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スライムの回転について

*一


 本来、スライムが単体で行動を起こすことはない。スライムは常に群れになって行動する、というよりも、群れになることでひとつのスライムが形成されるのだ。動物は「意識」を有するというが、動物の定義に当てはまらないスライムに、動物らしい「意識」は存在しなかった。いや、意識そのものはスライムも有しているのだ。ただ、それは集合的無意識ならぬ「集合的意識」とでもいうもので、彼らは複数の個体で物事の認識や思考を共有していたのである。
 群れになることでひとつのスライムが形成される、と述べたのは、スライムが限りなく低い知能の生き物だからである。これがもし知能の高い生き物であるのなら、同一の意識を有していることを活用して、驚異的な威力を発揮したことだろう。種が全滅しない限り集合的意識のなかで保存される情報や、複数の感覚器官から認識するために洗練される外界への処理能力、そういった利点は他を攻撃し己を守る自然界の鉄則において、とても大きな力をもって台頭したはずだ。
 ところがスライムはそうではない。彼らはただ単に虚弱だった。集合しているというのに孤弱の生命であった。有体に言って「ザコかった」のである。まるで自身たちの能力を活用することもせず、ただ能無しに人々に飛び込んでくる姿は、畦道を跳ねる蛙のようなものでしかない。煩わしくはあれど脅威になることは皆無だった。
 スライムの体は酸性の体液と、それを覆う粘膜によって構成される。中枢器官のようなものはない。ただし幾度かの解剖と観察の結果、体液は常に体のなかで対流電流を起こしていることが明らかになった。粘膜が動くことによって粘膜の内側に張り巡らされている襞が電荷を帯びる。その帯電された電気が運動することによって、体液を占める過酸化水素水中のイオンが電気伝導を引き起こす。このときの電流によって、脳のないスライムは物事を認識しときに微弱ではあるが思考するのである。
 スライムは楕円体である。これは宇宙が楕円体(回転楕円体)なること、またこの地が楕円体なることと密接な関係があると思われる。万物は楕円を基調として創造された。たとえば鳥の卵を見てみると、それがよくわかる。鳥はその性質上木の上など高い所で卵を守る。そのほうが外敵からも卵を守りやすいからだ。しかしもし卵が完全な球形をしていた場合、卵は容易な振動で転がって、地上へと落下してしまう。またもし卵が直方体に近い形をしていたのならば、産み落とすことも、中で雛が成長することも困難なことになってしまう。もちろん、原初の鳥がどうであったかはわからない。もしかしたら元々は球形だったり四角かったりする卵も存在しており、自然選択の結果滅んでいったのかもしれない。しかしそうだとしても、最終的に現時点まで生き残ってきた形質は楕円形なのであり、それが自然の基調なのだといっても他の形質と比べればなんの差支えもないはずだ。
 話が少し逸れてしまったが、要するに、スライムもまた自然の恩恵を受けて生を享受している生き物なのだ。その姿は小宇宙だ。あの青い粘膜のなかには、宇宙の結晶がつまっている。もちろん一概に丸いことばかりに捉われる必要はない。人間もまた楕円体の恩恵を受けた生物であることは間違いないのだ。しかし「人間側からの」認識とすれば、人間よりもスライムのほうが楕円に近いのは、言うまでもないことである。
 前置きが長くなった。本題はここからである。
 それは、流星群がきれいに観測できる日のことだった。筆者は自前の望遠鏡を持って、公園の半球の遊具のうえで流星群の記録をとっていた。とめどなく視界を惑わす流れ星たちを観測する。一世一代の天体ショーだった。国中で騒ぎになり、仕事もどこも休みにだっただろうから、記憶に残っている方もいることだろう。
 星に気を取られて気づかなかったが、いつの間にか筆者の近くには人影があった。女性の姿をしている。彼女は空ではなく、筆者の顔を見つめるばかりで、どこか不気味なものを感じる。観測中だというのに気が散って仕方がないから、筆者のほうから彼女に声をかけた。
「空は見ないのですか」
 それはあるいは、他者にとっては己もまた他者であることを失念した問いかけだったかもしれない。彼女が筆者のほうへ顔を向けていたことは確かだが、彼女が筆者を見ていたか否かは、つまり彼女が「意識」を向けていたか否かは、他者である筆者には確かめようがないのである。そして事実、彼女はその問いかけを無視した。気を改めて天体観測を再開するも、気恥ずかしさが邪魔をしてなんともうまくいかない。彼女もまた同じところに佇んで、やはり空ではなく筆者の顔ばかりを見つめている、ように見える。
 もともと短気なたちである筆者は、そのまま我慢しつづけることは到底できなかった。
「ちょっとさっきからなんなのよ!」
 丁寧語もなにも放り投げて、筆者は彼女の胸ぐらを掴んだ。そして後悔した。
 その後悔はなにも、道徳心からによるものばかりではない。いや、むしろこういう状況のときの筆者に道徳心なんてものはなかった。
 掴んだ手が、急にかゆくなったと思い、なんだか懐かしいなと思えば、焼けただれていたのである。
 ただれた手に意識を集中しているうちに、彼女の姿は見えなくなっていた。どこからか笑い声が聞こえる。もしかしたら空耳かもしれない。望遠鏡が音を立てて崩れて壊れた。
 それが筆者と「人間型スライム」との、最初の接触だった。
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