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12

「おれに名前はない。でも昔はあったのかもしれないな。いや、確かに名前はあった。じゃないと不便だろうから。あったはずだ」
 部屋のなかには夢の空間の温かみとは違った、新しい種の肌触りが生まれようとしている。
「家族はいた。たったひとりだけ。物心ついたときから、おれの家族はばあちゃんただひとりだった。今考えると、血は繋がっていなかったかもしれないな。貧しい家だったが、ばあちゃんは、おれを自由に育ててくれた。自分の意志を持て、自分で動け、それが自由だ。そういう話をたくさん聞いておれは育った」
 男は囲炉裏に鉄の棒を突き刺し、中身を掻き混ぜた。なかにはなにも、入っていない。
「そのばあちゃんが、おれが十七歳のときに、病気になった。病院に連れて行ったが、金が充分にないことを知ると、医者は診察がぞんざいになり、そのうち病院に入ることも許されなくなった。ばあちゃんは仕方ないと言ったが、おれはそれでは気がすまなかった。第一、なにもしないんじゃあ、ばあちゃんが死んじまうからな。でも正直、ばあちゃんの病気は深刻で、ちまちまと稼いで貯めている時間はなかった。だからさ、おれ、一気に大金貰えるところ、探してさ、それで、あるおっさんに行き当たった。そいつは、なにか壮大な計画を進めていて、けど人手不足で……、わけわかんない奴らだったけど、報酬はすごい金額だった。ばあちゃんの病気もすぐに蹴散らしてくれそうな金だったんだ」
 男はマゼンダと目を合わせない。マゼンダはずっと男のほうを向いていたのだが、男は、囲炉裏をいじくるばかりで。
「でも、甘かった。おれははめられたんだ。でっかい借金が、おれのとこにやってきた。呆れるだろ。おれも自分に呆れたよ。奴に言われたとおりのことをこなして、がんばっているつもりだったのに……ばあちゃんは死んじまった。おれになにも言い残さずに。永久の眠りに」
 男は棒を放り投げた。灰が舞い上がる。微粒な灰の集合が、部屋のなかを充満し、家屋をだめにした。家屋はエネルギーに拡散し、有耶無耶に消え、二人は草原のうえにすとんと落ちた。痛くはなかった。
 それから二人とも、地面に弱く打ちつけた体をさすることもせず、沈黙のなかをすごした。マゼンダも男も、押し黙ったまま。この夢のなかに時間があるのなら、そしてその時間というものが絶対的なものであるのなら、それはほんのわずかなものだったかもしれない。しかし主観が有無を言うこの空間では、マゼンダにとって、一晩ほどの長さがあった。
 そして。
「私が」
 情に弱いマゼンダは沈黙を破る。
「私が家族になっても、いいんだよ」

[4-3]


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