第ゼロ章


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第一部←

コギト・エルゴ・スム


* パソコンの中の草原

 勝つとは、現実を受け入れるということ。
 少年は草原の上に倒れていた。主人公は少年を眺めて、はたと、ここが物語の中であることに気付く。でもここは、主人公の物語ではない。主人公は本来、傍観することもできないはずの存在だ。じゃあ、自分のいるべきところはどこ――? 主人公は、考えた。他の物語にいる存在は、宇宙みたいに、その他の物語に介入することもできなければ、観測することもできない。
 主人公はまだ生まれてないんだ。考えて、そう分かった。まだ自分のいるべき物語が存在しない。だから、自分と関係のない物語を、そこの倒れている少年を、眺めることができるんだ。
 主人公はあたりを見渡した。向こうに、髪の毛が緑色の女性が立っている。なにかを探しているらしく、背の高い草を掻き分けていた。
 主人公はそこを立ち去った。

* 夢

〈語り部〉という存在が、火星文明のあのふたりの言うとおり、すべての観測者を内包しうる者だとしよう。そうしたらね、きみは疑問に思うだろう。なぜその〈語り部〉を、作者は作り上げることができないのかって。ふたりはそのことについて、具体的には触れなかったからね。いや、それも仕方ないことなんだよ。なにせあの晩が、最後の夜だったのだからね。ところで、観測者とは誰のことだろう?……そうだね、きみのことだ。きみは主人公なのだから、小説の中で、物語を観測する役割を担っている。だけれど、観測者はきみだけではないんだ、小説の中だけではないんだ。小説の外……そう、作者も、読者も、実は観測者に含まれるんだよね。言葉が完全に伝わらないのは、みんながそれぞれで観測しているからだよ。ストーリーとナラティブの違いも、そこに現れる。ところで、ある存在が指摘したとおり、ふたりの会話では、小説と詩の区別がつかない、という欠陥があったね。でも、そもそも、小説と詩の違いはなんなのだろう。ここでは、形式的に考えていいよ。小説とはなにか、詩とはなにか、という言説を引き合いにしたら、とてもではないが、人間の一生程度では充分な答えは出ないだろうから。……いやね、小説のなんたるかを知りたいのなら、とてつもない努力と時間が必要になるもんなんだよ。詩もそうだね。千や二千やを超えるくらい読んで、百も二百も書いてみて、それでようやく、おぼろげに見えてくる。もちろん、数値で測れることではないけれど……だからね、この場合、小説と詩はそんなに突き詰めて考えなくてもいい。純粋に、小説というのは、詩というのは、という問題を、形式的に、まず答えてみよう。そうだな……大抵の人なら、こう答えるんじゃないかな。あくまでも私見だけれど。「散文」と「韻文」って。そう答えるんじゃないかな。もちろん他にも考え方はあるけれど、これを一般的な、小説と詩の違い、として考えてみよう。これが、火星文明のあのふたりの会話では、認められなかったわけだ。小説とは叙述のことである、とはまたよく言ったもので、詩だって叙述して生まれるものさ。虚構?……そうか、きみはそこに考え至るのか。でもね、詩も虚構に変わりはないんだよ。よく勘違いされるけどね、詩の語り部と作者は、別人だ。主人公と言い換えてもいい。小説の主人公が、作者と異なる人生を歩んで、作者と異なるストーリーに暮らしていることは、誰だって理解できるのに、こと詩に至っては、それがよく分かっていない人がいるらしい。もちろん、小説の時点でそれを理解できていない人だって、いくらもいるけどね。そもそもね、小説と詩に、どこまで決定的な差異があるだろう。ないんじゃないかい。韻文を破った詩もある、韻文で作られた小説もある。……たとえば古典をごらんよ。韻文的な小説、という立ち位置はもともとあったものなんだ。小説、という言い方ではなかったけれどね。小説も詩も、この時代の中では、さほど差異はないんじゃないかい。思うんだけどね、今、小説と詩は、融合、回帰の時期に来ているんじゃないのかな。そもそも、文学は、巫女やなんやらが神と会話する儀式から始まったんだ。音楽とともにね。いや、それだけに限っているわけではないよ。文学にも、流派というものがあるからね。今は、きみともっとも関連の深い流派――その文学について言っているんだ。時代が進むごとに、音楽と文学が分離して、そこからさらに文学は、韻文と散文に分かれた。……そうだな、時代が進むごとに分化してゆく、そう考えるほうが自然だから、回帰という言い方は拙いかもしれない。小説、詩、そして、さらなる融合されたジャンルが生まれる時期に入っているのではないかな。小説と詩を融合し、そのうえで、古典に回帰するでなく、革新的な、文学の形態が。そろそろ生まれるときとなっているのではないかな。……いや、具体的にどう、と言われると、まだ困る。まだ模索の段階さ。ともかく、〈語り部〉の話に戻るけど、この〈語り部〉という存在は、小説に限った話ではなく、詩にだって、文学のオールジャンルにおいて適用されると考えられるんだよ。〈語り部〉が付属するのは、小説、ではなくて、叙述すること、のほうだったんだよ。会話のふたりも、言っていただろう?――〈語り部〉は叙述の「主体」だって。叙述の主語さ。するもの、そのことだ。作者は、自分が文章を書いている錯覚に囚われるし、実際に書いているのは作者で合っているのだけれど、こと、叙述しているのは作者ではない。〈語り部〉なんだ。小説の集合的無意識、ね。正確に言うなら、虚構の集合的無意識だ。あの会話は、小説という考え方に囚われていたようだね。確かに、彼らが見ていた未来が、ちょうどこの時代のあたりだったのなら、詩は少し劣勢にあるようだからね。詩は小説ではないのだけれどね、最近は、詩を小説の一ジャンルだと思っている人もいるらしいよ。まあ、それはそれで、時代の先を行っているのかもしれないけれど。詩が大好きな人にとっては、それは耐え難いことなのかもしれないね。まあ、人の心なんて、知ったように語っていいものとは思わないけれどね。人の心は宇宙みたいに、他者の介入を許さない。きみの心だけが分かるもの、それがナラティブというものなんだ。――さて。では、模索段階ではあるけれど、文学のその発展のために、どんな案があるのか、〈語り部〉に絡めて、いくつか並べてみようじゃないか。

* ぼくっ娘が登場する物語 その1

 主人公が目覚めるとそこはバス停だった。閑静なところで、ベンチがふたつ並んでいるだけだ。みすぼらしい花が咲いている。なんとも色褪せたようなところで。
 しかし、ただ主人公の隣一部分だけが、活気に満ちていた。
 その人は、両耳にイヤホンをつけて、音楽を聴いていた。大音量だ。旋律が主人公にまで届いている。耳が壊れないのだろうか。主人公は、純粋にその人の健康を案じた。
「ねえ」
 ふいに、その人が話しかけてくる。主人公は口を閉ざしたまま、ここがどこだか考えた。
「……ねえ」
 大音量が途絶えることはない。気が紛れる。
「ねえってば!」
 主人公は自分の耳が痛くなるのを知覚して耳を押さえた。その人の声量がのしかかる。
「ここはどこだ?」主人公は、その人に訊いてみた。
 その人は、イヤホンを耳から外すこともせず、「ここは町。創られた町」と答えた。
 主人公が返事をしようと考えていると、その人は、両耳からイヤホンを取り外して、それを主人公の両耳に付けようとした。主人公は恐怖を感じた。聴いてはいけない。その歌を聴いてはいけない。
 主人公は立ち上がって、花を踏み潰した。空に穴が開いた。

* ぼくっ娘が登場する物語 その2

 炎が拡散する。走る。少年は走る。光線銃はもう使えない。焼ききれた。血が滲む。残る銃声とのびる足音。
 オレンジの光。ブーツの稼動音。少年の背中に痛みが走った。思うよりも速く。感じるよりも速く。背中をつきさす相手の足を、後ろ手に掴んだ。同時に廻る。ぐるぐる廻る。地面が分からなくなる。相手が短く息をついた。その顔を蹴り上げる――顎に入り。崩れてく。離れてく。血が滲む。落ちてゆく。
 先に地面に着いたのは少年だった。地面の感触を足の裏に感じる。そして走った。相手のほうへと。相手も起き上がる。唇に血。少年がまだものにしていない唇。
 炎が拡がる。柱が蝕まれてゆく。少年の足跡に汗が。飛び散って。膝が笑う。軋む。揺れる。走る。向こうからも走る。鋭い目。鋭い口。鋭い心――情報体がぶつかり合う。混ざる。
 相手の手刀が腹に入った。それでも進む。指の折れる音。相手を案じる余裕はない。首を掴もうと手を伸ばした。かがまれる。腹がへこんで足が出ない。逆に掴まれて。倒れて。相手が少年にのしかかって。
「ははっ」と、少年は嗤った。喉が焼ける。相手――茶髪の彼女は、少年の首元を押さえていた。
 不思議と意識は明瞭だ。彼女の顔がよく見える。彼女は泣いていた。涙を流していた。少年の頬に落ちる。その弱弱しい彼女の表情が、少年は好きだった。「裏」にいるにも関わらず、「表」に気持ちを出し続ける彼女が。少年は好きだった。
 少年は、彼女の手に力が入っていないことに気付いた。指が折れているから、押さえるだけで精一杯だったようだ。気づいたところで、どうするつもりもなかった。頬を伝う。血が流れる。
 不死身の原理が、情報体による書き換えだと判明するやいなや、組織が出した答えはこれだ。好きだという少年の感情に忍び込む。なんて残酷で、冷淡で、愛おしいのだろう。
 彼女の茶髪が炎に照らされて、輝いて見える。その髪を撫でて、引き寄せて、抱きしめてしまいたい。けれどもそれは叶わない。
 せめて、その涙を拭いとってあげたい――。少年は腕を持ち上げようとした。彼女に踏まれていて到底無理だった。
 涙が蒸発して頬が傷んだ。

* 愛知・名東区

 つまらない。主人公は、そう思った。人はそれぞれ自分の居場所がある。あの燃え盛る物語は、生まれる前であっても、主人公がいるべきところではなかった。
 坂の横に小学校が建てられている。上でもなく、下でもなく、横に。坂を上りながらも校舎は地面と平行して構えている。花が咲いていた。主人公はそれを摘み取って、茎の部分を口にくわえる。苦くて甘い蜜の味。
 坂を上った先にはなにがあるのだろう。

* ぼくっ娘が登場する物語 その3

「やあやあ、いらっしゃい」女性とも少女ともいえる外見をしている。「はじめまして、のようだね。ぼくはきみが来ることを、ずっと前から知っていたよ」
 ここは暗いのか、明るいのか。目に入り込む情報が、曖昧だ。
「紅茶、飲むかい。それともココア? なんだって揃っているよ」
 室内であるという実感はあった。しかし、それが本当に正しいのかどうか、自信がない。主人公のその顔を眺めて、女は小さく口の端を持ち上げた。
「ここはどこだろう、って。そんな顔をしているね。ぼくには分かるよ。きみの考えていること、思っていること、ぜんぶ分かるよ」
 それが本当なら、自分がなにを思っているのか、教えて欲しい。主人公はそんな感想を胸に抱く。自分が自分で分からなくなる。
「きみは主人公だ。だけれど、ここの『主人公』ではない。分かってるよね――きみは可愛い可愛い胎児だよ」
 言葉がすうっと流れてゆく。主人公は、彼女の言葉を聞き取ることはできても、理解することはできなかった。言葉の意味は分かる。けれども言葉と言葉の意味が、組み合わなかった。主人公は自分の体が震えていることに気付く。
「ここは危険だ。きみはそう感じとっている。安全だけれど危険――どこかの衛星で誰かが思ったみたいにね。場違いなんだよ」
 途端、主人公はそこにはいなかった。同時にどこかにいた。主人公の意識が、主人公の体を探す。そしてその瞬間には、自分はここにいる、という実感を知覚するのだ。
 アパートだ。二階建て。主人公は扉の前にいた。二〇二、と記されたプレート。それと、少し大きめの表札がかけられている。二文字の漢字が並んでいたが、主人公はそれを読むことはできなかった。
 主人公はドアノブを握る。扉は簡単に開いた。不気味な音が広がる。中に入った。短い廊下と、その先にまた扉。廊下の向かって左側に、引き戸がある。主人公は一歩踏み込んで玄関に上がった。
 玄関を踏んだその瞬間に、空間がまた変わっていた。主人公もそれに気付いた。視界に変化があったからだ。廊下の左側、引き戸だったところに、ドアノブがついている。窪んでいた取っ手が突起になったのだ。主人公は慌てて玄関から出て、入口の扉を確認した。プレートは一〇一となっていた。
 あたりを見渡す。どうやら先ほどのアパートと同じ場所のようだ。二〇二号室と一〇一号室――。
「きみは今こう思っている。なぜ同じアパートなのに、内装が異なるのだろう、と」
 主人公の背後に、さきほどの女がいた。
「おまえは誰だ」
「誰? そんな質問はする必要がない。きみはこの物語とは関係のない人物なのだからね。知ったところで無意味だ。ただまあ、無意味なりに返答しておくとするなら……、この物語はまだ完成されていないのだから答えられない、とでも答えるべきなんだろうね。ピリオドの打っていない一文なんて、詩の表現だけで充分だ」
 彼女がなにを話しているのかは分からなかったが、分からないということは主人公にも理解できた。
「それに案外、ぼくだってもしかしたら、このアパートとなんの関係もない――『主人公』なのかもしれないぜ?」

* 大阪・天王寺

「一人称の場合はね、『主人公』は『主人公』であるのと同時に、語り部でもあるべきなんだよ」
 改札を抜けた先にまた改札があった。人だかりができていて、なにごとだ、と思ったが、ただ信号を待っているだけだった。主人公は歩道橋を歩くことにした。男がティッシュを配っていた。
「語り部を表出する――分かるかい? 文学の発展において、作者が目指した試みはそれだ。観測者を観測する者。宇宙を見下ろしているようなその存在を、掴み出して、引っ張って、読者に意識させる。そうすることで、作品という枠におさめてしまう」
 主人公は、歩道橋にも人だかりができていることを知る。歩道橋といってもそこは広い。待ち合わせでもしているのだろうか、数人の若者がたかっていた。
「隠れている語り部を表出するために、作者はいろいろ試したみたいだよ。そのうちのひとつが――ぼくっ娘だった」
 若者たちはげらげらと笑っている。最近の若者はすぐ笑うなァと、道行く初老の男が心中で毒づいていた。
「ぼくっ娘とか僕っ娘とかボクっ娘とかぼくッ娘とか僕ッ娘とかボクッ娘とか穆っ娘とか――分類はいくつかあるけれど、どれもきっと可愛いよね。可愛いは正義なのだよね」
 さきほどから、人間が主人公の傍について離れない。それで意味の分からない言葉を吐き続けるのだから、主人公はこの人間が嫌いだった。
 その人間が、若者の集団を指で示す。いや、指しているのは集団というよりも、そのひとりの女の子だ。
「あの子は僕っ娘だね。とても可愛い。正義だ。だから周囲の他の女の子たちは、自分が悪である事実を嫌でも突きつけられている」
 集団のひとりが、その人間の指に気付いた。なにあのひと、武田ちょっと話しかけてこいよ、はぁなんで俺やねん。若者たちがまた笑う。中年女性が露骨に顔をしかめた。
「ぼくっ娘とは男女格差の足跡だ。時代が進んで、本当の意味での男女平等が訪れたとき、現実(リアル)におけるぼくっ娘は消滅するかもしれない。しかし作品の中に、時代は保存される。その叙述を担う語り部が、ぼくっ娘自身であるというのは、保存という観点において最適なんじゃないのかい。語り部は差別の権化にもなりえるのだからね。虚構における集合的無意識を叙述する、現実(リアル)のそのぼくっ娘。それが魅力的で、可愛くて、正義なんじゃないか。人間そのものが虚構たりえる。人々の無意識を動かすのは、自然災害ではなくて、人間そのものなんだ。ぼくっ娘はその一部を担っている――表出された語り部なのだよ」
 その僕っ娘だという女の子は、主人公の目では、集団に溶け込んで、一緒に笑っているように見える。どこにも正義や悪などという影は見当たらない。
 歩道橋を渡りきる。ずっと隣にいた人間は、いつのまにやら見えなくなっていた。
 本当の意味での平等――それはどういう意味だろう。本当とはなんだろう。そんなに大それたことなのだろうか。それとも主人公が考えているより、ずっとちっぽけなものなのだろうか。
 あの女の子を、そんな分かったふうに論じてほしくなかった。枠組みに入れて定義付けないでほしかった。可能性を閉じ込めないでほしかった。主人公にとって、あの女の子は、見知らぬ他人にすぎなかったが、それでもそう思った。
 それは、先ほど話しかけてきたその人間が、嫌いだったためかもしれない。
 主人公は考える。

* オレンジジュースの中

 甘い雨が降る。どしゃぶりだ。
 人々は傘を差さずに歩く。
 口を開けて空を仰いだ。
 甘い、甘い、オレンジジュースの味。
 この中で主人公は、なにを残してゆこう。
 なにをして生きてゆこう。

* レールの上

〈時間だよ――〉
 レールの上を歩く。線条を強く蹴った。重たい靴が、バランスを崩して保つ。
 語り部なんかに、負けてたまるか――。胎動を繰り返して、主人公の先天的な無意識が蓄積されてゆく。勝つとは、現実を受け入れるということ。認識するということ。考えるということ。
 主人公の姿が予定される。主人公の声が予定される。主人公の心が予定される。主人公が作り上げた集合的無意識をもとに主人公が形成されてゆく。
 レールの上を歩く。線条の上を。靴を脱ぎ捨てた。
 物語が、始まる。

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© 2013 Kobuse Fumio