地球少女探査録


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一‐エウロパ・イオ



プリイザヤ紀元一七年 〇〇一〇度

 地球外生命体の存在する可能性が火星の次に高く、そのうえで地球から最も近い天体として、まず専門家たちが目をつけたのはガリレオ衛星だった。木星の周囲をまわる幾多もの衛星のうち、特に大きい四つの天体は、古くから生命体の可能性が示唆されていたものだ。
『――こちら国際宇宙ステーション、貴下の着陸を確認した。こちら国際宇宙ステーション、貴下の着陸を確認……。調子はどうだ』
「良好ー」
 彼女はぶっきらぼうに答えた。指示官の抑揚のない、場慣れしていない様子に腹が立った。それと同時にほほえましくも思い、場をほぐそうとも考えたうえでの発言だった。
『指示を与える。これより貴下はエウロパを徒歩で巡回、それと併行して生体反応の探査、ならびに――』
「わかったわかったよ! マニュアル通りってことでいいんでしょ。いちいち繰り返さなくてもわかるよ」
『いいや、齟齬がないか確認するために、繰り返すことは大事なことだ』
「真面目だね、新入りさん」
『はっ。なんだ俺より任期短いくせに……。俺だってこの仕事に就くために毎朝のトレーニングと最難関の国際試験と』
「……わかってないなぁ。あのね、きみは私の暇つぶし相手なの。長官にでも訊いてみれば? 私の指示でね、おしゃべり相手がほしいって」
 通信の相手は、少女の言葉を聞いて押し黙ってしまった。その真偽を自分なりに検討しているのかもしれない。彼女は少し愉快な気分になった。この冷酷な空間でのおしゃべり相手としては、ちょうど良い人間のようだ。
 長官もたまには気が利くなぁ、と彼女は思いつつ、エウロパ歩行を開始した。
 ガリレオ衛星のうちでも、特に生命体の可能性が大きいのがここ、エウロパである。地表は厚い氷でおおわれており、その下には液体の水が広がっている。この海に生命体がいるのではないか、とよく言われていた。
 溶けては凍った痕なのか、エウロパの地表には黒い線が張り巡らされている。彼女は筋の上を、注意深く辿った。氷は厚く、彼女ひとり程度の重さではどうともないらしい。
 生体反応がないか探査器を眺めながら、彼女は寒い地を歩いた。宇宙服の温度調整機能がなければ、いまごろ彼女は息をしていないだろう。ここは地球から離れた、未知の世界なのだ。
 長い時間をかけて星を一周した。探査器は反応を示さなかった。
 彼女は事前の指示どおり、今度は氷に穴を開けた。生命体がいる可能性があるといえば、地表よりもこの海のなかだ。彼女は徒労を感じることもなくせっせと作業に勤しんだ。
『――どうだ』
 指示官が唐突に訊ねてくる。ちょうど彼女が、氷の底のあたりまで針をのばしたときだった。
「どうって言われても。……これから偵察機を流すから、ちょっと待って」
『あー、そのことなんだが。貴下も海に潜ることはできないのか』
「……え? なに? 聞こえない」
 彼女は自分がいらいらするのを否応なく自覚した。指示官がいつも使う「貴下」という言葉に、今更になって嫌悪感を抱く。なぜ人体があの極寒の、それも未知の空間に入らねばならないのだ。彼女は、一時期ある国で話題になったブラック企業を思い浮かべた。しかし宇宙開発は企業によるものではなく国家事業だ。
「宇宙服でも死ぬよ」
『なんだ、聞こえていたのか』
 しかし指示官は、いつになく冷たく、彼女の抗議を受け流した。
『――大丈夫だ。もともと、機械だけでは探査しきれない部分を補うために、貴下を採用したんだ。それなのに、この太陽系で最も生命の可能性が高い星を、機械だけで探査しろというのか。それじゃあなんのために貴下はそんなところまで来たんだ』
「でも……」
『宇宙服の右側二番ポケットに、使い捨ての防護膜が入っているはずだ。心配なら、宇宙服のうえにそれを纏えばいい』
 彼女は、仕方なく、指示のとおりに動いた。思えば、このときが初めての、マニュアルどおりでない指示だった。氷に穴を開けていた針の直径を広げる。氷の地面に彼女ひとりが入れるだけの穴ができあがった。
『潮汐力で熱水が噴き出ているところがある。気をつけろ』
 透明な膜が彼女の体を覆った。宇宙服の突起部分に絡みつく。この宇宙服は最新型のもので、高い機動性と綿密な作業が臨めるようになったが、旧型宇宙服にあった重さがない。無論、軽量化に成功したためであるが、彼女はこの仕様が気にくわなかった。こんなに軽くていいのだろうかと精神的に不安が募る。
 さいわいなことに、地表へ液体が漏れ出ることはなかった。エウロパにも、水を留めておくだけの重力と大気はあったらしい。小さいから、木星や他の衛星から恩恵を受けているのかもしれない。俄然、生命体の可能性に期待がもてる。
 事前の説明になかった指令に、確かに怒ってはいたが、それと同時に期待に胸をふくらませてもいた。彼女は生命体探査員なのだ。
 氷の筒を少しずつ降り、閉じ込められた海に潜った。防護膜を張っているというのに肌寒さを感じる。彼女は唾を飲み込んだ。指示官がなにやら言っていたが、今度は本当に聞き取れなかった。
 泳ぐというよりも歩く要領で、水を掻き分けてゆく。水は確かに液体であるが、それは水銀のように粘りが強く重さがあった。宇宙服のなかで、光を必要としない種の植物が、酸素を彼女に与えていた。息をとめる必要などないのに、彼女はつい喉奥に力を込めてしまう。
 ――結局、生命体は見つからなかった。探査器はまったく反応を示さない。壊れているのか、と彼女はいぶかり、器機を調べてみたが正常そのものだった。
『おつかれ』
 指示官の声も、少なからず落胆しているように聞こえる。彼女は大きく溜息をついて、その直後に溜息に費やした酸素の量を計算した。気分が悪くなる。
 少し休憩すると、すぐに彼女は次の衛星へ向かった。次はイオだ。
 同じくガリレオ衛星に数えられるイオには、もはや生命体の気配がない。火山活動でうまれた深く大きなくぼみ、溶けた硫黄の湖、どこまでも続く溶岩流の川……。エウロパが極寒の天体であったのに対し、イオはまるで灼熱だ。灼熱地獄だ。
「こんなところに、生き物がいるわけない――」
『分からないぞ。こんなに熱いということは、生物が生きるための熱が充分にあるということだ』
「熱すぎるのよ」
 彼女はふと思いついて、エネルギー型の採集容器を取り出した。これはエネルギーを採集し質量に変換して保存する容器だ。これだけの熱量なら、万が一のとき使えるかもしれない。彼女はそう考えて独行した。地球に戻ったとき、これを提出すれば運が良ければ出世物だ。とも彼女は思った。
 やはりこの星にも生命体はいなかった。指示官の『おつかれ』という無愛想な言葉を聞き流しながら、彼女は空を仰いだ。地球の空と似ても似つかぬ、独特な色合いをした空。
 そのときだった。大きな地響きが彼女の奥底を引き裂いた。彼女は突然のことに蹲る。
『どうしたんだ!』
 管理局のやつらめ、仕事しなさいよ。彼女は自身の体を抱きしめながら毒づいた。声に出したつもりだったが、轟音がそれを遮ってしまう。
 イオが木星の磁気圏に入ったのだ。電流が起こり、火山がより活発に動き出す。危険、ここは危険だ――。早く逃げないと。彼女は立ち上がろうとした。地震が絶え間なく続き起き上がることができない。指示官がなにごとか喚いていた。喚きたいのは彼女のほうだった。
 地割れが起こる。地表がいくらか剥がれて、宇宙空間へと飛び出していった。彼女もイオの外側へ投げ出されていた。彼女は気を失った。
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