●PG12

 この作品は流血などの残酷描写や、倫理に反する表現、意図的な誤謬表現などを含んでいます。


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 次の日、舞はまた果物店に赴きました。今日も昨日に引き続き週末です。ですが朝のショッピングモールには、あまり足数はありません。みな、休日の朝は眠るのに忙しいのです。
 昨日の店員はいませんでした。他の見知らぬ店員が、レジで会計をおこないます。
 紙袋を持って、病院の中に入ります。道中とは違って、そこはもう人がたくさんいました。ほとんどが高齢の人です。中にはどう見ても元気そうな人がいます。老人の痛みは外見だけでは分からないのかもしれません。壁に組み込まれたデジタル時計を見遣ると、十時二十一分となっていました。
 総合案内というところに、舞は近づきます。見舞いには手続きがいるのです。手続きはあっさりと完了し、舞は病院のある階へと上ります。エスカレーターは休むことを知りません。
 病院は、その中心に透明の柱を立てていました。一階から最上階まで届く空間です。エスカレーターはちょうどその真横を沿っています。柱の一番上で、白い鳥が踊っていました。病院の中央を陣取る空間に、紙でできたらしい鳥形が浮かんでいるのです。糸に吊るされているのです。
 それを見て、舞はどことなく不気味な気分に襲われました。この病院は、いえ、どこの病院もそうなのでしょうが、元気じゃありません。元気そうに見える老人が集合していることからも分かってしまいます。静奈の泊まるこの病院には、元気がありません。
 エスカレーターは目的の階にまで舞を運びます。一度で行けるわけではなく、一階上がるごとに舞は、廊下を通って反対側にまわらねばなりませんでした。しかしどこのエスカレーターでも、吊るされた鳥形は視界に入ってしまいます。飛ぶことができないのに飛んでいる鳥。空っぽの、まるで柱のような空間に浮かぶ鳥形は、舞にはそうとしか見えません。元気がないのです。
 紙袋を、ぎゅっと抱きしめます。果物がつぶれないように配慮するだけの精神的余裕はあります。こぼれないように加減するのも、忘れはしません。ただし、そもそも紙袋にはこぼれるほどの量は入っていないのですが。
 林檎も入っていません。
 目的の階に辿り着きました。舞は紙袋を持つ腕に意識を送り込みながら、足を動かしていきます。先ほどまで機械が送り出してくれましたが、ここから先はそういう相談ではないのです。
 病室の扉は閉ざされていました。扉には静奈の名が記された小さな紙がつけられています。舞は紙袋を片手に持ち直して、それからノックをしました。
「どうぞ」
 扉越しでも、その声は聞こえます。舞は扉の手すりを握りました。紙袋は片方の腕に、だらんと支えられています。だけれどその紙袋は、逆に舞を支えているようでもありました。舞の腕を引っ張って、崩れてしまわないようにしているように見えます。
 扉を引きます。意外と扉は軽く開いて、視界に光が注がれました。病室の中は、廊下よりも明るく照りついています。その中で静奈の顔が霞んで見えました。
 舞は近づいて、無言で紙袋を差し出します。静奈もそれを、なにも言わずに受け取りました。左腕だけで受け取れるくらいの、痩せた紙袋です。静奈は自分の胸元にそれを置いて、左腕で中身を確認しました。ありきたりな品々です。それでも品質は自信のあるものです。舞は気分を押し殺して静奈の様子を見つめます。
 蜜柑の皮を器用に剥いて、固まりのまま、口で欠片ずつ食べとっていきます。左手のリストバンドがいちいちちらつきました。舞は木偶の坊のようにじっとして、目を逸らすことを分かりません。静奈はあっという間に蜜柑を食べ終えて、葡萄の粒を皮ごと口に放っていました。舞に分けてあげるつもりはないようです。それでも、欲しいという気もなしに、舞は静奈の食べている様子を眺めます。
 窓から光が差し、ついでに室内の灯りもついています。それらがふたりを照らします。舞の顔を掠めて、静奈の顔を撫でて。
 扉を引きます。廊下はやはり、静奈の個室よりも薄暗いようです。廊下に出たらちょうどそこで、椋木さんと鉢合わせました。椋木さんは、茶色い紙袋を持っています。舞が不思議そうにそれを見つめているのに気付くと、椋木さんは、果物が入っているのだと教えてきました。舞は愉快な気分になって、今度はしっかり笑いました。椋木さんの不可解そうな表情も笑いを誘発していました。一層、椋木さんの不可解そうな顔が深くなっていきます。
 舞は手元の紙袋を椋木さんに示しました。病室で、果物すべてを食べきったあと、静奈が押し返してきたものです。自分の持っているものと同じ、茶色い紙袋を目にして椋木さんも笑います。
 ふたりが声を出して笑ったので、通り過ぎた看護婦さんに注意されました。椋木さんは自分の紙袋を舞に押し付けます。受け取れというのです。
「え、でも。あ、いえ、貰います」
 どうせ静奈は食べたのです。これ以上食べても、余分なカロリーになるだけでしょう。いくら果物が代謝によくても、食べ過ぎては意味のないことです。そういうことですので、舞は椋木さんから果物を貰いました。
「さあ」
 仲直りはできたのかという質問に、舞は曖昧に答えます。なにせ病室の中では、ふたりとも一言も言葉を交わさなかったのですから。光に包まれた空間の中で、ただ無言でコミュニケーションともいえないコミュニケーションを築いただけです。果物という、紙袋という媒体をもって、会話のない関係を繰り広げました。
(明日も、ここへ来よう)
 舞はふと、そう思うのでした。
 昨晩は結局、椋木さんの家に泊まることになりました。公園のベンチに布団まがいの布切れを敷いているところを、椋木さんに目撃されてしまったのです。親子でないくせに、妙に照らし合わせたような静奈たちです。
 時間をかけてもいいから、静奈が退院するまでには仲直りをしないと。そうでないと、今度こそ泊まる場所を失ってしまうかもしれません。経理係の兄がいない今、殺し屋の職業を続行することはできません。それなら居住地を転々とする必要もなく、だから居住地が必要となってくるのです。
(あ、そうだ。そういえばもうすぐ私、逮捕されるんだっけ)
 他人事のように思っている自分に気付きます。なぜだかは分かりませんが、それに対しては心配しなくともいいような気がするのです。
 椋木さんが病室に入るのを見届けてから、舞はエスカレーターに足を踏み入れました。やはり空っぽの空間に、鳥形が結わえつけられています。
 舞はふと思いついて、ふぅ、と空気を乱しました。ささやかな悪戯です。ぐらぐらと鳥形は揺れて、弱った糸はあっけなく切れてしまいました。一階の床へ落ちていきます。紙でできているからでしょうか。ゆっくりと、それでも着実に。
 一階にいる人たちが沸きました。舞は愉快になって、あまりおかしく思われないくらいに笑います。愉快でした。とても愉快でした。
 紙袋の底に穴が開きました。


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