさまりました。それを嬉しがる素振りも見せず、舞はペースを変えることなく歩きます。
 後方のふたりは、どうやら姿を隠すことをやめにしたようです。ずっとこのままじゃ、なんの進展ものぞめないからなのでしょう。前日はめげずに頑張っていたようですが、ストーカーにとってはそろそろ限界なのかもしれません。
 堂々と、舞の後ろをついてきます。路上のほんのわずかの人間は、そのふたりの姿を見て、みな顔を青くしました。そして近くの店に駆け込みます。ふたりの顔になにかついているのかもしれません。
 舞もさすがに気が悪くなってきて、つんと立ちどまりました。それに合わせて、後ろのふたりも足をとめます。
 舞は面倒臭いのかのんびりとした動きで、体ごと振り返りました。ふたりと対峙します。片手には林檎が掴まれています。まだどこも欠けていません。
 ひとりは、頭を金色に染めていました。少々鼻が高めです。右耳にはピアスがつけられています。鉄製の輪っかです。身長はだいたい、一八〇センチほどでしょうか。髪が複数の筆のようにそそり立っているので、実際はもう少し低いのでしょうけど。
 もうひとりの髪は、光を吸い込んでしまいそうなほど黒に染まっていました。真っ黒です。田舎の夜空から星月を攫えば、きっとこんな色になるのでしょう。身長は金髪の男と同じか、少し高いかというくらいです。きりっとした目をしていて、瞳がはっきりと窺えます。全体的に整った顔立ちです。
 舞は短く溜息をしました。それはわずかな動きで、ふたりが気付かなかったほど。
(この人たちだったか。面倒臭いな)
 ところで、店々からたくさんの視線が、舞に降り注いでいました。なるほど、もしかしたら、今日ショッピングモールの人通りが少ないのは、このふたりの着ている服のせいかもしれません。なにかついていたのは顔ではなく、ジャケットだったわけです。
 舞は知りませんでしたが、この町にはいわゆるヤクザの集団があります。犯罪によって基本的な生計を立てている連中のことです。
 ジャケットの背中のところと、肩のところ。そこにマークがつけられていました。ダーツのマークです。ダーツの中央から少し右にずれたところ、そこに赤い矢が刺さっていました。そしてそこから、まるで血液のように、青色の液体が流れ出ています。
 ヨットに乗る前、二人目と三人目の標的を殺めるため、舞たちはある建物に行きました。そこで標的に気付かれてしまい、失敗してしまったわけですが、その扉に描かれていたマーク。それがまさに、ふたりのジャケットのものと一致していました。
 というか、彼らふたりこそが、本来舞たちたちが殺める予定だった標的その二・その三だったのです。敵の出現に気付き、舞たちに銃を向けた人たちだったのです。
「荻本舞だな」
 黒髪の男が、低い声でそう言います。舞は音を立てずに頷きました。
「務所行きだそうじゃねぇか。そりゃまあ大層なこった」
 金髪の男が言いました。
 いつもならゲームセンターのあたりが騒がしいはずですが、どうやら今は稼動をやめているようです。ショッピングモールの中は、まるっきり静かです。聞こえるのはふたりの声だけ。舞たちの存在だけ。
 舞の手には林檎が。
「なんの用?」
 舞がそう言いました。心なしか苛立っています。そんなに林檎が食べたいのでしょうか。それなら食べればいいのに。
「あいつ、林檎持ってるじゃねぇか」
 舞には聞こえないくらいの声で、金髪の男はもうひとりに言います。
「今の彼女には、足手まといもいない。それにあの林檎。あれでも強力な武器になりえるかもしれない。勝つのは難しそうだ」
 黒髪の男が、そう返事をします。それも舞に聞こえないくらいのボリュームです。舞は眉をしかめることはせず、手元の林檎を見つめました。
「どうする?」
「焦ることはない。まずは足手まといのほうをマークしよう。病院のほうにいるはずだ」
(なにあのふたり。耳元で囁きあって。そういうのはふたりっきりのときにしてほしいんだけど)
「よし」
 金髪の男が頷きます。結論でも出たのでしょう。
「んじゃ」
 金髪のその声に合わせて、ふたりは舞に背を向けました。そそくさと帰っていきます。
 ふたりの姿が完全に消えてから、店々から人々が顔を出してきました。舞に奇異な視線を送ってきます。
(で、なんだったんだろう)
 舞は疑問を抱きつつも、人目を憚ることなく林檎を齧るのでした。握力のせいなのか、それは濃厚な果汁です。


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