一時限目――理科――の授業。
今朝の男は、いつのまにか消えていた。
もとからそこにはいなかったかのように。
太古の昔から存在の認知さえしていなかったというように。
男は、いなくなっていた。
でも、学校へは来た。
逃げ場が欲しかった、この現実から。
そんな理科の授業。
担当は天辺。
一年生は1分野2分野の区別がないから、今は地学――地震とか――の内容だ。
にしても、天辺はいつにも益してニヤニヤしている。
なんだかんだ言ってもこいつの授業分かりやすいんだよな……。
一時限目終了の合図が鳴る。
まぁ、言ってみればただのチャイムだけど……。
というわけで、天辺はさっさと教室を出る。
ここで何事もなければいつも通りなんだが……。
運命論。
ひとは――というかすべての物質・物体は――どう足掻いたところで、どう寄り道したところで、結果は決められたことになる。
運命はささいな一瞬一瞬の違いによりどんどん世界が枝分かれしていき、それにより運命は自分で切り開くものである。
代表的なのはこの二つだろう。
前者は、いってみれば登下校。
家を出て、どう寄り道したところで、遅刻しようがしまいが結局は学校に着くことになる。
後者は、いってみれば……いい例えが僕ごとき知能では浮かんでこない。
いや、そもそも「運命論」というのは原因があれば結果があり、その原因が同じなら結果も同じになるというもの。
すなわち、もとから定められているということ。
まぁ、いってみれば僕は使い方を間違った。
というのが通説だが、あるいは「運命論」の概念自体が誤っているのかもしれない。
次に、因果律。
なんとなく通説に沿って説明すると、全ての出来事には何か原因があるという。
さて、なぜこう長々と面倒臭い知識を述べたかというと、物語を運命性・因果性で見てみると、どちらかというと因果になるのかな。と、思ったからだ。
それとも、さっき述べた例えの出なかった説が一番合ってるかもしれない。
物語は、作者の気分で変わる。
すげっ! 今の意外とすげっ!
と、いうわけで。
教室を出た天辺武雄先生がくるりと向きを180度かえ、ドアを開け、
「お~い、井上。ちょっと来い」
と、言った。
だから、僕のことは井上と呼ぶか雄二と呼ぶかいいかげん決めて欲しいんだけど……いや、僕を呼ぶな。
「はい」
しかたなく、そちらへ向かう。
「お前の家、また変質者が出たらしいな」
「…………ずいぶんと情報がはやいですね」
いや、おかしい。早すぎる。
「で、そうなんだろ?」
「は、はい。そうですけど……」
「で、最初のほうの変質者(ブロントたちのことだ)はどうしたんだ?」
「さぁ」
「おお、そうかそうか。ははは。それは愉快だ。ありがとう。もう戻っていいぞ」
いつものように席に早々と戻る、そうしたいところだが。
「どこで、それを耳にしたんですか」
僕は、訊いた。
「……ふん。見たんだよ。この目で」
「…………そうですか。失礼しました」
いちおう言っとくと、「天辺武雄の奇妙な行動」part3。
そのころ雄二の家でブロントは――
「はぁ、結構なお味で」
僕の母が淹れたお茶を堪能していた。
……のんきだな。つぅか、馬鹿だな。
([32]へ続きます~~~)