地球少女探査録


トップへ戻る目次に戻る


二‐ずっと遠くへ←/→四‐存在しない果ての声へ

三‐グリーンプラネット



プリイザヤ紀元一九八年 一〇〇〇度

 宇宙服は破れてしまったのだから、機能は充分に働いたとしても、着て宇宙空間に出ることはできない。人間でないからといって、宇宙で耐えうるとは思えない。吐いたりすることから推察するに、ヒトとなるべく同じように作られたのだろう。そうすることで、人類が生存できる天体なのか試すことにもなる。宇宙服を着ずに、裸同然で宇宙空間に放り投げられたとして、生きていける地球生命体なんて、クマムシくらいのものだ。
 彼女はこの緑の星を、グリーンプラネットと名づけた。岩場に針で刻んだ文字は、いずれ植物に覆われ見えなくなるだろう。
 シダ植物は胞子を増やし、着実にその範囲を広げている。酸素濃度が以前よりもずいぶん高くなり、そのために繁殖率は初めよりも落ちたが、それでも数が減ることはない。
 グリーンプラネットに、このシダ植物のほかの生物はいない。細菌はもしかしたら現生しているかもしれないが、生体探査器ではわからない。
 彼女は池で水浴びをした。この池は、探究心から穴を掘っていたとき、突然湧き出てきた水だ。彼女がこの星に来た当初、地表に水の気配はなかったが、地下に大きな水脈があるらしい。
 池が出来上がったことや、植物が増えたことにより、小規模ではあるが雨も降るようになった。池の水が蒸発したり、植物がよくおこなう蒸散が、空へと昇り、集まって雲となる。雲の重みが空気よりも大きくなった途端、雨として降ってくるのだ。
 ここで一生暮らすのだろうか。彼女はふと、池水に映った自分の顔を見て、そう思った。宇宙服は破れ、地球からは見放された。この星を出る手段は、もう、彼女に残っていない。
 ちょうどその瞬間だった。考えていたちょうどそのとき。彼女の目には奇蹟の類に映ったに違いない。
 急に池が暗くなった。まるで大きな雲が上空を通ったときのように。……しかしこの星には、それほど大きな雲はできない。彼女は顎を持ち上げた。
 宇宙船が飛んでいた。
 彼女は急いで池から這い出て、森のほうへと駆けた。植物の葉っぱを乱暴にちぎって、体に巻きつける。定着せず着物とはいえない。彼女はいまなにも身に纏っていないのだ。
 恥じらいというわけではなく、異種文化の交流において、衣服は重要なアイテムだ。まだ宇宙人に出会ったことがないため、もしかしたら地球人的な考えに偏っているのかもしれないが、衣服はイチジクの葉の時分から知恵を象徴する。その衣服がないということは、家畜や野生動物のように、知能指数の低い種だとみなされてしまうかもしれない。そのためにも衣服が必要だった。
 葉っぱではどうにもならないと気付き、彼女は、地面に放置してあった宇宙服に目をやった。破れていて、宇宙服としては充分ではないが、服としては、適切かもしれない。背後から轟音が聞こえる。悩んでいる暇はなかった。彼女はその宇宙服を久々に手に取り、足と手を通した。
 宇宙船が岩場、池の近くに着陸した。大皿のような形の宇宙船だ。その一部分が四角く切り取られたように開いた。出入り口なのだろう。
 彼女は、森と岩場の境界線のあたりで、その様子を見ていた。宇宙船から生命体が降りてくる。二足歩行で、腕らしきものが四本ある。視覚器官と聴覚器官は地球人と同じところにあるらしい。嗅覚器官が見当たらない。予想よりも親しみやすそうな体だ。
 彼女は、彼らに話しかけてみようとした。どうせ言葉が通じるはずはないが、ジェスチャーでもいい、少しずつ認識の溝を埋めてゆけるかもしれない。
 初めて目にした異星人。彼らが、彼女の姿を視認した。
「あ、あの!」
 途端、轟く閃光。
 閃光が彼女の耳をかすめる。
 耳が欠けた。
 つんざく悲鳴。それは彼女の喉から発せられる悲鳴だった。遅れて激痛が。遅れて流血が。
 叫びながら、異星人たちから目を逸らさない。彼らは武器のようなものを持っているようには見えない。しかし確かに、閃光がこちらに向かってきたのだ。そして、また。
 今度は視認できた。彼らの視覚器官――目から、薄緑の光線が向かってくる。あれに当たると死ぬ! 彼女は瞬時にそれを理解した。咄嗟に伏せた。髪の先が焼けた。嫌なにおい。
 あいつらは、交流しようだなんてまったく思っちゃいない。殺してこの星を奪い取ろうとしか考えていないんだ。彼女は異星人から目を離さずに、伏せたまま森の奥へ退いた。
 心躍った気分は、すっかり消えうせていた。殺される。殺される。そればかりが頭を占める。
 戦えるだろうか。あの集団に打ち勝てるだろうか。
 彼女は急速に思索をめぐらせる。見る限り剛健な体というわけでもなさそうだ。動きはのろい。この星よりも重力の小さな星から来たのかもしれない。あるいは空気の内分に慣れていないだけか。星から来たのではなく、宇宙船でずっと暮らして放浪している種の可能性もある。どんなものにしても、あれらが殺意丸出しの生物であることに間違いはなさそうだ。地球と似た炭素生物の定義に当てはめやすい、親しみやすそうな生命体だと思ったのに。
 武器が必要だ。戦うのはともかく、こちらが相手よりも優位にいることを示さなければ、この星は侵略され、彼女の命はないだろう。彼女は、自身が人間でないことを宣告されてからも、生きたいという欲求を失わずに暮らしてきた。それをこんな形で失いたくはない。
 武器は、ある。そうだ。思い当たる節があった。まだ使えるだろうか。酸化するようなものでもないから、きっと大丈夫だろう。彼女は宇宙服のポケットに手を伸ばす。
 閃光がきらめく。シダ植物が守ってくれた。森に入ったのは正解だったらしい。しかし、閃光を受け止めた植物が、強く燃え出してしまった。炎が隣の植物へと飛び移る。
 このままでは森が焼けてしまう。消火しようとも、池水のすぐ傍にはあの宇宙船だ。異星人がいる。
 炎はそのままにする他なかった。怪我の功名か、炎が視覚的な壁となった。きっと向こうから彼女は視認できていないだろう。彼女は這って移動し、見つからないように彼らの様子を探った。見たところ、個体は四つ。宇宙船の大きさから、少なくとももう二つは船内に待機しているだろうと推察した。
 彼女は、一度使ったきり放置していた受信器を解体した。なかに入っている簡易的なコイルは、まだ使えそうだ。次に、ポケットから、密度の高い物体を手に取った。エネルギー型の採集容器。なかにイオの熱が圧縮されて入っている。念のために取っておいたエネルギーが、やっと使うときが来たようだ。
 閃光が重なる。彼女の姿が目視できないから、森を一斉に燃やす魂胆らしい。この森を燃やしたら、この星の緑が絶えてしまったら、奪い取ったところで無意味なんじゃないのか。そう考えて、それは地球人的な考えによるのだろうと省みる。
 グリーンプラネットは私が守る、と、彼女は呟いた。久しい意味のある発言だった。
 コイルに巻きつけていた磁石を、三分の一だけ折り取った。三分の二はコイルに巻きつけたままにしている。折って取った磁石を、さらにもう半分に折る。折った磁石の片方を、先端と内側を逆にして、もう片方の磁石にくっつくように手で支えた。同じ極が向かい合う形になる。反発を手で押さえる。磁力が弱いのか苦ではなかった。磁力が足りない。
 採集容器から物体を少し切り取った。それを反発しあっている磁石にふりかける。エネルギーを質量として保存している。これをエネルギーに変換するには、熱が必要だ。熱なら簡単に手に入る。植物が燃え盛っている。
 コイルを動かした。巻きつけてある磁石が揺れて電流が流れる。手にしているほうの磁石をそのコイルに押し当てた。電流が流れる。磁力が強まる。ちょうど良く閃光が飛んでくる。植物が受け止めた。閃光の方向から、異星人の位置を把握する。その方向へ向けて、磁石を向けた。磁石は強く反発し合っている。電流が流れるごとに強く、強く。手が痛みと疲労で痺れた。
 手を離す。
 勢い良く磁石の半分が飛び出した。森のなかは熱気に溢れている。磁石が炎に突っ込んだ。磁石にふりかけられたイオの質量が、一気に拡散し、さらに磁石に飛距離を与える。
 奇声が聞こえた。彼らにも発声器官があるらしい。遅れて爆音。燃え残った熱量が、向こう側で爆発したらしい。彼女は手に残った半分の磁石を、さらに半分に折った。威力は落ちるが、この手順で攻撃ができる。
 彼女は武器一式を持って、ひとまずその場から退散した。燃え盛る森を駆け抜ける。先ほどまで彼女のいたところに、強烈な閃光が襲いかかっていた。閃光の方向が異星人の位置を知らせたように、磁石の弾丸は彼女の位置を相手に知らせてしまう。
 走りながら、炎の境目を探した。炎に囲まれて相手の様子が窺えない。奇声は聞こえるが、声が森に篭ってしまって、どの方向にいるのか判断できなかった。
 走って走って。ついに森の端に来てしまった。彼女は、体勢を低くして、慎重に池のあたりを窺う。――四つの個体のうち、三つが倒れていた。この弾丸の威力は、予想以上に高かったようだ。倒れている三体は、息絶えているのか、よくわからないが、奇声も上げずに静かにしている。立っている一体だけが不快な音を撒き散らしていた。宇宙船から他の個体が出てくる気配はない。もしやこの四体で全員なのか? 彼女は疑問に思いながら、ゆっくりと、立っている個体に向けて磁石を放った。……。
 宇宙船のなかに、他の個体はいなかった。外観は大きいが、入ってみるとさほど広くもなかった。防護や機材のためにこの大きさになっているだけで、むしろ四体が入るには窮屈だっただろう。狭い地域に住む生物は、野蛮になる傾向があるというが、それは地球人以外にも当てはまる傾向らしい。
 船の中身を徹底的に調べ上げ、推測と勘ではあるが操作方法をものにした。幾度かの試運転を経て、彼女は、この船に乗って宇宙空間へ出て行くことを決めた。
 グリーンプラネットには、四つの墓がたてられている。
二‐ずっと遠くへ←/→四‐存在しない果ての声へ
トップへ戻る目次に戻る