地球少女探査録


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一‐エウロパ・イオへ←/→三‐グリーンプラネットへ

二‐ずっと遠く



プリイザヤ紀元二一年 〇〇一〇度‐一〇三年 〇〇〇一度

 プリイザヤ計画――後の時代の人々は、過去を振り返って当時をそう呼称する。当時、宇宙開発が盛んに繰り広げられていた。資源の枯渇、明確な原因が分からず、やむなく二酸化炭素に責任をなすりつけている地球温暖化、そして事故などによる環境汚染。当時の人々にとって、地球外に救いを求めるのは、魅力的に映えたことだろう。SFジャンルの隆盛、マスメディアの扇動。引き金はそのあたりにあるのだろうか、ついに国が動き出し、宇宙開発にさらなる資金があてられた。地球人が大勢暮らせる天体の発掘――。それにつらなって地球外生命体の探査事業。
 宇宙開発事業において、真っ先に解決すべき問題が、資源の不足だった。いくら力を入れたとしても、成果が出なければ大損は間違いない。これまで以上に、資源は考えて使わねばならなかった。その際考え出されたのが、ロケットと宇宙船の廃止だった――曰く、宇宙服にロケットと宇宙船の機能を加えるというのである。なにを夢物語を、とほとんどの人間が取り合わなかったが、その案は実現する。軌道エレベータの完成である。宇宙開発に隆盛が訪れるまでは、造るだけ無駄とされていた軌道エレベータが、日の目を浴びたのである。これが完成したことにより、ロケットがなくとも宇宙空間に移動することができるようになった。宇宙服にロケットの機能を搭載するのではなく、ロケットの必要性そのものを剥ぎ取ったということだ。そして、宇宙船の機能も、その資源節約につらなって小型化に成功した。それだけで宇宙を飛び回ることのできる、いわば乗員一人の宇宙船――最新型宇宙服の完成である。
 これによって、資源は大幅に節約され、必要とする人員も削減することに成功した。しかしここで、厄介な問題に直面する。運の巡りあわせが尽きたのだろう。
 つらい宇宙探査に耐えうる優秀な人材が、ひとりと育っていなかったのである。

 彼女が目覚めると、そこは虚空の闇だった。
 うえも、したも、なにもわからない。虚無が彼女に襲いかかった。虚無には孤独も含まれていた。彼女は指示官の声を聞こうとして、自分の耳元に手をやる。しっかりと宇宙服の内側、右耳の横に受信器は取り付けられていた。というのに、機能していない。
 彼女は恐怖に胸を掻きむしられながら、なにが起こったか思い出そうとした。すぐに思い出せた。イオが木星の磁気圏に入ってしまい、彼女はイオから放り出されてしまったのだ。受信器も、そのときの電流でダメになったらしい。
 どれだけの間気を失い、どれだけの距離を流されたのだろう。
 いまの彼女に、それを知るすべはなかった。
 さいわいなことに、受信器のほかに故障はないらしい。宇宙服のなかで育てられている植物は、適度に繁殖し、適切に酸素を彼女に与え続けている。生命を探すうえで重要な探査器にも、どこにも故障は見受けられなかった。ただ、防護膜の入っていたポケットが開いていて、なかにあった膜すべてがなくなっていた。他のポケットは大丈夫だ。宇宙服そのものへの損傷もない。これなら自力で地球へ戻るくらいのことはできそうだ。
 しかし、どこへ向かえば地球なのか、わからなかった。うえもしたも、右も左もないのである。ただ闇が続く。その残酷な現実を前に、彼女は眠るしかなかった。そうしなければ絶望で頭がどうにかなりかねなかったのだ。
 次にまた目覚めたときには、運が良かったのか悪かったのか、近くに天体がうかがえた。暗闇に浮かぶその星は、彼女に希望を与えるには充分だった。綺麗な星だ。彼女は星と逆の方向へ力を加える。引力が働くだろうから、じきにあの星へは着陸できるだろう。そう安心して、彼女はまた眠りにつくのだった。
 目覚めると緑のなかだった。植物だ。初めて見る、地球外の植物だった。
 シダ植物に似ている。彼女はそっと、ワラビのような葉を触った。逃げもしない。動かない。地球の植物とどう異なるのかわからなかった。
 もしかしてここは地球なのではないだろうか――。そう考えて、彼女はふいに森を駆け抜けた。走って、走った。
 森を抜けるとそこには岩場が広がっていた。果てしなくごつごつとした岩が続いている。こんな土地が、地球にあっただろうか。
 彼女は、とりあえずこの岩場を歩いてゆこうと思った。ここが地球ならそのうち人に出会うかもしれない。街に辿り着くかもしれない。一歩、一歩と足を進める。さきほど走ったせいか痛みがあった。ずっと無重力に近い空間にいたのに、よく走れるものだと彼女は思った。
 空を仰ぐと太陽が見える。空に浮かぶその白い玉は、地球にいたときの記憶と比べて、少し大きいような気がした。しかし、もしかしたら記憶違いかもしれないじゃないか。彼女はそう自分を元気付ける。ここはきっと地球だ。
 歩き続ける。痛みは希望で紛らわせた。そして悟った。この星は非常に小さい――あっという間に一周できてしまうほど。地平線がすぐ近くにあるということ。だから岩場がずっと続いているように見えたこと。彼女の目の前にはさきほどの森があった。シダ植物のような緑。
 彼女は森に入った途端倒れこんだ。ここは地球ではない。その現実が、遅れて彼女にのしかかる。彼女はその重みに吐き気を覚え、実際に吐いた。首元が吐瀉物で汚れる。彼女はやけくそになって宇宙服の頭の部分を取り外した。酸素濃度が充分でなければ彼女はきっと死ぬだろう。しかしこの星に酸素は充分にあった。だから植物が生い茂っているのだ。
 倒れこんでみると、下半身のあたりに違和感があった。自身の太もものあたりをさすってみると、宇宙服が破れていた。大気圏突入のときに、燃えてしまったのかもしれない。思えば彼女は、この星に入るとき燃え尽きてしまっても不思議ではなかった。地球を出て行くときは軌道エレベータを用いるのだから、断熱圧縮の対策はこの宇宙服に施されていないだろう。それでも彼女が燃えずに済んだのは、この星の大気が地球ほど濃くなかったからに違いない。彼女は運が良かったのだ。とてつもなく、運が良かったのだ。
 彼女は自身の目元が濡れているのがわかった。誰に見られているわけでもないのに隠すように拭った。ほの赤く痕がついていた。
 破れた部分に、植物がこびりついている。確かめてみると、宇宙服の内側で、酸素を供給するためにおさめられていた植物が、過剰に繁殖をして宇宙服から飛び出たらしい。では、この森は――。
 この星は、地球に比べて二酸化炭素の濃度が高い。地球での二酸化炭素濃度は、確か〇・〇四パーセントだった。地球のその二酸化炭素量は、植物の立場からは少ない。それに比べ、この星の二酸化炭素量は、植物が光合成するうえで充分にあるようだ。光もある。宇宙服から漏れ出た植物が、この森ほどになるまで繁殖したというのも、頷ける。
 結局、この植物は地球外生命体などではなく、地球から持ち込んだ輸入品だったということになる。しかし結果的に、地球外に生命のいる可能性は立証できたわけだ。こうして、植物も人間も暮らしてゆける環境というものは、確実に存在している。
 それが分かると、俄然気力が湧いてくる。彼女はあの指示官と話がしたい衝動に駆られた。この星の存在を、彼に伝えないと。人々に知らせないと。
 そのためには、受信器を直さねばならない。名称としては受信器となっているが、この器機は送信の役割も兼ねている。これを直せば地球と連絡ができるだろう。
 イオが木星の磁気圏に入ったとき、電流が生じる。それが過剰にこの器機に流れてしまったために、受信器は壊れてしまったのだ。ならばコイルを交換すればいい。そのためには、銅線などの針金と磁力が必要だ。銅線は宇宙服の左一番ポケットに入っている。問題は電流を流すための磁力だが……。
 彼女は、穴を掘ることにした。地球と似た星なのだから、きっと磁石もあるだろうという、安易な発想による行動だった。エウロパで氷に穴を開けるのに使った針は、小さく畳まれて左二番ポケットにしっかり入ったままだった。それを用いて、少しずつ、少しずつ穴を深めてゆく。
 鉄を用いて、土から磁力のもつ粉末を寄り集める。太陽が彼女の体を照り付けていつも以上に疲労が溜まったが、彼女は根気強く粉末を寄り固めた。充分に集まったときには、あたりはすっかり暗くなっていた。この星にも夜がある――この星も地球のように、公転と自転をしているらしい。
 日が出るまで休んだ。太陽の熱を利用し、粉末の固まりを溶解した。それを今度は冷やし、磁石ができあがる。
 受信器を分解し、銅線を巻いたものに磁石をゆるめに巻きつけ、振動のたびに磁石が動くようにした。これで、電流が流れるはずだ。
『――あ……が――を、確……た』
「聞こえる? 聞こえる!」
 耳が痛くなるほどに受信器を耳に押し当てた。向こうの声は少しずつ、それでも確実に聞き取りやすくなっていく。通信に成功したのだ。
『こちらイザヤ宇宙ステーション第二支部。通信を確認しました。あなたは……あの、その通信コードによると……その』
 通信の相手はたどたどしい。以前のあの男ではなかった。
「きみ誰? この前までの指示官はどうしたの」
『ごめんなさい。ぼく指示官とかじゃないんです……。えーっと、その、このコードだから、あの……呼んできます』
 彼女は緑に腰掛ける。気付かぬうちに、緑の範囲がさらに岩場を侵食しているように見えた。この星はそのうち、緑一色の星になるだろう。
『――久しぶりだな。まさかまだ動いていたとは、驚いたよ』
 彼女は、耳を疑った。
『あれからもう、八十六年経ったのだよ。わかるかい』
 男の声は、別人のようにしわがれていた。
「そんな……」
『まさか百歳の誕生日に、貴下の言葉が聞けるとはな。あのころはまだ雑用係の小僧だった私も、今となっては長官だ。懐かしい限りだ』
「ウラシマ効果、なの?」
『それもあるだろうが、純粋に、貴下がそれだけの間、宇宙空間を彷徨っていたと考えてよい。それはともかく、聞いてくれ! 地球史に革新が起きたのだ、つい三年前に』
 彼女が言葉を挟むより先に、老人が声を紡ぐ。彼女は感動と混乱の狭間で、心が嵐の海にさらされた。
『――連絡があったのだ。地球外の、未知の生命体から』
「え?」
『プリイザヤ紀元一〇〇年――貴下を宇宙飛行士にした探査事業の出発を一年とした、三年前から暦をそのように制定し直したのだ――その、〇〇〇一度、つまり一月のことだ。未知の物質が、地球を通過した。それを運よく観測することができてね、それを調べてみると、生命体でしか発し得ないものだと分かってね。大騒ぎだったよ。いま、その物質の発信源へ、使節団が向かっているところなのだ』
「……じゃあ、目標は達成できたってことなんだ」
 彼女は、人類の一員として、純粋に喜んだ。愉快な気分になる。新しく制定されたらしい暦が、遡って彼女が関わる事業をはじまりに設置していることにも嬉しく感じた。彼女の仕事は結局失敗という扱いになったのだろうが、それでも彼女がはじまりなのだ。それを思うと誇らしげになり、自身のことであるのに鼻が高くなり、頬が持ち上がった。幾年もの長い間を、自覚的には一年にも満たない時間で過ごしていたことには、少しばかりショックだったが、どのみち彼女には悲しんでくれる家族もいないのだ。
「良かった。本当に良かった」
『ああ、良かった』
 しばしふたりで喜びを分かち合ったあと、彼女は、自分がどこにいるかわからないと彼に伝えた。宇宙服には、現在位置している座標を国際宇宙ステーションに知らせる機能も付いている。今となっては、彼女が出発した人工衛星は「国際宇宙ステーション」から「イザヤ宇宙ステーション第二支部」になっているようだが、名称の差異が問題を引き起こすことはさほどない。宇宙服は破れてしまったため、森のところに脱ぎ置いてあるが、使えないほど壊れているわけではない。その位置情報をこの通信に沿って感知してくれれば、彼女がいま宇宙のどの位置にいるのか、わかるはずである。きっと遠いだろうから、救助はずいぶん遅くなるだろうが、それでも地球に還ることができるのだ。
 しかし。
『ああ、その話だがね……。さきほど、討議が終わったところだよ。貴下を救出――残念だが、それはできない。コストがかかりすぎる。貴下を救出するのと、見捨てるのとでは、見捨てたほうが資源の削減になるのだよ。確かに貴下の存在は大きい。しかしね、資源がないんだ。貴下が行方知らずになったのちに、リアンクール岩礁で新たな資源を得ることができたがね、それでも過去の反省をもとに、考えて使わねばならない。貴下に費やす資源はない』
「な……なに言ってるの! 人権はどうなったの、未成年法はどうなったの! 私はまだ――」
『きみは未成年などではない。もう製造されてから一〇五年が経ったのだ――立派な旧式だ』
 製造? 彼女の頭脳に、理解できない言葉が食い込んでゆく。
『考えてみればわかることだろう。生体探査器――あれは周囲に生体がいたなら反応を示すが――すぐ傍に貴下がいたというのに、その器機はまったく反応しなかったじゃないか――私も、この役職になってから知ったことなのだがね』
 ――おまえは人間ではないのだ。
 このとき、彼女は初めて、彼の「おまえ」という呼称を耳にした。おまえは人間ではない。
 通信はいつの間にか切れていた。
 あたりはすっかり暗くなっていた。
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